歓迎会
今回は息抜き回です(気を抜けるとは言っていない)
「いやぁ、伊皿木さんは優秀だ!」
そんな風に私を褒め称えるのは葉山部長、あっさりと運営から書類を貰ったうえに薬品サンプルまで持って帰ったという事で上機嫌になったのよね。
おかげでこうして歓迎会という名の飲み会まで開いてくれた。
「あの連中は胡散臭い! そして陰気だ! そんな相手に一泡吹かせたというのも痛快じゃないか!」
だいぶお酒が回っているのかバシバシと私の肩を叩きながら大口を開けて笑う。
うーん、食べにくいわね。
葉山部長という偉い人、しかも今日初対面で、挙句の果てにそれなりにお高いお店ときている。
いつもの感覚で食べたら空腹を抱えている私は間違いなく食べすぎてしまう。
それは部長の破産に直結しているのだ。
「さぁさぁ、遠慮せずに好きなものを食べたまえ! 今日は全て経費で落ちることになっている。上も了承させたから心配せずに食べなさい!」
「え? いいんですか!」
経費となれば話は別だ。
「すみません! メニューに載ってるのも載ってないのも全部3周ください!」
「おぉ、聞いていた通り豪快だな! だがそれがいい! 若いうちはそのくらいの勢いでなければ!」
「ははは、これでも一時は結構おさまっていたんですけどね。最近になって学生時代の食欲が戻ってきちゃいました」
「ほう、ストレスでもためていたのかい?」
「ストレス……まぁ心身ともに負荷は多い仕事ですね。今も許可を得てフリーランスの立場を表向きとさせてもらっていますが、回ってくる仕事が企画者は馬鹿なんじゃないかなというものばかりだったので」
「ふむ……面白そうな話だな。料理が来るまで聞かせてもらえるか?」
「そうですねぇ……」
なにがあるかしら。
いろいろ思い出になっているのはあるんだけど、ものによっては他国の国家機密に触れるから喋れないのよね。
まさかロシア秘密機関に潜入取材した話なんかできるわけないしね。
あ、あれでいいか。
「アマゾンでワニとピラニアを踊り食いするって企画がありました」
「……実行したの?」
「しましたね。ピラニアの踊り食いはあまり美味しくなかったですけど、ワニは結構美味しかったです。水質のせいか泥くさかったですね」
「アマゾン川の水ってあれだよな三根君……」
「せっちゃんの胃ならその程度どうという事はないですよ。水道水もミネラルウォーターも生水も王水も大差ありません」
ほんのり離れた位置で安全にお酒を楽しんでいる祥子さんが答える。
おのれ……逃げたな。
「王水はさすがに胃を痛めますよ」
「普通は口内から喉にかけて溶けるのよ。胃に収まる時点でおかしいし、それで胃が痛いだけで済むのはもっとおかしいの。そろそろせっちゃんは自分の異常性を自覚しなさい」
「自覚と言われましても……それなりに人並み外れているところがあるのはわかってるつもりですよ?」
「それなりとか言っている時点でアウト」
くっ……なんか知らないけれど今日の祥子さんは冷たい!
「まぁまぁ、二人ともそんな喧嘩腰じゃせっかくの酒が……おっ、料理が来たな」
「おぉ! ではいただきます!」
「あ、せっちゃん。カツオのたたき一切れちょうだい」
「どぞ」
お箸でつまんで祥子さんの口元もっていくとパクリと食いついた。
そしてゆっくり咀嚼して、可愛らしい喉元が小さく動く。
……なんでこの人こんなに可愛いのかしらね。
「うん、美味しいわ。この味だと生姜もいいけれどニンニクくらいパンチがきいていても負けないんじゃないかしら」
「ん? 三根君は何もつけなかったがそういうの気付く人? 味覚鋭いのかい?」
「えぇ、もとより素材の味って結構好きなんですよ。普段はせっちゃんと、もう一人の同居人に合わせた味付けにしてますけどね」
「同居人さんというと……あぁ、ルルイエの」
「そうです、ルルイエのお嬢さん。せっちゃんの古い友人で今は三人で同居中です」
あ、同居と言えばで思い出したことがあったわ。
「あの、私ってあの家から出たほうがいいですか? あれ一応国から借りてる形になってますよね」
「ん? あぁ、あそこは女子寮という扱いにさせてもらったからそのままで構わないよ。そのお嬢さんについても公安が責任をもって預かる要人という扱いにしてあるからね」
「そうなんですか?」
「あぁ、ルルイエのお嬢さんともなればVIPだからね。国の威信にも関わってくるとなると君たち二人と一緒に住んでいる方がいいだろう。それに前の部屋に戻るにせよ、引っ越すにせよ時間とお金は必要だろう。少なくともあと数年はあそこに滞在できるように申請してあるさ」
「ありがとうございます!」
この人……すごく有能だ!
