かわいそうなとかげ
上の階に到達してすぐに目に入ったのは小さな檻、その中には生きているのかどうかもわからない人たちだった。
まるでミイラのようにしおれた人や、身体の一部が人外の物へと変質している者、なめくじのように粘液で体を包み時々うめいている者と様々だったが大半は「まとも」とは言い難い様子だった。
「これは……」
「いよいよ研究所らしくなってきたわねぇ」
「いやいや、これはさすがに酷いんじゃないかなと……このゲーム年齢指定いくつだっけ?」
「15歳以上推奨、でもこの光景は子供には見せたくないわね」
「フィリアさん子持ち?」
「未婚、初体験もまだ。なに? ゲリさん私の男性遍歴聞きたい?」
「気になるっちゃ気になるんだけど……今それどころじゃないというかなんというか」
「高校の頃付き合った男、告白の言葉がいっぱい食べる君が好きで、別れの言葉がいっぱい食べすぎる君が怖い。大学の時の男、告白の言葉は君のために料理を作りたい、別れの言葉は君のせいで腱鞘炎。会社員時代の男、告白の言葉が君に全てを奉げる、別れの言葉は君に全財産を食われた。フリーになってからできた男、告白の言葉は君を養えるだけの金は持っているから安心してほしい、別れの言葉は僕には無理だった」
「草」
「喰うよ?」
「ごめんなさい」
男どもは誰もかれもが「君に手を出すと文字通り喰われるか責任取らされそうで怖い」と言ってそういう関係にまで至らなかった。
おかげでこの身体にまともに触れた男は電車に乗った時の痴漢くらいだ。
ぶん殴って警察に引き渡したけどね。
「それで、この惨状を見て一言どうぞ」
「美味しそうじゃないね」
「あの……惨状についてなんだけど」
「うん、美味しそうじゃない。戦って楽しそうな相手でもなければ味も悪そうだから失敗作ってところかしら。多分下の階で化け物素材を入手して、この階層で人間に投与したのかしらね……神の血がうんたらって話もあったからそれと合わせて使っているのかもしれないけれど」
「なるほど、そういう意味で……」
「なんというか上質な塩を普通の肉にもみこんで、そこに砂糖ぶち込んだ感じがする」
「……料理で例えるのやめてもらっていいですか?」
ゲリさんがうんざりといった様子でこちらを見つめてくる最中の出来事だった。
「あ、邪悪結界切れた」
「えぇ……ここでタイムアップはきつくない?」
「んー、見る限りこの牢屋は鉄製で銀は使われていない。聖属性エリアも下の階にはたくさんあったかもしれないけれどここにはそんなにないんじゃないかな」
「ほほう、その心は?」
「聖属性エリアがあると一部の素材がだめになるから実験しにくい、人間ならやわらかい銀よりも固い鉄の方がいい、そうなると物理的なトラップが多いんじゃないかしら」
少なくとも私ならそうする。
銀はレアドロと言われているだけあるというか、町でも購入できるけど馬鹿にならない金額要求されるから相当な資金が必要。
下の階だって床全部を銀にしてもよかっただろうに、そうしなかったのは資金面の問題で地雷風に仕立て上げた可能性が高い。
そしてそこを抜けた先は人間用のエリアだから、対化け物用の仕掛けよりも対人の仕掛けを施した方がいいというのは間違いないだろう。
問題は私達でも即死する可能性があるようなトラップがあったら最初からやり直しという点。
「どうするゲリさん、この先は普通のトラップがあると考えて進むべきなんだけど」
「え? 飛んで行けばいいんじゃない?」
「……天才かな?」
目から鱗が落ちる思いだった。
さっきまで飛ばなかったのはどこに飛行妨害エリアがあるかわからないからというのもあったけれど、人間に対するトラップならそんなものは必要ない。
感知板とかのスイッチ形式で十分だから、私達なら飛ぶことで回避できる。
当然、コストがかかりそうな飛行妨害エリアの危険性も低い。
少なくとも人間が住んでいる場所ではそういう措置はないはず。
せいぜいがタライ落としくらいでしょ。
