ゲームの始まり
朝7時、普段より早く目を覚ました私は朝食の準備をしていた。
今日は待ちに待ったアレの発売日だ。
あれこれと必要な工程を終えてからキッチンへ、逸る気持ちを抑えようとしているがどこかそわそわしてしまう。
落ち着くためにコーヒーを淹れてパンを2枚焼く。
チンッという音と共にオーブンに投入した食パンが香ばしい匂いを漂わせる。
甘美なそれは、寝起きの私に食欲を思い出させてくれた。
食べることは好き、だけど私の場合少し普通とは違うところがあるようだ。
いわゆるゲテモノ料理、外見から忌避されるようなものであろうとも躊躇なく食べることができる。
友人からは「あんたは無人島に漂着したら死人の肉でも食べられそうだよね」とまで言われた。
否定はしない、というかできない。
あまりいい思い出ではないが高校生の頃までは未知の味というものに興味があった。
その中には禁忌ともいえるカニバリズムへの興味も含まれる。
つまるところ私は食欲は人並みでも、食に対する好奇心は人並み外れていると言える。
まぁ社会人となった今ではそれらの興味も抑え込むことができるようになっているが、学生の頃の私は何かと荒れていた。
右手の指先に残る小さな、しかし消えることのない傷は血の味に興味を抱いた私が彫刻刀でつけたものだ。
結論から言ってしまえば血はあまり美味しくなかった。
その後怪我に気づいた両親に色々聞かれたが手を滑らせたということで落ち着いた。
けれどそれはあくまでも表向き、両親ということは私にとってそれだけ身近な存在であり、私の趣向の一部くらいは把握していたはず。
どこかでわざとやったのだろうと思われていたのは推測できる。
その時の表情を思い出すと今でも心苦しいが、そんなきっかけがあったからこそ更生できたと言っても過言ではない。
でもこの好奇心は抑えられているだけ、心の奥底では今も溶岩のように煮えたぎる思いがふつふつと溜まっていっている。
それを解消するべく私はフリーのジャーナリストになった。
基本はブログ収入とグルメ番組の現地レポート、他にもメルマガなども配信しているが一部のコアな顧客のおかげで仕事は上々。
私と同じような、しかし根底は違う変わりものが好きなスポンサーなんかもいるおかげで懐は温かい。
強いて言うならばスポンサーのお眼鏡にかなうだけの珍品を取材する必要があるということくらいだろうか。
取材の対象は当然食事、国内外問わず珍味といわれるものは何でも食べた。
個人的にお気に入りなのは豚の睾丸だが、あれはなんだかんだで食べやすい部類だろう。
また一般的なものであれば生の羊肉なんかは非常においしい。
ゲテモノや珍味に興味があるとはいえ私の味覚は普通なのだから、美味しい物の方が好きというのは当たり前だと思う。
思うんだけど……周りからなかなか理解されないのが悲しいところ。
くぴくぴとコーヒーを飲みながらパンにチーズとハムを載せて軽く人工調味料を振りかけた物体を口にする。
うん美味しい、人工調味料の類は体に悪いと言われるけれど正直そんなのはどうでもいい。
美味しいは正義だから。
そんなことを考えているとベッドルームからピーという電子音が響いた。
一瞬の停滞、思考の放棄というべきか、あるいは動けという脊髄の反応に対して脳みそがストップをかけたことによる肉体の硬直か。
どちらにせよ私が今できるのは口の中のものをコーヒーで流し込み……。
「朝飯食ってる場合じゃねえ!」
空になったマグカップを流し台に向かってぶん投げる事だった。
口の中の苦みも、ガシャンという愛用のマグカップが無残な姿になったであろう音も、もう一枚残っている食パンも、すべてがどうでもいい。
今重要なのはそこではなく、電子音の正体。
一家に一台、バーチャルオンラインツールベッド、通称VOTベッドに駆け寄った私は外につけられたコンソールから電子音の正体を確認する。
2135年現在、既に人類は通勤通学といった不便から解放されていた。
バーチャルオンラインツールのおかげで外に出る必要はなく、仕事も仮想アバターを通した電脳会議、食事は自分で作る必要があるし、ある程度のものは自分の足で販売店に行かなければならないけれどそれも週に一度くらいで十分。
金持ちの中には自動で食事を作ってくれる機械なんかも持っているらしい。
私も取材の一環で食べたことあるけど、妙に味気なかったのを覚えてる。
それはともかくとして、このVOTは学業や仕事以外での使い道がたくさんある。
例えばオンラインショップでの試着だったり、個人シアターのような使い方、他にも男性なんかは夜のお店で遊んだりといろいろあるが最大の目玉は五感を完全再現したゲームにある。
完全再現といっても触覚、ともすれば痛覚の方は行き過ぎると危険ということもありある程度セーブされているがモノ好きはその痛覚遮断システムをオフにしている事もある。
それが原因で命を落としたり、ショック症状による幻肢痛などに悩まされるものが増えたことで現在世間に出回っているものは痛覚遮断システムをオフにすることはできないけれど、味覚や嗅覚は完全。
いや、それ以上に再現されている。
私はこのVOTを使ったゲームが大好きだ。
未知の味というものをこれでもかというほど味わうことができる。
安っぽいゲームでは適当な味覚プログラムを使っているが、本格的なものでは化学遺伝子やらなんやらをもとにして味覚再現を行っているらしい。
つまり実在しない動物や、絶滅した存在、そういった生物の味を自らの舌で味わうことができる。
……昨日食べたドラゴンのステーキは美味しかったなぁ。
じゃなくて、ともかく今重要なのはダウンロードされたゲームにある。
今世紀最大の問題児とまで言われたゲーム、古今東西あらゆる生物の情報に始まり、伝説上の存在やゲームのモンスターなどの存在まで独自のシステムで解析したことで五感エンジンをフルに活用できるそれは私にとって未知の味を教えてくれる救世主のような存在だ。
いかんせん私のブログや記事は食レポよりもゲーム攻略を見たいという人が集まっている傾向が強いのはVOTゲームの食事風景を撮影することが多いからだと思うけれど、ともかく私はこれからそのゲームに挑む。
タイトルからして問題があること間違いなしの『化け物になろうオンライン』に!




