やっべ
「はぁ……打ち合わせ通りでいいのか?」
「頼むぞハデス。こいつはここで殺す、その魂は好きにして構わん」
「そうか。まぁ廃棄以外あるまい。どう処理したものか今から頭が痛いがな」
「そういう話は勝ってからにしなさい!」
仲良く談笑する二人。
そっと後ろに下がったハデスを無視してノーデンスと名乗った方をぶん殴ろうとした瞬間だった。
全身の力が抜けた……いや、削がれた気がした。
バランスを崩し、拳は空を切ってそのまま地面に倒れ込んでしまう。
「なにがっ!」
「明鏡止水による合一。うずめから教わったのだろうがそれはもとより神の力。我らにできない道理もあるまい」
くっそ! やられた!
中ボス共との乱痴気騒ぎで失った力を補うためにも合一は必要だった。
本命は索敵だけど、その途中で回復速度が増していることが分かったからずっと使い続けていた。
以前ちらっと聞いたことがある。
世界の修復力というのは人々が想像しているよりも強いと。
その力を少しだけでも分けてもらっていたけど、奪われた……だけど!
「なんだと……」
「お生憎! ただで渡すつもりはないわよ!」
いわば綱引き。
互いの魂が世界に溶け込んでいる今、それを無理やり引きはがそうとするならば相応の力が必要になる。
なら、全力でつかんで引っ張り返してやったらどうなるかしらね。
「くっ、ノーデンス! 長くはもたん! 早くけりをつけろ!」
「言われるまでもない!」
「しまった!」
合一に集中しすぎた。
ノーデンスの持っていたトライデント、その切っ先が私の心臓を穿とうとしている。
……あれ、心臓くらいなら平気かも。
いやだめだ、相手は神様。
この一撃は喰らったらまずい、直感だけどそんな気がした。
けれど回避は間に合わず、防御しようにもその上から貫かれかねない。
なにより今怪我をしたらもう勝ち筋が無くなってしまう……ここまでなの……?
「何を諦めている」
キンッと軽い音がした。
黒く、小さな背中。
この世全ての不条理と、期待と絶望、希望と悪夢を背負ったような背中だ。
「英雄さん!」
「世界を壊さんとする者、外なる世界の更に外側に住まう者。悪魔共の神も、世界の神も同じ言葉を伝えてきた。我がこの場にこれたのも神々の意思というならば、神を殺せというのだろうな」
「ごめん、なんかかっこいいこと言ってるけど難しくてわからないわ」
「汝の援護をすると言っている。足を引っ張るなよ」
「……そういうことなら、ありがとう!」
立ち上がり、ハデスに視線を向ける。
世界を使った綱引き、それは思っている以上につらい。
額から脂汗が流れ、背中には冷たい汗、握り締めた拳からは血が流れ出る。
地味な戦いだが、負けられない理由がある!
……いやまぁ降参してくれるならこっちもあっさり引くんだけどね。
「ちっ、イレギュラーめ……ならばこれでどうだ!」
「出力が上がった!?」
「綱引き、と考えていたな。ならばこちらは重しを増やすだけだ」
「心を読んだの!?」
「魂単位で世界と混ざり合い、互いを引きはがそうとしているのだ。相手の心くらいは読める」
心を……もしかしてこの雑音というか、ノイズみたいなのってハデスの心?
