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89羽:アウターゾーン

2016年2月5日


『アウターゾーン』と呼ばれる不思議な世界が存在する。

それは現実と隣り合わせた異世界・・・



扉を開けば消毒液特有のイヤな臭いが鼻を抜けて体をつんざいていく。


ギュィィィーーーン…

ジュポァァァーー…

何かを削る様なイヤな機械音と、何か液体を吸い込む吸引機の音が奥部屋から聞こえる。


はぁ。


溜め息しかでない。

けれど、我慢して克服しないとやってられない。

日に日に痛みが増していき、EVEを飲んでも、この痛みには効かないようだ。

食欲も湧かず、日が過ぎていくだけ。



ココは歯医者。

自宅から約200m程の超近い歯医者さん。


ずっと前からこの建物が気にはなっていた。

昔は、建物の外壁は曇り空と同化し、今にも歯槽膿漏で朽ちていく奥歯が壁面に描かれていた。

現在は、青空にも劣らない真っ青な原色の青へと塗り替えられ、笑顔の奥歯がバーベルを両手に持ち、上腕二頭筋が隆々とした姿をその青い壁面上に描かれ、家屋を改装しまくった感のある、謎の歯医者さんへと変化している。


痛みの限界だったが故の衝動でそこへ足を踏み入る。

有名所を当たれば良かったのだろうが、痛みに耐え切れずつい近場を選択してしまった。


そう『アウターゾーン』へ。



もう、歯医者大嫌いなんだよ。

自然に治るかも、気圧の変化のせいかもと思っていた。

しかし、痛みは日に日に増すばかり。

飲み会でも歯医者さんでも行く金が、無収入な俺からすれば勿体無い。


というか、『歯』に関しては結構な気を遣っている。


歯ブラシはPhilipsのSonicare。ブラシヘッドはダイヤモンドクリーンのミニサイズ。これは異常の程歯が白くツルツルに輝く。歯医者さんでもお勧めされるぐらいの逸品だ。

歯磨き粉はシュミテクト コンプリートワンEX。これも歯磨き粉では高額商品に分類される。

歯間ブラシも週に2、3度はする。


半分ブリッジ入れ歯の親父を見て育ったからだろう。

食べたいけれど堅くて噛み切れない。ということで流動食染みた物しか食べられない、情け無い親父の姿を見たとき、『歯』は命だと悟った。


だから、『歯』だけは気をつけていた。


それなのに、この右奥歯の鈍痛はなんなのだろうか。

洗面所の鏡を見ても異常は見つからない。


そうして、『アウターゾン』へ、飛び込み診察。

約4年ぶりの歯医者。

しかも初めての場所。

鬱の人にとってこういう場所は苦手であり、待合室で待つ間、脈は激しく打ち続ける。

普通の歯医者さんの待合室は、キッズスペースやら、絵本、雑誌やら設置されているはず。

しかし、キッズスペースは無く、絵本は数冊あるものの全巻あったのはコミック『地獄先生 ぬ~べ~』のみ。

異常な光景でパニック状態になり、刺激臭の相乗効果で吐き気を覚える。


外観からしてみても、どうみてもヤブだ。

落ち着かず、こうして携帯で日記を書き続ける。

30分という短い時間が、途方も無く長く感じられる。

今、ちょうど10時を過ぎた辺り。



2016年2月5日16:43追記。

そうして、名前を呼ばれ心拍数が上昇を続けたまま診察室に入った。

診察台は3台。いや、4台は置けるだろうというスペース。

4台目の診察台を置けるだろうスペースには意外な物が設置されていた。

古びた木製の机。その上には乱雑に配置された筆記類、粗雑に置かれたよく分からない白いぬいぐるみが一体。

一際目を見張ったものは、1台のマウンテンバイクと1台のママチャリ。筋トレ用のバーベルが2、30個転がっていた。


完全にイヤな予感しかしなかった。

紛れも無い『アウターゾーン』に俺は入ってしまった、という後悔しか生まれない。


一番奥、マウンテンバイクの横の診察台に案内させられ、出てきた先生がこれもまた不可思議生命体だ。

マスク越しだが、上下を逆さまにしても人間の顔に見える、だまし絵的な歯科医が登場した。

頭の形は綺麗な小判型。髪の毛は五厘狩り。目は大きく見開き、眉毛も極太。おでこの皺も深い。

挿絵(By みてみん)

