この若いみそらで傅役とか、オレ大丈夫?
時は戦国、奥州伊達家に仕える片倉小十郎は、「もののけ付き」と噂される嫡男、梵天丸(伊達政宗の幼名)の傅役を仰せつかるが…?
梵天丸とそれに関わる人々と、片倉小十郎の平凡でない日常を描いた、歴史ファンタジーコメディ(?)
史実とは程遠いですのであしからず。
「伊達家のご長男、梵天丸様は"もののけ"が憑いているそうだ」
片倉小十郎景綱が、そんな噂を聞いたのは、伊達家16代当主、伊達輝宗の小姓として登用されてから、しばらく経ってのことだった。
輝宗の長男の梵天丸は、歳は9歳。幼いときに疱瘡にかかり、右目の視力を失ったばかりか、目の奥に膿が溜まって、醜く目玉が飛び出しているという。そのせいで性格も暗く、部屋に引き籠もって、めったに人前には出てこないと聞く。
小十郎はまだ梵天丸には会ったことがなかったが、仮にも伊達家の跡継ぎとなろうお方を"もののけ"付き呼ばわりする者がいるとは。
最近では、その様な長男を除き、弟の竺丸を当主にしようとする不穏な空気も漂っている。これが本格化すれば、伊達家を二分する相続争いにもなりかねない。
小十郎は精悍な顔を微かに歪めて、小さくため息をついた。
9歳といってもまだ子供である。今から跡目争いの重圧がのしかかり、病気のせいで好奇の目にさらされ、梵天丸がどのようなつらい思いでいるかと思うと小十郎の胸は痛んだ。
自分が梵天丸と同じような歳の頃を思いだして、唇をぎゅっと結ぶ。
小十郎の家は、米沢の小さな神社の神官の血筋に、次男坊として生まれた。早くに母親がなくなり、家を継ぐ事の無い小十郎は、子供のいない親戚に養子として出されることになった。
今からちょうど13年前の6歳になったばかり、季節は秋に入ったばかりだというのに、妙に肌寒い日だった様に記憶している。
親戚の家の者が、小十郎を迎えに来て家を出る時、ふと小十郎は家を振り返った。
自分はもうこの生まれ育った家に戻って来ないのだと思うと、なんだか片倉家に捨てられた様で切なく悲しかった。涙をぐっと堪え、小さいながらも、他家で生きることを堅く決心し、家の門を出て行った。
……はずなのに。
新しい両親は、小十郎に多大な期待をかけ、学問、武道、作法を習わせ、小十郎もその期待に答えようと、どんなに辛くても必死で努力をした。
ようやくそんな生活に慣れた頃、両親に生まれないと思われていた男の子が誕生したのだ。
すると、手のひらを返すように、小十郎の事は不要と片倉家に戻されることとなった。まるで犬猫の様に。
どちらの家にも居場所のない自分が、役たたずで世の中に必要とされていない人間ように感じ、暗い孤独の淵に突き落とされた。
ーーオレはいったい何なのだ?
その時の暗い気持ちはまだ消えていない。胸の奥底に黒く重くヘドロの様に沈み込んでいるが、ふと気を許すと、黒い頭をもたげて小十郎を苛むのだった。
「…くら。片倉」
上司に呼ばれて小十郎ははっと顔を上げた。
書類の整理をしている最中、手を止めて難しい顔をしている小十郎を不審に思いながら、上司の男は要件を告げた。
「殿がお呼びだ」
「はっ」
小十郎は、立ち上がると軽く頭を振って、気持ちを切り替えた。
長い廊下を渡り、輝宗のいる部屋の前まで来ると襖越しに声をかけた。
「片倉小十郎、参上いたしました」
優しげなよく通る声ですぐ返事が返ってきた。
「小十郎か。お入り」
輝宗は、いつも小十郎に話をする時、身内に話すようにくだけた物言いをする。それほど、小十郎が信頼をされている証拠である。
小十郎は、主の声を確認して、膝を付いたまま、かしこまってスッと襖を開け平伏した。
「小十郎!」
その時ものすごい勢いで、横合いから抱きつかれ、危うく後ろに転びそうになるのを寸での所で堪えた。この声はよく知っている、聞き覚えのある声である。
「あ……義姉上……?」
「やったわね!あなたなら適任だと思ってたわ!」
小十郎の義姉、喜多が顔を紅潮させて小娘のように喜んでいる。
小十郎は、状況がつかめず一瞬呆然としたが、すぐに正気をもどし冷静を保った。
どんな状況であっても、自分の頭を冷やし冷静さを保つという事に小十郎は長けている。その後、状況を把握し考えをまとめることで、理にかなった行動がとれるのである。
小十郎の義姉、喜多は小十郎と20歳以上も離れた異母姉弟である。
元は伊達家家臣の鬼庭良直の娘で、喜多の母が男の子を産めず鬼庭良直と離縁後、小十郎の母が亡くなった後、小十郎の父、片倉景重の後妻として入ったため、小十郎とは異母兄弟となったというのが経緯である。
未だ独身を通し、今は梵天丸の「乳母」として、梵天丸の身の回りの世話をしている。
