観覧車 (臨海散歩録4話より)
それはもう、遥か遠くからでも見る事が出来る。ー
川添いをずっと自転車で走ってきた。いよいよメインストリートにぶつかる。そこを曲がることはせずに、真っ直ぐに横切っていくとまた、道に繋がる。
右手の自動販売機はいつも不自然な程に明るく光っている。それに隣接している建屋はもう、何遍も見ている筈なのに、何の建屋なのか全く思い出せない。もしくは、知らないのかもしれない。過ぎてしまってはもう、確かめる気にすらなれない。
そんな事を思っていると、いよいよ近づいて来る。
さっきからずっと視界に在った筈なのに、まるで今、林の中から現れたかのような、そんな気持ちになる。
鉄の大建築。近づいて行っているのか、近づいて来ているのか、遠近感がおかしくなってわからなくなる。
闇夜にただ、静寂を守りながら確固たる主張を持って、そこに君臨している。
比類する何者も無い孤独。故に絶対でありながら、王を連想させることのない孤独。
華やかだったイルミネーションが消えた深夜の観覧車がただそこに在る。
自転車を止め、目の前の小さな林を隔てて見上げてみる。
骨組みの細部までもが、思いの外はっきりと見え、ぶら下がっている幾つもの窓には、一人の人影も見当たらない。
イルミネーションが消えても、その骨組みにはライトがぼんやりと灯され、所々に赤い点滅を示している。
真っ直ぐ建っている事が怪しく思える程に傾斜が前がかりにあるように見え、今にも倒れかかってくるような連想を否応無くさせられる。
その気になれば保っている距離など一瞬で無意味にさせられる程に高く、広く、比べて自分がいかに小さいのかを嫌らしい程はっきりと思い知らせてくれる。
しかし、特別注意して見ずとも、その骨組みのあいだ、あいだには大きな隙間があり、私はその小さきが故、骨組みの隙間をすり抜けることが出来るのだ。
その感覚だけが唯一、対等であるという感情をぎりぎりの所で支えてくれている。祈ろうとする弱さを寸前で振り払ってくれる…。
どうして巨大なものは人の不安を駆り立てるのだろう。私の感情がそれに過多しているとはいえ、誰しもに大小、通ずるものはある筈だ。
海や空、あまりにも広大なものには安らぎすら覚えるのに、何故、目の前の巨大さには不安を抱くのだろう。人工物だから?ー必ずしも全ての理由がそうではない。時に自然物であっても、その獰猛、静寂に関わらず、もっと言えば、その生死に関わらず、ただただ巨大が故、それだけを理由とした不安は存在する。
負ける事のない、しかし到底、勝つ事も出来ないものに対する不安。恐怖。
まま私の感情が過多であるにしても、ただその存在を今は感じる。
観覧車の周りを囲むように続いている道をゆっくりと進みはじめる。
その後もしばらくそれは、視界から消えることはなかったが、やがてゆっくりと後ろへ逸れていき、ついには完全に視界から消えた。
一度も振り返らないまま、暗い道を進んで行く。ひとつ右に曲がり、川添いに逃れ出る道をひた走る。
両側にそびえている木々のシルエットは、夜空の黒よりも遥か漆黒で、僅かに残る街頭の灯りを遮りながら、空に向け枝を伸ばし、その姿、形をはっきりと黒い空を背に表している。
やがて目の前に川が見えはじめ、それを境に両側の木々が急に途切れ、一気に視界が開かれる。道は川にぶつかり、右に大きく弧を描いている。
そこからはもう遥か先、川を股にかけ陸を繋ぐ、清砂大橋に出会うまでひたすら真っ直ぐに道が続いている。ー
ー 弧を描く道。そこを曲がり切るとまた現れる。
眼下にある野球場(この道は川添いの為に少し小高くなっている。)を挟み、遥か右手、背の高い木々達より尚更に高く、その巨大さを主張しながら、静かにそこに佇んでいる。
走ってきた距離をして尚、その姿が消えることはなかった。
しかしその巨大さに関して言えば…ーその時、同時に見えた様々な建造物、ビルや駅のホーム、それに続く何処までも横に長い線路。これらに相見え、彼本来の不気味さ、強さは鳴りを潜め、その時ばかりは失望にも似た安堵を…何故だかそんな感情に包まれながら、視界の端から自然とそれが消えていくまで、その姿を見るでも無く見続けていた…。ー………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
ー川添いをずっと自転車で走ってきた。いよいよメインストリートにぶつかる。
休日の昼間は冬とはいえ、多少の賑わいがある。そこをそのまま真っ直ぐに横切り、一気に近づいていく。自転車を止め、目の前の小さな林を隔てて見上げてみる。
細部まで見える骨組みに、ゆくっりとした動きがあるのがわかる。
そこにぶら下がっている、いくつもの窓のうち、何個かには人影が見える。表情を覗き込もうにも日の光がそれを許さない。
私は観覧車の周りを囲むように続いている道をゆっくりと進みはじめる。
やがて夜と同じように後ろへと逸れていき、視界から消えていくそれが、その時、思い起こさせたのは、いつかの…ー幼い頃、連れて行ってもらった遊園地の、ここにあるものよりも遥かに小さい、それに乗った時の記憶ー
そんな懐かしい記憶を、ただただ思い起こさせるばかりだった。