夜光草は謎の人物を呼ぶ?
長めになってしまいました。
読みにくかったらすみません…!
しばらく考え込んだ後、手元のブザーを鳴らすと、すぐにダイアナが現れた。
「そろそろ花壇を見に行きたいのだけど、いいかしら?」
「はい。ご案内致します」
部屋のすぐ目の前には、玄関ホールに続く大階段がある。足元に気を付けて降りながら、ダイアナに話しかける。
「カノン様は今どちらに?」
「庭で鑑賞会の最終確認を行っていらっしゃるかと思います」
「そう。カノン様、とても張り切っていらっしゃるわね」
「はい!普段から、お庭に植える植物の選定から植栽までカノン様もご一緒に行っておりますが、夜光草に関しましては、どのように対処して良いのかわからずじまいでした。カノン様のために、もっと夜光草について情報を集めたり、旦那様の周辺を探ったりできたのに。その努力もしなかった私ども使用人一同、夜光草について知識を授けてくださったアネット様に、深く感謝しております。改めて、本当にありがとうございました。このお屋敷に勤めて八年になりますが、カノン様の本当の笑顔を見たのは、私は初めてのことでした」
階段の踊り場で深々と頭を下げられてしまった。ハルトマン前男爵が亡くなられて十年、お一人になられて、夜光草も上手く光らず、カノン様は辛い日々を過ごされたのだろう。それは側で見ている使用人たちも、同じ気持ちだったらしい。顔を上げたダイアナの瞳は少し潤んでいた。
「本当にカノン様は使用人の方々に愛されていらっしゃるのね」
「はい!」
本当に素敵な関係だな。私もニナや家のみんなとそんな関係になりたいわ。
階段を降りきると、広い玄関ホールに着いた。柱ごとにかすみ草が生けられた花瓶があり、その小さく白い花々が可憐さと静謐さを表し、玄関を厳かに見せた。かすみ草の間に、私とダイアナの靴音だけが響く。
外に出ると、穏やかな日差しの中、色とりどりの野花が花壇に咲き乱れていた。
「この花壇は、お客様に楽しんでいただけるように、主に観賞用の一年草の花を中心に植えられております」
「かわいらしい花壇ね。華美な花もいいけれど、こちらも素朴で落ち着くわ。あれ…」
「どうされました?」
「ダイアナ。さっき観賞用の花を植えてるって言ったわよね?」
「左様でございます。何か、別のものが植えられていましたか?」
不安そうな顔でダイアナが尋ねる。私は頷いてある植物を指差した。
「ええ、ここにまとまって生えているのは、ナルコーゼという薬草よ。痛みを緩和する麻酔薬に使われるけど、使いようによっては意識を朦朧とさせるものだから、人の出入りがあるここではなく庭の薬草専用の花壇へ植え替えたほうがいいわ」
「まあ!そのようなものが何故ここに…?」
「隣に生えているリーベの葉と、見た目がとても似ているのよ。間違えて一緒に植えてしまうと、ほとんど見分けがつかないくらいにね。お茶の葉に加工してしまえば、まず違いがわからないわ。唯一の違う点は、ナルコーゼは赤い葉脈が縦に一本入っているところ。まるでハート形の葉っぱに亀裂が入ったようで、印象深くて覚えていたの」
