受容
二部作の後半。前半は提示。話が見えないときは提示をお読みください。
あんまり気が乗らないから、行くつもりはなかったが、どうも塩梅悪く時間ができてしまい、言い訳がない。敏江は、重い足取りで友人が所属している市民オーケストラの演奏会に向かっていた。高橋なんとかという学生指揮者が指揮するらしいと知って、余計に行きたくなかったのだった。それまでも有名な指揮者も来るような市民オーケストラで、アマチュアとしては上手であるという評判を取っているらしいが、大して面白いと感じることはなかった。社交辞令も嫌いなので、友人には特に感想を伝えることもせず、演奏会ではひたすら有名な指揮者に着目するのみであった。なんで、こんな演奏なのに、みんな拍手するのか不思議であった。上手であるという評判があるから、最後の曲が終わったら大拍手という、おきまりの儀式なのだろう、日本人らしい、と感じていた。
「敏、こっち空いているよ。」
友人の博美が二、三列前の席に座っていた。
「この前の息子さんの発表会、良かったね。」
確かに、小学生の息子がお世話になっているピアノ教室の発表会の方が、毎回、このオケの演奏会より面白い、と敏江は思っていた。
「ありがとう。中学生になっても続けてくれるといいのだけれど。」
「でも、男の子は大変でしょう。」
音楽家になるのは、男だけでなく女も大変だ。レッスン料、海外留学と結構お金をかけても、それを取り戻せる見込みはない。ただ、趣味としてでもずっと続けてくれればいい、中途半端なところで止めてしまうのはなんとなく残念な気がする。敏江は、そんなふうに思っていた。
「音楽を続けていれば、大人になってから良かったと思うはずなんだけどね。」
市民オケはどこでも演奏会では料金を取る。しかし、大抵団員は知り合いにチケットを無料でばらまく。交通費を使い、時間をかけて聞きに来てくれるのである。仮に1500円だったとして、1500円の定食を食べるのと市民オケの演奏会に行くのと、どちらが満足度が高いかといえば、それは定食であろう。美味しい定食を選んで食べるのだ。義理で行く演奏会で大したこともない演奏を聴くのとは全然違う。そして、定食屋ではなく演奏会に行きたくなるような演奏をしよう、などと考える市民オケなどこの世には存在しないのだ。
拍手とともに若い指揮者が現れた。敏江は、あっ、イケメンと思ってすぐに好感を持った。指揮台に立ち、後ろを向いてから心の準備をしているのか、長い静寂があった。そして、一曲目のメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲が始まるやいなや、敏江はすぐに惹きつけられた。いつもと違う。そこには紛れもなく音楽がある。この神秘的な音、リズムの輝き、調和そのものの響き。それはもはや音ではなく、心の中に自然に入り込んで開示されるシュークスピア、そしてメンデルスゾーンの世界。こんな演奏は聞いたことがない。惚れ惚れする音色とか美しすぎる和音とかがあるわけではないのに、そこにはまぎれもない一つの創造された空間があり、その真っ只中に自分がいた。鳥肌が立つ演奏であった。序曲が終わると、会場の雰囲気はまさに音楽に酔いしれた人々の満足感で満ちているのがわかった。そう、これからこんな楽しい音楽がもっと聞けるのだ、これほど幸せな瞬間はない。
演奏会の帰り道、博美と別れて一人になると、演奏会の体験が思い出された。人によっては演奏会の体験をずっと保持したいために、誰とも話さず、黙々と一人で帰るという人もいると聞いたが、友人との世間話をした後でも、その体験は蘇ってきた。そして、あの体験は何だったのだろうと考え始めた。世界的にも著名なオーケストラであれば当然かもしれないが、アマチュア中心の未熟なテクニックの市民オケなのに、何が私にそういう体験をさせたのであろうか。しかもこれは奇跡などではない。普通に起こり得るから起きたことなのだ。彼が必死にメンデルスゾーンに向かい合ったいたことだけは確かだ。いや、それしかないのだ。そして今、私の心はとても心地よい状態にある。これが音楽の力というものなのだ、と敏江は思った。
敏江はその後もその友人の市民オケの演奏会に行きたいと思ったが、今までのばちが当たったのか。その後は毎回別の用事が重なって行くことができなかった。そのうち、友人はオケを辞め、それがきっかけでその市民オケとも縁が切れてしまった。しかし、たった一度であるが、あの演奏会のことは一生忘れることはないだろう。それは敏江の心の中に確かに何か価値あるものを残したのであった。