能面装着主夫の場合
近日の旅の一行は、朝起きるたびに己の体を触ってあることを確認することを日課としていた。
その理由は、話せば長くなるためあえて語らない。知りたい者が居るならば、始まりを読む事をお勧めしよう。
今日も今日とて、自分の体が寸分違わぬ元の体であることを確認したマツリは、ハンモックの上で上半身を起こすと共に、安堵の息を漏らした。
それから軽く首を動かし、隣の二―ルを起こそうと右を向いた。
「・・・・・・・・・」
右側のハンモックを見た瞬間、マツリの動きが止まる。
「こ、コウヤ・・・・さん?」
通常、右のハンモック寝ている人間は彼だ。そして、昨日も、彼はそこに寝ていた。
だが。
「・・・・まちゅり、しゃん?(マツリ、さん)」
「っ!」
いつもならば二―ルを起こすところを、マツリは神速でハンモックから飛び降り、すぐに隣のハンモックに近寄って、その上で眠そうに座って居る黒髪長髪の赤子を抱き上げた。
「・・・・・」
黒髪長髪に、座っていた場所を含めて考えてみても、この二歳前後の幼子はコ
ウヤで間違いないだろう。
「コウヤさん、だよね」
恐る恐る尋ねてみれば、まだ少し眠そうに目を擦っている赤子は小さく首を縦に振った。
マツリはその愛らしさに胸を打たれる。
―――今のこの気持ちを、どう表現すればいいのだろう。
子供のコウヤは、先日同じような体験をしたカインやサンジュとは違い、大人しくマツリの腕に抱かれていた。
いつもの彼の性格から考えるに、もしかしたら彼はすでに自分の身に起きた事を冷静に分析して、その上で、マツリの世話になるしか他に道はないのだと考えたのかもしれない。
あるいは、昨日サンジュの一件で意気消沈していたマツリを考えて、自分はマツリに抱きしめられようと思ったのかもしれない。
何はともあれ、赤子のコウヤの存在は、マツリを今まで以上に明るく、そして幸せにした。
「あしちゃの、あしゃまで、がみゃんしゅれば、どょうにか、なりゅでしょう(明日の朝まで我慢すれば、どうにかなるでしょう)」
「・・・やっぱり、いくつになってもコウヤはコウヤだね」
「頼もしいことこの上ない」
朝食の時間、マツリの膝の上で表情を変える事なく冷静なコウヤを見て、仲間達はただ苦笑するしかなかった。
サンジュとカインに至っては、先日の自分達の慌てぶりと比較して、ある意味恥かしくなってしまう。
「コウヤさんかわいいよぉ」
それぞれの心境を知る由もないマツリは、ただ目の前にあるかわいらしい生き物に心を奪われていた。例え彼が無表情だったとしても、今ならばべつに気にする必要もないのだ。
その小さな紅葉のようにふっくらした手を触ったり、頬をツンツンとしたり、もうすでに傍にいる他の者達のことなどどうでもよくなっていた。
「楽しそうだね、マツリ」
「はい!」
ルイの少し意味ありげな言葉にも、気づいた様子はない。
「まちゅりしゃん、わちゃしはいいでしゅから、ごはんにょよういぉ・・・(マツリさん、私はいいですから、ご飯の用意を・・・・)」
「・・・・う・・ん」
いくら子供でも、コウヤはコウヤだ。
確かにまだ朝食の用意が出来ていない。
渋々コウヤをカインに預けたマツリは、すぐに準備に掛かった。
メニューは粥である。
できるだけさっぱりとした味に仕上げたので、朝食べても重いということはないだろう。彼女の亡くなった祖母もよく、朝食に作ってくれたものだ。
「コウヤさん、食べさせてあげる」
「しゅみましぇん(すみません)」
コウヤは本当に素直にマツリの言う事に従っている。
「「「「・・・・・・・・・・・」」」」
―――もしかしたら、彼が一番順応性が高いのかもしれない。
マツリの朝食を食べさせてもらっているコウヤを見て、旅の一行の男達は一斉にそう思った。
