(閑話1) 青い髪の少女の思い出
アネットの初恋の人視点です。
俺がその女の子と出会ったのは、俺にとって少し恥ずかしい場面だった。
不可抗力なことが立て続けに起こり、精魂尽き果て、森の中の泉のほとりで一人泣いていたときだ。
繁みが動いたかと思うと、ひょっこり顔を覗かせたのは、なんともかわいらしい女の子だった。
深い海のような青い髪は肩の下で切り揃えられ、大きな瞳は澄んだ泉のようにきれいだ。フリルのついたシャツ、ピンクのかぼちゃパンツ、膝下の黒いブーツと、動きやすそうな格好をしていた。
それよりも、俺が驚いたのはその顔立ちだった。
まさか。どうしてここに?
「まりん…?」
「まりん?わたくし、アネットよ。おにいちゃまはどうしてないてるの?おなか、いたいの?」
思わず呟いた名前に、女の子は不思議そうに首を傾げる。そして俺は女の子の言葉にあわてて涙を拭う。自分より年下の子に心配されるとは。とは言っても、2、3歳くらいしか変わらないだろうが。
「いや、何でもない。アネットと言ったか。こんな森の奥に一人でいたら危ないぞ。誰か大人は一緒じゃないのか?」
「おじいちゃまたちがあっちにいるのよ。わたくしは、おにいちゃまのこえがきこえたから、きたのよ」
「そ、そんな大きな声で泣いてないし、周りに誰もいないのを確認したんだけどな」
「ここがまだぬれてるの」
小さな手にハンカチを持ち、俺の頬に残っていた涙を拭いてくれた。そしてニコリと笑う。その笑顔に、気持ちが少し穏やかになっていくのがわかった。照れ臭くて、顔をそらしてしまう。
「あ、ありがとう」
「マリンって、だあれ?」
「うぐっ」
「マリンって、かわいいおなまえ!」
無邪気なアネットの言葉に、思わずむせる。子どもって無邪気だよなー。まりんに似た顔で笑いかけられると弱い。
「まりんは、俺の…幼馴染みだ」
「おさななじみ?」
「ああ。それよりもアネット、お願いだ。ここで俺と会ったこと、そしてまりんの名前は、誰にも言わないでくれ。秘密にできるか?」
真剣な顔で、俺はアネットに頼む。俺の存在が他に知られるとまずい。 いろいろな人に迷惑がかかる。まだ5、6歳くらいの女の子を真剣に見つめる。この子はきっと、わかってくれるはずだ。
「ひみつ?」
「そうだ、俺とアネットだけの秘密だ」
「ひみつ!わたくし、だれにも、いわないの!」
「ありがとう」
何故かおおはしゃぎするアネットの頭を思わずなでてしまった。俺を見上げるその顔は、なんともかわいいものだった。
それから、何度もアネットは俺のところに来た。
どうやって俺を見つけ出したのかわからないが、「おにいちゃまのこえがきこえたー」と走り寄ってくる。なついてくれるのは妹ができたみたいで嬉しいが、不思議でしょうがない。
何度か話して知ったことは、アネットはかなりいいところのお嬢様だということ。普段は王都に住んでいるが、弟の病気の療養のため母親の実家があるここへ来たようだ。
そして、アネットはどうやら魔法を使えるようで、その制御を学びに母方の祖父の元に滞在しているとのこと。
あまりにも頻繁に俺のもとを訪れるので、問いただしてみたら、泣きそうな顔で練習をさぼっていることを白状した。
「なるほど。魔法の練習は大変そうだもんな」
「そうなのだ。れんしゅう、たいへんだ。おじいちゃまたち、やさしいけどこわいのだ。あたしは、おにいちゃまに、あいたいのだ」
最近、アネットは俺の言い方を真似する。かわいすぎるが、男言葉はやめてほしい。ついには自分のことを「おれ」と言い出したので、さすがにそこだけは改めた。お嬢様言葉はわからないが、せめて普通の女の子が使うような話し方にさせるべきだな。まりんの口調を思い出しながら、たしなめたりした。
っと、その前に。
「会いに来てくれるのは嬉しいが、練習をさぼるのは良くない。練習をやらないと、魔法は上手くならないのは、アネットもわかるだろう?」
「わかるのだ…」
「俺も剣…の練習をしていたから、アネットの気持ちはわかる」
「おにいちゃま、けんをつかえるの?すごいのだ!」
「あー、いや、うん。ちゃんとした剣じゃないけど」
「すごいすごい!おとうちゃまも、けんがつかえるのだ!王さまと、たたかったこともあるんだって!」
「王様って、この国の王のことか…?アネットの父親って、だいぶ偉い人なんだな…」
剣の話をした途端、興奮状態で目を輝かせるアネットを落ち着かせ、練習の大切さを説く。
納得したアネットは、手を振り、元の道を走って戻っていった。
それにしても、毎回一人でこんな森をかけまわって、猛獣などはいないが、道に迷ったり危険ではないのか。
アネットの言うには、どうやら練習している魔法のおかげで、迷わずにすんでいるようだ。
俺にとって、魔法というものは未知のものだ。