「ところでゲリさんや」
「なんぞやフィリアさん」
「ここの檻、ぶち破ったらどうなると思う?」
「たぶん、警報的なのが発動するか何も起こらないかの二択だと思う」
「だよねぇ」
「……なに企んでる?」
「いやぁ、ここ狭いから戦いやすく広くしようかなと思ったけど……本末転倒になりそうだからやめておこうかなと思っただけだよ」
いざという時の備え、だけど行き過ぎるとそれは厄種となりかねないからねぇ。
うん、藪をつついて蛇を出すのも面白そうだけど今は面倒事の方が多いからやめておこう。
このまま上の階に向かう。
「さて……そろそろ敵が出てくるころだと思うけど、どう思う?」
「うーん、あくまでも想像なんだけどね?」
ゲリさんの問いかけに一呼吸入れてから答える。
「ゴーレムをここに配置する意味はないよね。メインの戦力だからこそ防衛や護衛に使われるだろうから。そもそも化け物も実験体もまともに上がってこられないはず。それを対処するのが私達が最初にたどり着いた塔の入り口直通の広間の人たちじゃないかな」
あの人たちは銃を持っていた。
歴史的に見て銃やクロスボウが騎士道に反する卑怯な武器という扱いを受けたことがある。
別に卑怯でも何でもないんだけど、その話の出本は貴族たちだった。
彼らは長い時間をかけて研鑽した剣技が平民の凶弾によって粉砕されることを恐れて、またその結果貴族という立場が揺らぐ可能性を恐れてそんな話を流した。
要するに立場を守るためだったのよね。
でもここでは最下層の、と言うともっと下があるから厳密には違うんだけれど、入口すぐの敵が攻め込んできたり、地下から私達みたいなのが這い上がってきたら真っ先に犠牲になる人たちに武器が支給されている。
しかも性能はそれなりにあるように見えた。
反旗を翻すのは難しくないようにも見えるけれど、待遇改善のための行動は起こしていない。
そこから推測されるのは、塔の上層部にいる人たちは銃なんか怖くないくらいの防衛設備を持っているという事だ。
少なくとも私達がのこのこと登って行って勝てるかと言われたら、まぁ無理でしょうね。
「だからまずは広間を占拠する。できなければ攻撃を躱しながら脱出、それで何とかなると願いたいところかしら」
「まぁ無難。だけどさ、流石に銃で整列射撃とかされたら厄介じゃない?」
「ゲリさん、あなたならできる」
「……囮になれと?」
「いいえ、貴方なら立派な盾になれるわ。鱗を食べた私が保証する」
「あなたビスケット感覚で食ってましたよね?」
「頑張って!」
「俺、また地下からやり直しなのかな……」
「冗談はさておき、まぁ大丈夫だと思うわよ? 私もこの触手を盾にすれば銃弾は防げると思うし、ゲリさんの鱗を貫通してダメージ与えられるような攻撃は来ない。子竜化状態だったらそもそもあてられる人がいるかどうかというレベルだけどね」
「それは……まぁ」
「銃って意外と扱い難しいのよ。慣れてないと明後日の方向にすっ飛んで行く。しかも広間にいた人たちの様子からして銃を持って長いけれど、撃った回数はそんなに多くないはず」
「なぜわかるん?」
「だって構えが変だから」
私の就職祝いで連れて行ってもらったハワイで銃の撃ち方を教わったことがあるけれど、ロングバレルの銃を扱うにしてはあの人たちの構えはずいぶんお粗末だった。
トリガーに指がかかっているし、持ち方も不安定、いつ暴発するのかとひやひやしていたくらいだわ。
「となると……逃げるが勝ち?」
「あるいは普通に殲滅戦でもいいけど、罠がある以上地下に落とされる可能性もあるのよね……こういう時に仕掛けができたらいいのだけれど」
「仕掛けってどんな?」
「例えばそうね、黒色火薬をまいて一網打尽とか」
「硫黄も硝石もまだ見つかってないね」
「錆びた鉄とアルミ粉の合成粉末とか」
「ボーキサイトがゴーレムに使われているかなぁ、しかもそんな大量に」
「何なら油でもいいわ」
「持ち合わせないね」
くっ、万策尽きたわ。
