爽・草・争!(三十と一夜の短篇第27回)
朝の陽差しにみどりの葉がきらめく。
夜明けに降った雨が水滴となって、やわらかな葉のうえにとどまっているのだろう。
「すてきね」
肩口までの髪を揺らして、彼女がほほえむ。視線は窓のそと。朝を迎えた鮮やかな庭のみどりに向けられている。
「ああ、気持ちのいい朝だね」
やわらかな笑顔をうかべる彼女に彼は笑みを返し、湯気の立つカップを渡しながら、彼女がうっとりと見つめる優しい光景に目をやった。
ふたりがしっとりとぬれた朝の庭を眺めていたそのころ。
朝日に輝く葉のなかでは、緊急事態を知らせるシグナルが駆けめぐっていた。
「保護層の間隙より、侵入者あり!」
葉の表面を覆う蝋膜に守られた保護層のすき間から、いままさに病原菌が菌糸を伸ばして侵入しようとしている。
水滴にまぎれてやってきたのであろうその菌糸を感知して、植物体内ではさまざまな指令が駆け巡る。
「異物の侵入を感知、防御壁を展開しろ!」
すぐさま物理障壁が設けられ、菌糸の侵入を阻む。
「植物体を守るためだ、小さな犠牲はやむを得ない。対象細胞における原形質流動を停止せよ!」
「原形質流動の停止とともに、オキシダティブバーストを発動! 防御反応を起こせ。なんとしても侵入を阻止するんだ!」
防御壁の効果を確認する間もなく、さらなる指令がくだされる。危険にさらされたとしても移動のできない植物は、外敵から身を守るため過剰ともいえるほどの反応を示すことがある。
「対象細胞の原形質流動を停止。同時に、オキシダティブバーストを発動します!」
病原菌の侵入を受けた細胞をみずから殺し、さらに防壁反応を促すための現象を起こす。オキシダティブバーストの発動は諸刃の刃で、病原菌の細胞だけでなく植物の細胞にとっても毒となる。
けれどもためらいはない。一部を犠牲にしてでも、守らねばならないものがあるのだ。
戦いはほんの数秒。その数秒が生死を分ける。
「……対象細胞、死亡しました。侵入者の沈黙を確認。防御反応、解除します」
植物の全身を駆けめぐるシグナルが書き換えられても、反応は止まらない。
今回は侵入を感知し、すぐに撃退することができた。けれど、次もそうだとは限らない。侵入され、増殖されてしまえば、最後に待っているのは死だけだ。
だから、植物は戦うことをやめない。
侵入者の感知から数時間、抗菌物質の合成を行い、細胞壁の硬化を促す。新たなる侵入者への備えを怠らない。
自身を守ろうと全力を尽くした植物の闘いのあとに残ったのは、いち枚の葉のうえのちいさな茶色い点。
植物体を守るために散っていった細胞の死は、次の命を残すまでの間に受ける傷のひとつに過ぎない。
細胞という尊い犠牲のうえに生き延びた植物体は、まだ見ぬ病原菌や未知のストレスに備えて警戒を怠らない。その命が尽きるまで、次の命をつなぐまで、力の限り戦い続ける。
そよぐ風に庭の草木がゆれる。
数多ある葉のなかのいち枚にかすかな茶色い点があることなどちらとも匂わせることもなく、葉が風におどる。
さざめく水面のように光りを放つ葉のきらめきに、彼女はほうっと息を吐く。
「なんてきれいなの」
みどりいっぱいの庭にして良かった、と彼女は満足げだ。
「やっぱり植物が身近にあると、癒されるね」
言い合って、ふたりはそろってカップの中身をすする。あたたかな湯気がふたつ、ほわりと上がってまじりあう。
強さを増してきた陽光への対応や、活動をはじめた昆虫による攻撃への抵抗と慌ただしさを増す庭の草木を眺めながら、彼らはゆったりと、おだやかな時間を楽しんだ。
これはコメディだ、と言い張ってみます。