そしてアネットと出会ってから3ヶ月、いつものように、泉のほとりにアネットが現れた。
今日はいつものかぼちゃパンツではなく、レースのついた黄色のワンピース姿だった。そこまで華美ではなく、しかし上品で、とても似合っている。俺は自分の顔がにやけそうなことに気付き、キリッと引き締め直した。
無闇にデレデレするのは、アネットの兄的存在としては相応しくないからな。
「おにいちゃま、きたよー!きょうも、けんのれんしゅう、みせて!」
「アネット、来たか。いつもとは違う服だな」
「おかあちゃまが、つくってくれたんだ!かわいいでしょ!」
「ああ、かわいいな。よく似合ってるよ」
素直に褒めてみたら、アネットは顔を赤くして照れていた。
なんてかわいいのだろう。俺は一人っ子だったので、こんな妹が欲しかったんだ。
でも、こんな顔を見るのも、今日が最後だ。
「アネット、大事な話がある」
「なあに?」
「今日で、アネットと会えるのは最後だ」
「さいご?どうして?」
「俺は行かなければいけないところがある」
「どこに?あたし、まってる!」
「いや、もうここへは帰ってこない。どこに行くかも教えられない。アネットには、二度と会えない」
そう、これから俺の存在は消される。それは、アネットと初めて出会った日、父から告げられたときからわかっていたことだった。それからの日々は、心の準備を整えていた。
それでも、アネットに出会えたことは幸運だった。自分より年下の子と触れあったおかげで、滅入るだけだった日々から落ち着いた気持ちを取り戻せたから。
アネットは理解したのだろう。大きな瞳から、大粒の涙があとからあとからこぼれていた。
「アネット」
「おにいちゃま…もう、あえないのね。ずっとずっと、あえないのね」
「そうだ。もう決まったことだ」
「…さいごに、おねがい、きいてくれる?」
「おねがい?」
「キスして」
「キス?!えっ、握手じゃだめか?」
「キスしてくれなきゃやだー!」
女の子は幼くても女なのか。泣きわめく姿に思わずうろたえる。まあ、頬くらいならいいだろうか。おませな妹だな。
ほんのり赤く染めたアネットの頬に唇を寄せた。
その途端、ピタリと騒ぐことをやめたアネットは、自分の頬を手で押さえた。そして、真顔で言った。
「おにいちゃま、もしもまた、あえたとき、ほしいことばが、あるの」
「言葉?」
「うん。あえたときに、いってほしいの」
ただいま、とか、そういうことか?
会えることはないが、それでもまた会いたいと思ってくれる人がいるのは嬉しいことだと、素直に思った。
そして、まだ教えていなかったことがある。
「アネット。俺の名前は、ゆうりだ」
「ユーリ?」
「ああ。この名前も、秘密にしてほしい」
「わかった!マリンもユーリも、ひみつにする!」
「ありがとう。じゃあ、もう帰りなさい。俺も、もう行くから」
名残惜しそうに、その場で下を向いていたアネットは、最後に涙を浮かべた笑顔で去っていった。
「ユーリにいちゃま!だいすきだよ!またあおうね!」
俺は微笑み、小さな声で呟いた。
「ありがとう、アネット。さようなら」
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とある庭園でお茶を飲む三人の会話が聞こえる。
「…とまあ、アネットとの思い出はこんなものだ。私はまだ若かったから言葉遣いも荒く、それを真似してしまうアネットには手を焼いたものだ。しかし、注意するとすぐに直す、聞き分けの良い子で、本当に妹ができたようでかわいらしかったな」
「…」
「…」
「お、おい、二人とも目が座っているが、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないよ!アネット様の噂、ゆうりのせいじゃん!」
「言葉遣いが元に戻っているぞ、まりん。しかし、まりんの言うことはもっともだ。ゆうり、どうみてもお前に責任がある」
「何故だ?俺は妹のように…」
「いやいやいや!キスのおねだり、とか、次に会えるときに欲しい言葉がある、とか、どうみてもアネット様はゆうりに惚れてるから!つまり、初恋の人ってゆうりでしょ。アネット様が長期間王都以外に滞在していたのって、12年前以来一度もないみたいだし」
「今のゆうりの状態を見せて、アネット嬢はどう思うだろうな。そうだ、会わせてみればいいじゃないか」
「本気で言ってるの?」
「ああ。アネット嬢には、俺も興味があったし」
「お前がか?女嫌いが、珍しいこともあるな」
「ほんとね!でも、私も興味あるな。何て言っても、私に似ているんでしょう?」
「決まりだな。じゃあ、手配しておくよ」
「楽しみねぇ、噂の令嬢。あっ、もうお茶がない!ちょっと人呼んでくる!」
お茶会はまだ続く。
次回はアネット視点に戻りますー。
お茶会に参加します。