確実に銃を無効化できる手段……炎で先に火薬を爆破してしまえばいいと思ったのに……。
「というか銃に使われている火薬があるなら保管庫があるんじゃないかな。そこに火をぶつけたらいいと思うんだけど」
「ゲリさんナイスアイデア!」
「いや、なんでそっち思いつかなかったの?」
「敵の保管庫を攻撃するよりもまとめてぶっとばした方が早いのよ……」
「それは経験則?」
「まぁ、とある国で武装組織に捕まってね……」
「もうヤダこの人、本当に俺と同じ日本人?」
「あ、でもその時は米軍が助けてくれたわよ? 蝋燭用意されていたから光信号でわかる範囲のこと教えたら捕虜のいる建物避けて爆撃してくれたわ。だから私は戦闘には関わっていないも同然」
「渦中のただ中じゃないですかやだー。つーか光信号って……」
「モールス信号をはじめとして大体の通信方法は覚えているわよ?」
「ちなみに言語は?」
「えーと、英語に中国語スペイン語フランス語イタリア語は日常会話ができるわね。ラテン語の文献を翻訳する事があったからそっちは読み書きだけできる感じかしら。あとはアイルランド語とベトナム語を勉強中」
「スペック、無駄に高いですね……」
「仕事柄覚えただけよ。でもラテン語の翻訳は今でも苦手だわ」
「そうなん?」
「えぇ、古い書物の翻訳だったんだけれど内容が難しくてね……なんちゃらの召喚とかそういう内容が書かれていたみたいだから古い呪術書の類だったのかしら。まさかこの科学文明の時代にそんなものを翻訳してほしいって人が来るとは思わなかったわ。しかも即金で500万円も持ってくるとか太っ腹よね」
あの時は美味しいお肉がたくさん食べられて満足だったわ。
普段いけないような高級焼き肉店をはしごして、締めに高級ホテルのディナーフルコースを5人前。
大変だったけれど実入りのいい仕事だったわ。
「それ、危ない仕事じゃないの?」
「え? いたって普通の仕事だったわよ? USBに入った書籍のスキャンデータを翻訳してPDFファイルにまとめてそのままUSBに入れて送り返すだけの」
「へぇ……怖いから詳しく聞くのやめておこう」
「あ、でもその後ちょっとトラブルはあったわね。私のパソコンがハッキングされて、その仕事の痕跡だけ奇麗に消されてたの。物好きなクラッカーもいたものね」
「それ絶対に依頼人が犯人!」
「だとしても、不用意な詮索をしないのがこの世界で長生きする秘訣よ? あと仕事の内容を不用意に語らない……って今ゲリさんに語っちゃったか。死ぬときは一緒だね」
「そんなマラソンで一緒にゴールしようねとか、将来を誓い合った仲みたいに一緒のお墓に入ろうねみたいな感覚で言うのやめて!」
まぁ大丈夫でしょう。
詳細を話していないからクライアントも変なことして事を荒立てるような真似はしないはず。
なんだっけなあの本、根暗な蜜柑? とかいう本の翻訳。
やってる間耳鳴りが酷かったのを覚えているわ。
思えばポルターガイストとか酷くなったのもそれからね。
よくある本の翻訳だと思ってたけど、曰く付きだったのかしら。
ま、それまでもちょくちょく幽霊騒動はあったんだけどね。
「さて、そろそろ行きますか」
「うんまぁ腑に落ちないことも多いけれどそれは賛成。手筈は?」
「可能であれば保管庫を爆破、無理ならさっさと塔から逃げる」
「妥当だねぇ。ちなみに火をつけるのは俺がやる感じで?」
「そこはタイミング的にできるほうがやればいいかしら。私の場合自傷ダメージがあるけど、銀の弾丸とか使われたらどのみち即死だから」
「じゃあHP的な部分は本当に飾りと見ていいんだ……」
「ぶっちゃけ、銀の前では無力です私。ついでに炎とか毒も。鉄の剣とかで殺そうとしたら首を落とすか心臓を一突きにしないとダメかしらね」
「俺と同じタイプの人だなぁ……俺も即死ダメージじゃないとすぐに再生するタイプだから」
「あら、あれから強くなったの?」
「あの戦いがイレギュラーすぎただけです……」
そうつぶやくゲリさんの背中は哀愁を漂わせていた。




