伯爵家の侍女には秘密がある?
おや、語り手が変わったのでしょうか?
「マリア、あとはお客様の部屋の掃除をお願い。終わったら休憩に入っていいわ」
「わかりました。ディアナさん、先日の高熱から体調は大丈夫ですか?私、まだ他のお仕事できますよ!」
「もう平気よ、ありがとう。あなたはいつも働き者ね」
陰で鉄面皮と言われている侍女頭のディアナさんが部屋から出るのをお辞儀で見送ります。少し微笑んだように思えたのは、私の見間違いかしら?
扉が閉まったと同時に、私は客室を見回しました。毎日掃除をしているので、そこまで汚れていませんが、気合いを入れます。
よぉしっ、さらにピカピカにきれいにするぞっ!
あっ、初めまして!私はマリア・ルービンシュタイン、18歳です!
男爵の父が病気で伏せているので、家計を助けるためにこの伯爵家の侍女として働いています。働き始めてまだ十日ほどですが。
あっ、髪が少し乱れていました。艶のないこげ茶色の髪を整え、ついでに眼鏡の曇りを拭きましょう。窓に映る私の姿は、侍女用の制服をきっちり着こなした、小柄で地味な冴えない小娘です。
先程のディアナさんや同い年のサーシャさんたち侍女仲間とは、付かず離れず一定の距離をお互い保ってそれなりに上手くやってますよ。
お屋敷は伯爵家の別邸で普段はほとんど来客がないので、家の者5人ほどで管理していたそうですが、今は長期滞在のお客様が数人もいらしているので、私のように急きょ雇われた人が何人かいます。以前のお屋敷よりもお給金が高いことが魅力的な職場は、比較的働きやすいです。
さて、しっかり掃除をしなくちゃ!
…って、結構板についてきたなぁ、即席の侍女姿も。
あ、私アネットです。そう、ブルーメ公爵令嬢の。名前と見た目を偽って、侍女してます。
あの日から十日かぁ。
私は箒を掃きながら、カノン様とルゥの口から聞かされたことを思い出していた。
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カノン様のお屋敷で一泊した翌日、案外すっきりと目が覚めた。私って、本当に寝つきがいいのよね。いろんなことがあったけど、とりあえずしっかり眠れて良かった。
ベッドから降りて、窓際へ向かった。今日は雲が多くて、隙間から少しだけ青空が見える。まだ雪が降るには早いけれど、外はなかなか寒そうだ。
空の神へ、雲の日のお祈りを捧げましょう。
その後、ダイアナとドレスを選んだ。自宅ではないので最低限のものしか持ってきていないが、瞳と同じ色の小さめの宝石を胸元にあしらった光沢のある濃い銀色のシンプルなドレスをダイアナはとても褒めてくれた。
「まあ、なんて素敵なのかでしょう!アネット様はどんなドレスもお似合いですのね」
「ありがとう、ダイアナ。用意したのは侍女のザラなの。彼女の見立てに間違いはないので、いつも任せているのよ。そういえば、昨晩の果物はダイアナが用意してくれたのかしら?」
「え?」
「私、夕飯を抜かしてそのまま寝てしまったから、恥ずかしながらおなかが空いて夜中に目が覚めてしまったの。そうしたら、枕元に切り分けられた果物が用意してあって。本当にありがたかったわ」
「えと、あの、はい。いえ、あの果物は、カノン様からのご指示でございまして」
「そう、それじゃああとでお礼しないと。あら、もう朝食の時間ね」
「は、はい!ご案内致します!」
ダイアナがあたふたしているのが気になるが、それよりも私はルゥも食堂にいるのかどうか考えていた。
と、特に深い意味はなくて、朝食の席で昨晩の話の続きをするのかなって思っただけなんだけどね!
「おはよう、アネット。よく眠れたかしら?アネットは昨晩夕飯を食べていないから、キーラに頼んでたくさん作ってもらったから、たくさん召し上がってね」
食堂にはすでにカノン様がいらっしゃった。テーブルを見ると、ルナやダイアナたちの分の食器も用意されていたので、今朝はみんなで食べるようだ。
それにしても、朝からお美しいカノン様の微笑みを見られるなんて、なんて幸せなの!マルティンに恨まれてしまうわ!