「然り。ただし雑音というのはやめてもらおう。我らは心を閉ざす術も知っている故、人の身にはそう聞こえるのだろうさ。だがあえて聞かせてやろう、冥府の叫びをな」
そう呟くと同時に脳内であらん限りの悲鳴が木霊した。
怨嗟の声、鳴き声に悲鳴、この世全ての負の感情を乗せたような気持ち悪さに一瞬眩暈がする。
しかしその中で一つ見えたものがあった。
祥子さんの姿、現実の世界。
「マヨヒガちゃん! リアルタイムの定点カメラ映像! どこでもいい!」
叫ぶとすぐに映像が表示された。
地球の空に私とハデス、英雄さんとノーデンス、そして中ボスをぼこぼこにするとーてつさんに、三日月委員長とうずめさんとテンショーさんが祝杯あげながら裸踊りしている姿。
ついでに鎧のお姉さんたちに追い回されるフレイヤさん。
「これは……」
「言ったであろう。重石を増やしたと」
「まさか!」
「然り。地球も明鏡止水にて合一した。さて、どうする? この魂をこちらから引きはがせば地球そのものとの合一が完了する。そうなれば貴様はこの世界から出てこられなくなり、しかし明鏡止水を止めれば出力で負けるぞ」
「この卑怯者! 外道! 陰険!」
「なんとでもいうが……いや、外道はお前だけには言われたくないんだがマジで」
「キャラブレ男! 好きな人寝取られそう! ポークピッツ!」
「よしぶち殺す。ノーデンス! 作り物と遊んでないで加勢しろ!」
「すまぬなぁ、なかなかに面白い余興だった故遊んでしまった」
「ガッ!」
「英雄さん!」
ノーデンスの槍によって殴り飛ばされた英雄さんが壁にめり込む。
……不謹慎だけど、本当に人が壁にめり込むことあるのね。
ちょっと感動した。
「さて、どのように殺してやろうか。死後はできるだけ魂を傷つけ二度と転生などできぬようにしてやろう。無論、そのような穢れをため込んだ魂では解脱など不可能。大人しく命を差し出せ」
「お断りよ!」
最後の手段、これを使ったらどうなるかわからなかった。
できれば使いたくなかったし、可能なら一生使うつもりはなかった。
だけどそんなことは言っていられない。
「起きなさい!」
右手をお腹に当てる。
そこからするりと、不可視の手がさらにお腹の中に伸びていくイメージ。
そして奥底で鎖にがんじがらめにされたそれを解き放つべく、繊細にまきつけられた鎖を引きちる。
どろりと、額から流れる血は視界を赤く染める。
どうしようもない飢餓感に襲われ、そして燃えるように血がたぎる。
「化け物め」
ハデスの声がやけに遠い。
眼前に迫るのは何かしら。
槍の穂先? 放たれた矢? なんでもいい。
それがなんであれ。
「ばかな!」
この世に食べられないものはないのだから。
いや、この世そのものが食べ物だったか。
ならば喰わなければ……。
「やめろ! そんなことをすればこの女も!」
……女、小さいから食べ応えはなさそうだけどなぜだろう。
見ているだけで心が落ち着く。
触れたらもっと心地よいかもしれない。
撫でまわして、甘やかして、そして……そして?
「いやいやいやいや、そんな祥子さんでいやらしい妄想とかだめでしょ私!」
思いっきり額をぶん殴る。
あっぶなー、封印されてた力も、今まで食べてきた呪いとか諸々も全部解放した結果また飲まれかけてたわ。
いやぁ、ハデスのおかげで助かった。
このままだと見境なく全部食べつくしてたわ。
「ありがと、助かったわ寝取られ男」
「ぶっ殺すぞお前マジで」
「しかし厄介ね」
自分の額に生えてきた角をつつきながら二人を見据える。
英雄さんは完全にダウン、地面に突き刺さった聖剣は威嚇するような気配を発しているし、明鏡止水の影響で下手に手出しができない状況なのは変わらない。
「じゃ、とりあえず返してもらおうかしら。私達の世界を」
空間を超えて繋がれるなら……いや、VOTなどをはじめとしたインターネットという世界が物理的な形で地球に繋がっているなら私でもできるはず。
「明鏡止水の心……世界と混ざる、そして世界を見据える」
「あ、馬鹿やめろ!」
「合一!」
ハデスから二つの世界を奪った瞬間だった。
まるで地面が裏返るかのように、世界がねじれ、歪み、混ざり合った。