まさしくこんな人。

「終わった・・・」

走馬灯の中、『後悔』と『もう二度と来ない』という決意が生まれた。



ぐわっと顎が外れる位に口を開けさせられ、デンタルミラーで歯科医に覗かれる。

「抜歯される。それか食われる。」

恐怖しか生まれない。


デンタルミラーで痛みの走る箇所らしい奥歯をしきりに叩いていく。

カツンッ、カツンッ、カツンッ・・・

静寂の中、俺の歯から発せられるエナメル質の音は室内を響き渡る。

「開けて~、閉じて~、うがいして~。」

かなり力細く低い声・・・

ってか聞こえない。最初は聞こえず2度も言われた。必死に耳を傾け指示通りに、食われないようにどうにか対応する。

「はい、開けて~、閉じて~、うがいして~。」

繰り返される言葉。

その脱力感を帯びた言葉は『渡部 篤郎』さんにしか聞こえない。

または、なにかの呪詛か、催眠術系の暗示か。


患者を安心させる為の言葉だろうが、俺には真逆の不安を募らせる呪文でしかない。


右側の奥歯系を全て叩き終えて聞いてくる。

「痛いむ?」

声のトーンに慣れたからだろう。即答できた。

「いや、叩いたりとか、何かを噛むといった行為での痛みはなく、終始鈍痛が走るんです。」

「うん~・・・」


「じゃ、レントゲン撮るから。」


完全に動悸はMax、心臓は破裂寸前、案内されるが儘、レントゲン室に数歩で案内される。

扉を開ければ、広さは1坪、壁面はミッフィー、天井は星と月を散りばめられた壁紙。

その中で異彩を放つレントゲン撮影用の機械。


部屋のギャップが恐怖を更に煽る。

『チャーリーとチョコレート工場』の、主人公チャーリーが工場に到達したときに見る人形ショーの後、機械炎上からの人形が溶けていく様を思い出してしまった。

あれは映画。これは現実だ。チャーリーよりも地獄絵図。狂気の沙汰。

俺は完全に硬直し、冷や汗が止まらない。


胴製のエプロンを被せられ、

「ここもっててね。」

と助手らしき人にエプロンを動かさないように指示される。

肩は強張り、手には汗をかき、必死で握り締める。

「はい、銅板を口に挟むから。力いれないでー。」

無意識にも力が入る。

「ほら、力抜いてー。ベロは自由にしてー。」

「うぐぅぁ。」

ダメだった。完全に恐怖に押し潰され、硬直した口の奥に強引に押し込まれた。


2枚のレントゲン撮影を終え、再度、マウンテンバイク横の診察台に案内される。

2度目の診察室を見れば、レントゲン室の方が遥かに恐怖だった。

俺の中に少しの余裕が生まれ始める。

「このマウンテンバイクは自慢なのか?バーベルってことは、この『渡部 篤郎』式上下絵先生は競輪かなんかをしてるのか?でもあの机の人形じゃ、子供は逆に泣くだろう。あの声のトーンからして接客向きではない。多分言葉足らずなのか・・・でも、自分なりの配慮をしているのだろう・・・」