私も笑いながらご挨拶した。
「カノン様、おはようございます。はい、しっかり眠れました!それに、カノン様がご用意してくださった果物を夜中に頂きましたので、おなかも満たされましたし」
「え?果物?」
「あら?ダイアナに聞きましたら、カノン様のご指示だと伺いましたが」
「…ええ、そうでしたわね。空腹は辛いですものね。さあ、あたたかいうちに頂きましょうか」
「はい!」
相変わらずキーラの作った食事は美味しかった。たくさんの種類の焼き立てパンや、新鮮なサラダ、具だくさんのスープに厚切りの燻製肉を焼いたもの。みんなで囲む食卓は、昨日のことなど夢であったかのように和やかだった。
あと、ルゥはこの場にいなかった。別に期待していないけど!密偵だし、朝からのほほんとパンとか食べてたらなんか違和感あるし!
そろそろ食事も終わりに近づいた頃、カノン様が口を開いた。
「アネット、今日はいつまでここにいられるのかしら?」
「あまり長居してもご迷惑だと思い、昼前には失礼しようかと思っておりました」
「そう。アネットがよければ、夕食の前までこちらで過ごしても大丈夫?ブルーメ公爵家にはその旨を伝えますから」
「はい、喜んで」
「良かったわ。それじゃあ、このまま私の部屋へ来てくださる?お話ししたいことがありますの」
「わかりました」
微かな緊張がカノン様から伝わってきた。いよいよ、昨晩の続きが話されるのであろう。私もさりげなく、でもしっかりと頷いた。
通されたカノン様のお部屋は、とても意外であった。
別名バラの貴賓室という名を聞いていたので、全ての家具や装飾品がバラで埋め尽くされているのかと思ったが、シーツもカーテンも家具も真っ白だった。それはカノン様の清廉な印象そのものだ。
ただ唯一、壁にかかっていた絵画が、一輪の深紅のバラの花だった。その色といい、質感といい、まるで本物の花のようで、私は思わず目を奪われた。
部屋の入り口で立ちすくむ私に、カノン様が笑いかけた。
「驚いた?バラの貴賓室なんて呼ばれているけど、真っ白な部屋で」
「はい。その点も驚きましたが、この絵は…」
「ああ、これはね、ルートヴィッヒ殿下から贈られたものなの」
「王太子殿下から?」
「ええ。マルク様が亡くなったあと、悲しみの淵に沈む私に、まだ九歳だった殿下自らバラの花びらを貼り付けて作ってくださったのよ。私の一番好きな花。昔からことあるごとにバラの花をくださって、気にかけて頂いたわ。しかもこれはわざわざハルトマン男爵家でマルク様が育てていたバラを使っているの。弟のハルク様から、生前にマルク様が私にこのバラを贈ろうとしていたという話を殿下がお聞きになったそうで」
「まあ!王太子殿下は本当にお優しい方なのですね。カノン様のことを大切に思っているお気持ちが、絵から伝わってきます」
どんどん王太子殿下の印象が変わっていく。軽薄で女好き、仕事人間で女っ気なし、従姉を思いやる優しさ。
そして下世話ながら、王太子殿下はカノン様をお慕いしているのではないかと思った。幼き頃から、カノン様がマルク様と婚約したあとも。もしかしたら、今婚約者をお決めになっていない理由も、カノン様を愛しているからだったりして。美しく聡明で、マルク様を今でも愛しているカノン様に、愛を告げることができないとか。
ああ、ルゥはともかく、マルク様は元より、さらに王太子殿下まで恋敵なんて、マルティンに勝ち目なんてないじゃない!こんな話できるわけもないし、本当に諦めるしかないわね、我が弟よ。
頭の中で妄想が膨らんでいたら、後ろの扉が静かに叩かれた。我に返り、すすめられた椅子に腰かけると、カノン様が応えた。
「どうぞ」
「失礼致します。カノン様、アネット様、おはようございます。昨晩はよくお休みになれましたか?」
ルゥだった。昨日よりも装飾を抑えた簡易的な服装をしているが、それがとても似合い、より均整のとれた体型がわかり、私は思わず目をそらした。彼も彼で、昨晩私の目の前で見せた必死さは今は全く見えず、淡々としていた。
カノン様が鷹揚に頷く。
「ええ。アネットも、あなたが用意した果物を夜中に食べて、しっかり眠れたそうよ」
「えっ!カノン様のご指示じゃないんですか!」
「ちょっ、ダイアナに口止めしたはずなんですけど!」
驚いた私と焦ったルゥの言葉が重なる。
ルゥの気遣いだったなんて、思いもよらなかった。お礼を言った方が、いいよね…?でも、ルゥはなんでそんなに慌ててるのかしら?