しかも人情に厚いときている。
いわゆる理想の上司というべきかしら……前の会社の上司もこのくらいまともならよかったんだけどね。
思い出したらお腹痛くなってきたわ……なにがイエティ撮影してこいよ。
ヒマラヤ山脈のぼってもせいぜい白いゴリラしかいなかったし、手ぶらで帰ったら怒鳴ってきたし……思い出したらイライラしてきた。
「おぉ、いい食べっぷりだね!」
「せっちゃん、やけ食いは良くないわよ」
「前の職場を思い出してつい……でもこのくらいなら大丈夫ですよ」
「知ってる。でも一応人前だからね、おでん詰め合わせを飲み物みたいに食べきるのやめなさい。ちゃんと噛んで食べる」
「はーい……」
怒られてしまった……。
でも今のでちょっとわかった。
祥子さんは不機嫌なんじゃなくて、単純に猫被っているんだわ。
おそらくだけど職場では必要以上に個を出さないようにしているんでしょう。
理由があるのかは知らないけれどね。
「そういえば部長、化けオンの調査はどうします? 今まで通りフリージャーナリスト名乗るならブログ更新とかもありますけど」
「それなんだけどね、ちょっとお給料にかかわる相談もしようと思っていたんだ。こういう場でする話じゃないと思うんだよね」
「じゃあ明日聞きましょう」
「そうしてもらおうかな。……ふぅ、ちょっと酔ってしまったか。三根君、カードを置いて僕はお暇するからあとはみんなでゆっくり楽しんでくれ」
「わかりました。領収書は明日提出します」
「あぁ、頼んだよ」
……酔ったという割にはしっかりした足取りね。
それに見たところ呼吸や心音の乱れもない。
何か用事がある……いえ、やることができたとみるべきかしら。
「せっちゃん、顔」
「はい?」
「こわばってるわよ。ポーカーフェイスを忘れてる」
「おっと」
むにむにとほっぺを引っ張って表情筋を緩める。
うーん、最近油断が多いわね。
少し気を引き締めないと。
まだ公安の人は何人か残っているから祥子さんはお仕事モードになっている。
私もいつになく気を張っているけれど、ご飯を食べる手だけは止まらないわ。
「……祥子さん」
「なに?」
「はい、あーん」
「ん、あら美味しいわね。なに今の」
「イカの蟹みそソース漬けです」
「へぇ……こんなに味に深みが出るのね。それにイカの食感も風味も損なわれていない……いい仕事しているわ」
少し祥子さんの顔がほころぶ。
由美さんをはじめとした公安の人たちが祥子さんの表情にくぎ付けになっていた。
「おい、三根女史が笑ったぞ……」
「あの人あんな可愛い笑顔するんだ……」
「昼間話した時もいつも通りの感じでしたけど……あ、でも資料見てる時に震えだしたりビクッってなったりしてました」
「おいおい、あの鉄面皮がマジかよ……」
「それ何時ごろだ?」
「確か……10時前くらいだったと思います」
「という事は順番に見ていったとしてEくらいは終わっているよな」
「F……いや、Gか……? となるとあの黒いの……あるいは払魔方面か?」
「まさかあの三根女史が幽霊を怖がるわけないだろ……」
あーでもないこーでもないと公安の人たちがこそこそと、しかし私はもちろん祥子さんでも聞き取れるレベルの声量で話している。
祥子さんはと言えば耳が赤くなってじっとりと睨みつけている。
ここでそっとホラー映像流したらどんな反応するか、ちょっと悪戯心がくすぐられてしまった。
スマホに手を伸ばそうとした瞬間、目の前を何かが通り過ぎた。
「せっちゃん? 変なことしたら……明日からご飯作らないわよ」
壁に突き刺さるお箸。
下手なことしたら……やられる!
「すみませんでした!」
「あなたたちも、そんなに気になるならこそこそしない。聞かれたら答えるわよ。ちょっとしたトラウマがあって幽霊が苦手になってしまったの。それで今は酷く臆病になったのよ。黒い虫も苦手だけどそこまで酷くはないからね」
そう答えた祥子さん。
ただしアルカイックスマイルのためとても恐ろしい。
「まさかそんなことする人がいるとは思わないけれど、悪用しようとしたら……フフッ」
何をする気かわからないけれど祥子さんは本気だ。
本気で……酷いことをするだろう。
これ以上の追及は誰も幸せにならないし、そうはならなかったんだよ。
だからこの話はここでおしまいなんだ。
そうしないと私達の明日は永遠に来ない……うんやめておこう。
その後は気を紛らわせるためにお店の料理も飲み物も全部食べつくし、飲み尽くし、そのままの勢いで5軒ほどはしごしてから帰宅して夕食と呼ぶには遅い、もはや夜食ともいえるものをクリスちゃんと祥子さんと私で食べた。
ちょっとお説教されたけどね。
かわいい祥子さんも、こわい祥子さんも見られたから満足という事にしておきましょう。
ロシアにはばれなかった。
白ゴリラはアイゼン付きの靴でがけ下にけり落とした。