執事のセバスは薬草に関してとても詳しかったので、教えてもらったのだ。薬草は高価で珍しいものでもあったので、我が家ではナルコーゼともう一種類くらいしか植えられていなかったが。
ダイアナが恐縮そうに頭を下げる。
「普段庭の管理は専任の者がおりますが、夜光草の量が多かったため、使用人一同と信用できる出入りの業者たちと共に植え替えたのです。その際何らかの手違いがあったのでしょう。とはいえ、私共この屋敷の使用人の不手際でございます。申し訳ありません」
花壇沿いを歩きながら、私は口を開いた。
「我が家の家訓は二つあってね。何事も一人でできるようにすること、そして、与える人間になること」
付き従うダイアナは唐突に変わった話題に不思議そうだった。
「だからね、夜光草のことも今回のことも、私がたまたま知っていた情報を家訓に従って教えただけ。カノン様やダイアナたちが喜んでくれたのは嬉しい。だけど、詫びられるのは違う気がする。…なんて、ちょっと図々しいことを言っているかしら」
これは本心だった。私は私の心のままに行動しているだけ。誰かが困っていて、自分で役に立つのなら、惜しみ無く協力したい。
そして、私はヒンメルン王国の貴族ブルーメ公爵家の娘。ヒンメルン王家に忠誠を誓い、公爵家として他の貴族を律し、国の民の生活を守る、ブルーメ家に生まれた者として、恥じない行動をする。
この二つが私の行動原理だ。
振り返ってダイアナを見ると、彼女の目がキラキラ輝いている。
「アネット様!感激致しました!私はこれからアネット様を見習って生きて参ります!」
「えぇっ!そんな大袈裟な…私よりももっと見習うべき方がいると思うけど」
「そんなふうにご謙遜されるところも、また素敵ですわ!」
おおぅ…ダイアナの弾けるような笑顔がとてもかわいいが、張り切り過ぎじゃないかな。
その後、屋敷の中を案内してもらい、また食堂に戻って午後のお茶会が始まった。今度は隣国の名物のコーヒーと、ベリーとクリームのタルトが出された。初めてコーヒーを飲んだが、苦味と少しの酸味が癖になりそうだ。タルトとの相性も最高!
ダイアナから花壇のナルコーゼの話を報告されたカノン様は驚いていた。
「まあ、それは危ないわね。気付いてくれてありがとう。アネットには感謝しかないわ!すぐに対処したほうがいいわね。申し訳ないのだけれど、ダイアナを借りてもいいかしら?他の者は手が離せなくて、ダイアナにナルコーゼの植え替えをさせたいの。その間、あなたが一人になってしまうけれど」
「大丈夫です。先程ダイアナに屋敷の中や周りを案内してもらって覚えましたし。それか、私も植え替えのお手伝いしましょうか?」
「さすがにお客様にはさせられないわ。先程言った部屋以外なら、庭でもどこでも出入りしても大丈夫よ。鑑賞会の時間になったら呼びに行くので、日が暮れる前に部屋に戻っていてちょうだいね」
「わかりました」
よしっ、これでさっきの魔力を探りに行ける!これは私の行動原理と言うよりは、好奇心旺盛な性格だな。危ないことはしないし、ちょっと様子が知りたいだけだから。
それにしてもカノン様、屋敷の中を自由にさせてくださるなんて、私のことを信頼してくださったようで嬉しいな!