もう40は近い年齢であろうが、実年齢よりもずっと若々しく、凛とした美しさがある。
この時代の女性には珍しく、大変勝ち気な性格で、文武両道に通じ、兵書を好み講じる変わり種である。
小十郎は、子供心に『この人はなぜ、男に生まれてこなかったのであろう?』と何度も思うほど、活発な女性だった。
小十郎が親戚の家から帰されてしばらく、落ち込んで自暴自棄になっていた。何もする気が起こらず、もんもんと日々を送っていた時、喜多とささいな事で喧嘩になった。喧嘩の理由は覚えていない。
「あなたねえ、男のくせにいつまでメソメソしている気なの?」
義姉はあきれたように、小十郎を睨んだ。
小十郎だってわかっているのだ。このままではいけないことくらい。でも、半端者の自分に自信がもてず、喜多の言葉に心を抉られ、珍しく小十郎は声を荒げた。
「ほっといてくれよ!どうせオレなんてだれからも必要とされてないんだから!」
竹がはぜるような音が、左頬を打ったかと思うと、小十郎の目の前に星が散った。左頬がじんじんと熱くなってくる。
「……だったら、必要とされる人間になりなさい。たくさん勉強をして、武術を極め、己を鍛えなさい。あなたは、神社を継ぐ必要もない、この家を出て天下に名をあげる事だってできる! 男なんだから……」
喜多は、小十郎の小さい肩を揺さぶって、そしてぎゅっと胸に抱きしめた。
「私はあなたが、羨ましい……」
喜多は泣いていた。この時初めて男勝りな義姉の涙を見た。彼女は怒っていた。小十郎にではなく彼女自身に。この時の義姉の腕の中の暖かさを小十郎は未だに、忘れてはいない。初めて義姉の心に触れた気がした。
喜多が文武や兵法に秀でている事や勝ち気な性格なのも、自分が女であるが故に母に辛い思いをさせたと、自分が男だったらと、ずっと責めているのかもしれない。
小十郎は、弱音を吐いていた自分を恥じた。義姉の分まで立派な男になろう……そう心に誓ったのだった。
それから、喜多は小十郎の義姉であり母のような存在になっていった。
結局、小十郎は喜多に頭が上がらないのである。
小十郎は、今の状況を把握するために、姉の美しい顔をまじまじと見た。
しかし、状況は、当然一向につかめない。
「まあまあ、喜多。小十郎が驚いているじゃないか。さあ小十郎、ここに座りなさい。」
輝宗は、喜多の行動には慣れているのか、脇息にもたれながら、くつろいだ雰囲気で小十郎をそばに座らせた。
小十郎の主、伊達家十六代当主輝宗は、見た目おっとりしていて優しげである。いつもにこにこしていてどこか頼りなげだが、この頃頭角を現していた織田信長に、鷹を献上し保身を謀るなど、かなりの外交上手で先見の明を持っていた。人を見る目も確かである。
喜多は、部屋の隅に座り直し場を見守った。
「殿、ご用は何でござりましょうか?」
小十郎は気を取り直し、輝宗に頭を下げる。
そもそも、義姉が同席していることからして、よくわからない。
「小十郎は、ここに来てどの位になる?」
「はっ、一年と六ヶ月になります」
「そうか、先の戦では、ずいぶん活躍してくれた様だしのう。お前はいつも冷静に行動し、的確にに判断ができると、周りの者はお前と共におれば生きて帰れるなどと噂をするほどじゃ。頼もしいことだの」
輝宗は、はっはっはと笑い、いたって気楽な感じで話かける。
「はっ、恐れ入ります」
「それでな、そんなお前を見込んで頼みがあるのだ」
「はっ」
小十郎は、緊張した面持ちで輝宗を見た。主の直々の頼み事とあれば、きっと重大で秘密裏な事なのかもしれないと気を引き締める。
「うむ……、じつはな」
「はっ」
小十郎はぐっと身を乗り出した。
「梵天丸の傅役になってはくれぬか?……と思うてな」
「はっ、え……? ええ?!」
小十郎はまったく予期せぬ言葉に思わず仰け反った。
「わ……私がですか?」
輝宗は、はっはっはと扇をひらひらと仰ぎながら頷いた。
「梵天丸の乳母のたっての願いでもあるしの。」
小十郎は、はっとして、義姉の方を振り返った。
喜多は嬉しそうに微笑んでいる。
「小十郎……」
名を呼ばれ、小十郎は輝宗の方に振り向いた。
輝宗はそっと小十郎のがっしりとした逞しい肩に手を置いた。
「梵天丸を頼む…」
今までとは打って変わり、真剣な面持ちで、輝宗は小十郎の瞳をのぞき込んだ。そこには、我が子を唯々心配する一人の父親がいるのみだった。
「どうか…梵天丸の“もののけ”を退治してやってくれ」
「……殿」
小十郎は、ぱっと身を引くと平伏した。
「この小十郎、謹んでお受けいたします」
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