「ねぇ、僕が小さくなったら、どうなっちゃうのかな」
朝食の後、マツリとコウヤが移動車の中でゆったりとした時間を過ごしていると、ルイと共に遊びに出かけていた二―ルが戻って来てた。そして開口一番に素朴な疑問を投げかける。
その問いに、その場に居た者は沈黙した。
「・・・どうだろう・・」
マツリが懸命にその場を想像しようとするが、それは虚しく失敗に終わる。
二十代前後のコウヤやカインが二歳前後になってしまったのだ。まだ十にも満たない二―ルが幼くなるとするならば――。
「多分、ありえないだろうね、それは。どう考えても」
「でしゅね(ですね)」
「だよね」
どうやら、皆考えていた事は同じだったようだ。
ルイの否定の言葉に、コウヤとマツリも賛同した。
「何が?」
「うん?・・・きっとコウヤさんみたいになるねって、話」
「コウヤ、すごくかわいいよ!」
「・・・・」
二―ルの無垢の言葉に、コウヤはただ何も言わずに無言を通した。
そして、そんな彼を見て、ルイやマツリも無言になった。
今まで散々同じようなことを言ってきたマツリだったが、改めてその言葉を第三者目線から聞くと、また違った気持ちになるものだ。
けれど、二―ルの言っている事もあながち間違ってはいないので、二人共無言こそすれど否定まではしなかった。
元々整った顔立ちのせいもあり、幼くなってみると、もう男か女かさえ判断が難しくなる。尚且つ髪も長いのだ。
女の子だと言われても誰も疑いはしないだろう。
「二―ル、団長達の所へ行こうか」
「うん」
ルイに誘われて二―ルが外へ出て行った後、移動車の中に沈黙が訪れた。
「・・・・」
「・・・・・・」
マツリも、彼女の膝の上のコウヤも何も言わない。
「コウヤさん」
先に口を開いたのはマツリだった。
コウヤが振り向いて彼女を見上げる。
その瞬間、マツリは頬を硬直させる。がんばって腕を止めて、自分の暴走を食い止めた。あのまま自然の原理に従えば、きっと自分は彼を抱き潰す事になっただろう。
「少し、散歩に行きませんか?」
マツリの誘いに、コウヤは頷いた。
そこで、コウヤを抱き上げたマツリは、近くの森の散策に出かけた。
「・・・・・」
「・・・・・・・・・」
同じ沈黙でも、今のように外の風景を楽しみながらではその意味合いも大きく異なるという事を、旅のしてきた二人は良く知っている。
「コウヤさん」
しばらく歩いていたところで、再びマツリが沈黙を破った。
「今日は、その、ありがとうございました」
「・・・?」
いきなりの感謝に、コウヤは視線だけで疑問を投げかけてきた。
いくら赤子でも、纏っている雰囲気も眼差しも普段のコウヤと一緒だ。だからこそ、マツリは正確に彼の疑問を受け取る事が出来た。
「・・・だって、昨日私が、サンジュ父さん達のことで少し落ち込んでたから、コウヤさん、一緒に居てくれたんでしょ?」
―――そんな事がわからないほど、自分はなにもわからないわけではない。
苦笑しながら理由を話したマツリをじっと見つめていたコウヤがふいに彼女の頬にその小さな手を伸ばしてきた。
いつもは冷たいコウヤの手も、今は子供特有の暖かさがある。
驚いてコウヤを見下ろせば、静かな黒い瞳と出合った。
「わちゃしはちゃぢゃ、まちゅりしゃんのしょばにいようちょおもっちゃちゃけでしゅ(私はただ、マツリさんの傍に居ようと思っただけです)」
「・・・・えーと」
真摯なその言葉に、相手が赤子である事も忘れて、マツリは頬を赤くした。
やはりコウヤは、普通とはどこか違うのだ。
―――二人が散歩から戻ってきた時、コウヤは眠ってしまっていた。起こすには忍びなかったマツリは彼をそっとハンモックに寝かせて、夕食の支度をしたが、結局コウヤは朝方まで眠りつづけた―――