それから使用人たちの気配を感じながら、誰にも会わずに先程魔力を感じた方向へ庭を迷わず進んだ。
そこは、噴水と何かの形に沿って植えられた夜光草の草原が広がっていた。他にも花が植えられている。
あ、ここが鑑賞会の場所か。あまり見ないでおこう。
しかし、ここには魔力の存在を感じられない。あの膨大な魔力の痕跡を完璧に隠すのはこの短時間で不可能だ。
とすると、この塀の向こうか。
私は噴水と夜光草の草原越しに隣家を見上げ、思わず眉をひそめてしまう。
というのも、この隣家はヒンメルン王国第二王妃のカトリーヌ様のご実家の別邸なのだ。これも父から聞いたことだが、カトリーヌ様のご実家は昔少々問題を起こし、当事者であるカトリーヌ様のお父上であった当時の伯爵が、領地の隅で隠居させられてしまったそうだ。現在はカトリーヌ様の兄である息子が伯爵位を継いでいるが、国王と宰相である父からにらまれており、悪さをできる余裕はないとのこと。
これは父に報告しないと。本当はもっと証拠が欲しいが、父なら私の言葉を信じてくださるだろう。名目は何でも、この屋敷を調べることは可能だと思う。
部屋に戻ろうと、踵を返そうとした時だった。
塀の向こうに人の気配を感じた。二人組だ。意識を集中して、風の流れを辿る。耳に手をあてると、話し声が聞こえてきた。
「さっきは驚いたな。見た目はやけにかっこよすぎてうさんくさいが、さすが元々城で魔術師をやっていただけある。あの部屋に結界を張り、さらにその結界を隠す魔法をかけられるなんて」
「ああ、全くだ。だが、旦那様もどこからあんな男を連れてきたのか…。城との関わりは本当にないんだろうな?あの計画がバレたら、今度こそ首が飛んでしまうぞ」
「大丈夫。どこからも漏れやしない。この塀の向こうは隠居した未亡人と女共しかいないし、ほとんど客も来ない。最近はブルーメ家の娘が来ているようだが、夜会にも出ない世間知らずのガキだ。宰相は頭が切れる男だが、娘はそうではないようだな」
男たちの話し声が聞こえなくなった。塀から離れてしまったようだ。耳から手を外し、腕を組んでしばし考え込む。
悪口は腹立たしいことこの上ないが、それよりも気になったのは、結界を張ってそれを隠す魔法だ。どんなに高度なことをやってのけたのか、この人たち本当にわかってるのかしら?
ふと、自分の影が見えにくくなったことに気付いた。
夕焼け空がきれい…。あっ、部屋に戻らなくちゃ!迎えが来てしまう!
あわてて踵を返すと、人影が左手から現れた。周辺は薄暗く、誰かはわからない。
まずい、気配を探るのを忘れてたわ。背が高いから、ルナかしら?なんて言い訳しよう。
近くの夜光草が照らすその人影は、長袖の白いシャツに黒いズボンをはいていた。髪型は短く、大股で歩いている。夜光草が織り成す光の風景に、遠目からでもわかる整った顔立ちは、とても幻想的だった。が、そんなことはどうでもいい。
んん?ルナじゃ、ない?…男?!…何で男子禁制のこのお屋敷に男がいるの?!
パニック寸前の私に、立ち止まった男が小声で話しかけてきた。
「驚かせて申し訳ありません。決して怪しいものではないので、どうか落ち着いてください。あなたはカノン様のお客様ですよね?私がお屋敷へご案内しますよ」
どうみても怪しいでしょうが!どこに連れていく気よ!
思いきり突っ込みたくなったが、とにかく屋敷の方へ戻ろうと後ずさりをした。しかし、足がもつれて躓く。
「危ないっ!」
小さく叫んで、男がこちらに駆け寄ってきた。得たいの知れない男だが、その必死の形相に悪い人ではないかもしれないと一瞬思ったが、私の頭はすぐに他のことを考えていた。
まずいっ!このままだと夜光草の上に倒れちゃう!
カノン様の笑顔が頭を過った。倒れる間際、思いきり体を捻ると、隣の噴水の中に飛び込んでしまった。その衝撃で意識が薄れそうになる。また、小さな噴水なので深くはないが、この時期の水温は低く、そこへドレス生地に水が染み込み、体温を奪う。
「何故わざわざ自分から噴水に飛び込むんだ…えっ」
ザブザブという水音と共に、体が浮き上がる。先程の男の驚いた声がすぐ近くで聞こえてきたが、助け出された安心感で男の続けた一言を耳に残して気を失ってしまった。
「マリン…?」
―――――――――――――――――――――――――――
夢を見た。
私はすっかり日が暮れた夜光草の草原にいた。空の星と足元の光が一体となって、私の周囲を輝かす。私の視線の先には誰かがいた。私はその誰かに会いたくてここに来たことを思い出す。心は逸るのに、なかなか足が動かない。そのうちに人影は消え、夜光草と星は明るさは増し、私は手で眼を覆った。
「カノン様!アネット様がお気付きになりましたわ!」
まず聞こえたのは、誰かの小さな叫び声だった。どうやら夢の中と同じように、私は手を目に当てたようだった。ゆっくり眼を開けると白い天井が見え、身じろぎするとふかふかのベッドを感じた。赤い花の刺繍の枕カバーが見える。
あれ、私の部屋のベッドでは、ない…?