相変わらずの観察眼を落ち着いて発動させて行く。



そうして、『渡部 篤郎』式上下絵先生が再度登場した。

「開けて~、閉じて~、うがいして~。」

呪文にも慣れてきていた。

このトーンは恐怖を消し去る、『渡部 篤郎』式上下絵先生なりのやり方だろう。

デンタルミラーで何が見えるのか。

『渡部 篤郎』式上下絵先生は言葉を続ける。

「うん~・・・奥歯の下側の歯肉の炎症かな・・・」

顎下、首と顎の付け根の右側を軽く押してくる。

「っ・・・」

痛さのあまり声が漏れる。

逆側を押されても、マッサージされているようで気持ちがいい。

痛みの違いは体が正直に証明した。

けれど、炎症という言葉に納得がいかず歯磨き事情を説明する。

「歯ブラシはPhilipsのSonicare。歯磨き粉はシュミテクト コンプリートワンEXで磨いているんですけど。1日3回、きっちり磨いてます。」

そういうと、『渡部 篤郎』式上下絵先生は何かに気付いたようだ。

「あー。なるほど。歯肉は健康的だけど、レントゲン写真を見ると下に歯肉が下がってきているんだよ。歯槽膿漏まではいってないかな・・・。右側の下奥歯辺りで歯肉の炎症起こしてるね。上顎なら耳の後ろが痛くなるんだよ。僕もあれを昔は使っていたけど、今は使って無いなぁ。歯磨きの、Sonicareの使いすぎ。長く酷使しすぎ。それで炎症ってとこかな・・・。あれを使うのは1日1回ぐらいでいいよ。」

「えっ?やりすぎってことですか?」

「あれは、歯を綺麗にツルツルにさせるだけの力があるけど、歯肉には刺激が強すぎるんだよ。」

「おぉ。なるほど。」

確かに、ニートになってから手磨きはほとんどしていない。

Sonicare任せだった。

「痛み止めと炎症を抑える薬を出すから、また経過観察にきてね。」

『渡部 篤郎』式上下絵先生は背を向けながら話してくれた。

チラ見だったが、ベテランならではの、ほくそ笑んでる姿が見えた。

それは『渡部 篤郎』式上下絵先生の中では、今回と今後の処置の方向性が的確であると感じさせてくれた。



納得。

『渡部 篤郎』式上下絵先生の判断は的確かもしれない。

人を外見で判断してはいけないという俺の信念が歪んでいただけだ。

自己を反省した。


診察を終え、深呼吸を繰り返し、心拍数も動悸も治まってきたところで、診察室と『渡部 篤郎』式上下絵先生の言動について考察する。


『渡部 篤郎』式上下絵先生は人との接し方は不器用・・・

だから、しょうがなく子供用に訳の分からないぬいぐるみや壁紙ミッフィーの配置・・・

体格はマッチョ。アスリート系でマウンテンバイクが愛車。意味の解らない所への設置は、保管場所がなく家の改築ならしょうがないとして。

歯科医としての腕は普通・・・これはまだ疑問。


『アウターゾン』を少し理解出来たような出来ないような。

それでもまだ不安要素の『腕』は解消されない。

だから、まだ油断は許されない。


逡巡していたら、会計が直ぐにきた。

30分待たされた後、レントゲン撮影と診察と治療が手早く20分で終わった。

有名所では1時間以上はかかるが、意外にも早く終わった。

痛みが引いて完治するまでは通い詰めてみよう。

本物かヤブか、自分の体で確かめる。



歯医者さんという恐怖の響きと『アウターゾン』に飛び込んでしまった事は遠に忘れ、玄関から、

「ありがとうございました。」

と、笑顔でお礼を告げた。


が、事もあろうか、室内玄関に喫煙所が設置されているのを発見してしまった。

入った時には動揺しすぎて気付けなかった。

分煙など色々波紋を広げる喫煙事情なのに、今時こんなところに設置するのか・・・。


やっぱり謎だ。

帰路、改めてアソコは危険域類の『アウターゾン』であることを肝に銘じた。


しかし、ワクドキしながら歯医者さんに赴くっていうのも悪くはないだろう。

それに、通称、精神科医院なら『精神科』、内科医院なら『内科』、眼科医院なら『眼科』。それらとは異なる建物の名前、歯科医院は『歯科』とは呼べず『歯医者さん』としてしか呼ばない世界は正に『アウターゾン』そのものなのかもしれない。


幸とも不幸ともなれる場所。

異世界の象徴なんだろう。

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