閑話:祥子さんのデスマーチ終了後の朝
本日2回目の投稿です。
ご注意ください。
「大変です! 三根部長!」
仕事も少ないしせっちゃんも家でゲームをしている。
久しぶりにのんびりできる、そう思ったある日のこと他部署の人が私の所に駆け込んできた。
この部署は私とせっちゃん、そしてせっちゃんの妹の縁ちゃんしかいないから他部署の人なのは当たり前なんだけどね。
「なにかしら。せっちゃんが何かやらかした? それとも縁ちゃん? ないとは思うけれど今度うちに来る予定の一会さん?」
「違います! うちに保管されていた伊皿木家の遺伝子が盗まれました!」
「ぶふっ!」
伊皿木家の遺伝子、正確に言うならせっちゃんの兄弟姉妹の検査結果。
外部で検査を受けさせるのは危ないと考え、方々に手を回して公安経由で各々の勤め先の検査を買って出た際に保管していたものだ。
「だ、誰のが盗まれたの!」
「伊皿木刹那、ならびに伊皿木辰男の遺伝子です!」
「……犯人の行方は?」
「既に縁さんが確保しました。しかし……」
胃がキリキリする、けれど胃薬を口にする時間すら惜しい。
「早く! 一分一秒すら惜しいのよ!」
「はい! 既に遺伝子は複製され、ネットに声明が出ています!」
急いで言われた通りのサイトに飛んで声明動画を確認する。
そこにははてなマークを三つ繋げたような紋章を黄色いレインコートに刻んだ男性が映っていた。
『ハロー、各国政治家諸君。我々は……そうだな、ジャパニメーションで言うところの悪の集団、アメリカンヒーローで言うところのヴィランだ。前置きはこれくらいにして、さっさと本題に入ろうか。我々はとあるルートから特別な人間の遺伝子を手に入れた。少々凶暴だが、これをもとにとある兵器を開発してね……』
「あの……三根部長」
「ごめん、ちょっと黙ってて」
『このフラスコの中身、我々はホムンクルスと呼んでいる。西洋の錬金術におけるフラスコの中の人という意味だが、見ての通り人なんて入っていない。入っているのは人を発情させ、どのような避妊をしようとも男女問わず妊娠させてしまう薬だ。今から1時間後にこれを世界中に散布する。人口爆発世界崩壊計画とでも呼ぼうか。今から3年のうちに世界は崩壊するだろう、それでは諸君。さらばだ』
……なにを考えているの。
たしかに伊皿木辰男、せっちゃんのお兄さんの遺伝子を利用したのならそのくらいはできてもおかしくない。
現行の避妊具で防げているのが不思議なほどに彼の生殖能力はずば抜けている。
そこに少し手を加えれば、以前せっちゃんの血液を経口摂取させたマウスのごとく兵器のように扱い、媚薬として散布して誰彼構わず発情させることもできるはず。
さらには伊皿木家の細胞、通称I細胞には人間の垣根を超えた力もあり、性別の壁くらいなら容易く破壊しかねないものがある。
だとしても人口爆発……それも3年以内に世界が滅ぶとはいくらなんでも大袈裟すぎる……まって?
なんで3年なの?
人口爆発というなら十月十日というくらいだから1年後というべき。
だけど3年……そして盗まれた伊皿木細胞刹那タイプ、通称I細胞Sタイプ……まさか!
「至急各国の食料需給率のデータ! 全世界の!」
「はい!」
「もしもし三根です! 葉山部長! せっちゃんの、伊皿木刹那のデータをこっちのPCに転送してください!」
「三根君か、あの動画を見たのか」
「はい」
「……結論は同じようだな。既に調べ始めているかもしれないが、結論を言おう。I細胞Sタイプを利用した受精卵から生まれたマウスだが通常の100倍の食欲を持って生まれた。エサが足りずに餓死したがね」
「くっ……やはり」
間違いない、I細胞T1タイプを利用した人口爆発は前座にすぎない。
問題はI細胞Sタイプを利用したせっちゃん並みの食欲を持つ子供が大量に生まれる事による食糧問題……そこから始まる飢饉、蝗害なんてものじゃない。
世界全体がせっちゃんの細胞に食い尽くされる!
一刻も早く止めなければ!
「あぁ、そしてあの動画だが……公開されたのは50分前だ」
「そんなっ」
「残り3分と言ったところか。我々にできる事は、せいぜい神に祈るくらいだろう。その神々も匙を投げたがね」
「葉山部長!」
「さぁ、君は地下シェルターに避難したまえ。女性職員は軒並み避難させた。ここに残っているのは私だけだ。痔の薬も用意してある……行きたまえ、そして生き残るのだ三根祥子。君はこれから荒廃していく世界を見届け、その先で新たなイヴになりたまえ。伊皿木刹那、彼女ならばこの程度の窮地は鼻唄交じりに生き残り、そして同性で子を成すくらい当然のようにしてみせるだろう」
「……葉山、部長」
「さぁ、時間がない。ここの職員は任せたまえよ。相手が男というのは業腹だが、腹上死というのは存外悪くないかもしれないと思い始めたところだ」
「くっ……失礼します!」
「あぁ、それでいい。生きるんだ……生きて、この世界を……」
部屋を出て葉山部長の声が聞こえなくなると同時に、空の上で何かが破裂する音を聞いた。
後のことは覚えていない。
気が付いたら縁ちゃんに抱えられシェルターの中で寝かされていた。
中には女性職員が集まっており、そして向こう数十年分の食料を用意できるだけの設備が整っている。
外にいるせっちゃんは大丈夫かしら。
葉山部長、いぼ痔だと言っていたけれど今度は切れ痔になるのかしら。
一会さんは大丈夫かしら。
クリスちゃんは……うずめさんは……そんなことを考え、そして人工太陽光による生活を続け……その時がついに来てしまった。
いつかは来るだろうと思っていた終わりの日。
世界が食糧難に陥った時、真っ先に暴走するのは誰か。
そして食料のわずかな匂いを嗅ぎつけてここにたどり着けるのは、たどり着いたところで頑丈なシェルターを破れるのは誰か……一人しかいない。
「久しぶり、せっちゃん」
「ぐるるるるるるるるるる……」
「すっかり人語を忘れちゃったみたいね。その様子だと世界は本当に滅んだのね」
「がるるるるるるる」
「あぁ、安心して。縁ちゃんたちは既に脱出して生き残った女性職員と一緒に新天地を目指しているから。ここにはわずかな備蓄食料と、私一人……それでもせっちゃんのお腹を満たせるかはわからないけど、存分に食べてちょうだい」
葉山部長は新世界のイヴとなれと言った。
けれど私には無理、せっちゃんの理性が吹っ飛んだ世界で、友人の凶行に怯えながら生きていくことなんてできない。
それはとっくの昔にわかっていた。
だから、ごめんなさい葉山部長、そしてせっちゃん、縁ちゃん、私はここで終わり……。
願わくば、あなたたちが一秒でも長く生きられますように。
大きく開かれたせっちゃんの口を見ながらそう願う事しかできなかった。
「という夢を見たのよ」
「さすがに暴走して祥子さんを食べるような真似しないですよ」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウト」
「祥子さん……みんながいじめます」
「ごめんねせっちゃん、ダウト」