そんな私とルゥを面白そうに見たカノン様が、バッサリ話を遮った。
「その話は面白そうだけど、ひとまず置いておいて、ルゥもこちらに座ってちょうだい。まずは昨晩の話よ。その前に、アネットにお願いがあるの」
「は、はい」
カノン様が真剣な表情で私を見つめた。ハッとした私は背筋を伸ばし、次の言葉を待った。
「アネット、これからこの部屋で話すことは、誰にも話さないと約束してもらえるかしら?それが、例え宰相であるあなたのお父上にご報告するような事柄であったとしても」
「!それは…」
昨晩の流れから、これからカノン様が話される内容は国家機密に近いものであることは、容易に想像された。普段から何かと気にかけてくださるカノン様の頼みなら二つ返事で引き受けたいが、その約束には応じがたかった。何故ならば。
私はしばし沈黙したあと、カノン様のキラリと輝く瞳を見ながらはっきりと答えた。
「申し訳ございませんが、お約束できかねます」
「それは何故かしら?」
カノン様は特に気分を害したこともなく、淡々と問いを重ねる。
私は率直な思いを伝えた。
「私は我が国を治めるヒンメルン王家に忠誠を誓うブルーメ公爵家の娘です。もしもの場合、王家の危機を未然に防ぐためには、父へ報告する義務があります。これは私の中で譲れない信念でございます。せっかく私を信頼してくださったのに、報いることができずに申し訳ございません」
「やっぱりね」
「はい、予想通りでした」
密かに冷や汗を流しながら頭を下げる私に、カノン様とルゥの優しい声が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、似たような表情で二人が微笑んでいた。なんとなく、二人とも嬉しそうなのは何故だろう?
カノン様が口を開く。
「アネットと出会って、あなたがどんな女性なのか少しはわかったつもりでいるのよ。あなたなら、私の意地悪な問いかけにもはっきりと返事をすることは予想していたわ。ごめんなさいね、試すようなことをして」
「そうでしたか…」
「それじゃあ、これから話す内容を最後まで聞いてもらってから、お父上にご報告するかどうか、決めてもらってかまわないわ」
「わかりました。ご配慮ありがとうございます」
私の言葉に鷹揚に頷いたカノン様が優雅な仕草でカップに口をつける。ちなみにこの部屋には侍女がいないので、私がバラのお茶を煎れた。ルナ直伝の煎れ方は、カノン様はもちろん、ルゥもお茶を気に入ったようで、一口飲んで驚いた顔をしたあとは、ゴクゴクと飲み干してしまった。その後の何となく満足げな表情を見て、密かに微笑んでしまった。表情があまり変わらないルゥなので、こういった行動は何だか嬉しい。
カノン様がカップを置き、改めて私に向き直った。
「では本題なのだけど、正直に答えてほしいの。アネットは昨日の昼過ぎに膨大な量の魔力を感じたはず。それが、我が家の隣の家から発生したことも知っているのよね?だから、アネットは昨日気を失った場所へ向かったわけで。あの場所で、一体何があったのかしら?」
何故アネットが侍女に扮しているかは次回わかります。