「アネット…!」
「カノン様!あっ、私…!」
カノン様とダイアナの不安げな顔を見た瞬間、ここがどこで何が起きたのか、目まぐるしく思い出された。
「もう、本当に心配したのよ!」
「も、申し訳ありませ…ん?!わわっ!」
ダイアナの手を借りて体を起こすと、カノン様が抱きついてきた。その体が震えていて、申し訳なさに身が縮む思いだ。私の体を離すと、気遣わしげに私が倒れた後のことを教えてくださった。
「部屋にいないからどうしたのかとみんなで話していたら、庭からルゥがあなたを運んできて、本当に驚いたわ。びっしょり濡れているし、気を失っているし、何事かあったのかと」
慌てて考えていた言い訳を口にする。
「ご心配をおかけしました…。どうしても気になる薬草を見てみたくて、一人でお庭を散策していたのです。そうしたら、時間を忘れて夢中になってしまって。あわてて戻ろうとしたら、躓いてしまい、噴水へ飛び込んでしまいました。あの、私を助けてくださった方は、今どこへ?」
「アネット様はあえて自分から噴水へ飛び込んだようでしたがね。どうやら夜光草に倒れてしまうのを避けたように見られましたが?」
「えっ?!」
低い声に驚くと、扉にもたれかかって腕を組む一人の男性がいた。
濃い灰色の髪をオールバッグにし、前髪が数本額にかかっている。二重のくっきりした瞳も濃い灰色で、銀縁の眼鏡をかけている。執事のような格好を纏った肢体は均等がとれており、背は高い。年は少し上だろうか、はっきり言ってかなりの美形だ。
「ルゥ!」
「あぁ、失礼致しました。アネット様、初めまして。私はサルゥと申します。どうぞルゥとお呼びください」
「自己紹介より、まず何故あなたが知っているの?その現場を見ていたなら、どうしてすぐに助けないの!」
「転んだところへ手を差し伸べたら、身を捻って噴水へ飛び込むものですから。しかし、私が話しかけたせいで、驚かれて転ばれたのですから、大変申し訳なく思います」
カノン様が眉をひそめて、優雅に礼をする男を叱責する。
親しい間柄のようだが、名前がわかっただけで、この男が何者なのかまだわからない。
「あの、先程は助けてくださってありがとうございました」
礼を言いながらも男に訝しげな視線を向ける私にカノン様が気付いた。そして私に頭を下げた。
「ごめんなさい、アネット。ルゥのことを秘密にしていて。彼は私専属の密偵なの」
「そうでしたか。いえ、密偵は仕える主人以外には秘密の存在ですから、気になさらないでください」
「さすがゲオルグ様のご令嬢ですね。しっかりしていらっしゃる」
男はいつの間にか私がいるベッドまで近付いて、私に向かって極上の笑みをこぼした。しかし私は、初対面の素性の知れない男に惚れ惚れするほど能天気ではない。うさんくさい男に対して警戒心を露にした。すると男は驚いた顔をしていたが、同時に面白がる表情になった。
何だろう、何故か嫌な予感がする。
男は、戸惑う私に爆弾発言をした。
「アネット様、あなたは、風魔法の術者ですね?」
「どうしてそれを…あっ!」
慌てて口を押さえたが、もう遅い。
ちょ!いきなり核心をつくのはなしでしょう?!
謎の男が登場。
かっこよくて、うさんくさい。
アネットとどのように関わっていくのでしょう。
次回はカノン様視点の閑話です。