3-3 長峰先輩
「金城君、ちょっといいかな?」
休み時間に入って早々、宮本さんが俺の席までやってきた。その胸にはノートが抱えられている。
「何?」
「実は、さっきの授業で分からない所があって……」
「どこ?」
俺自身、勉強は得意な方ではないが、女の子から頼られては無碍には出来ない。
「ここなんだけど……」
一つの数式を指差しながら、机の上にノートを広げる宮本さん。
「ああ。ここね」
今しがた教師から聞いたばかりの説明に自分なりの解釈を加え、出来る限り丁寧に説明する。
「あっ。そっか」
「で、こうやって解けば――」
答えが出る、というわけだ。
「凄い。ありがとう、金城君」
「どういたしまして」
笑顔で去っていく宮本さんを見送りつつ、内心ではほっと胸を撫で下ろす。
良かった。説明出来て。
「なんか最近、よく話し掛けてくるよな、宮本」
宮本さんと入れ替わるようにして、今度は利樹が俺の横に立つ。その視線は、今この場を去ったばかりの宮本さんの方に注がれていた。
「そうか? 前からあんなもんだろ?」
「自分自身の事は得てして気付きづらいものだよ、雅秋君」
芝居掛かった口調で、尤もらしい台詞を吐く利樹。
なんだ、そりゃ。
「長峰先輩」
「――!」
突然出てきた知り合いの名前に、思わず過敏な反応をしてしまう。
「最近、仲いいらしな」
「さて、何の事やら……」
「惚けるのが下手だな、お前」
うるさい。
「……仲なんか良くねーよ。ただ話すって程度だ」
「どうやったら、女子の先輩となんて知り合うんだよ?」
「色々あるんだよ」
「色々ね……」
言いながら、訝しげな視線を俺に向けてくる利樹。
「なんだよ」
「別に……。モテる奴とモテない奴の差って、何だろうなと思ってさ」
「モテてねーって」
「へぇー」
白けた口調&白けた視線。
利樹が俺の言葉を信用していない事は、見るからに明らかだった。
「ま、何にせよ、気をつけろよ。如月先輩だけじゃなくて、長峰先輩もそれなりに人気者だからな」
「そう、なのか?」
いや、あの容姿と性格だ。何となく、分からないでもないが。
「何でも、親衛隊の中には、長峰先輩とお近付きになりたくて入ったって奴も、少なからずいるみたいだぞ」
「へぇー」
ふいに、ズボンのポケットの中で携帯が震える。取り出し、ディスプレイを見ると、メールが来ていた。差し出し人は長峰さん。噂をすれば何とやら。
「女か?」
「想像に任せるよ」
「くー。モテる男はいちいち言う事が違うねー」
「うるさい」
メールの内容を確認する。
《話したい事があるので、放課後、例の場所へ。》
例の場所というのは、おそらくあの喫茶店の事だろう。では、話したい事というのは……? ……ま、考えても仕方ないか。
了解、という旨のメールを返信し、携帯をポケットにしまう。
向こうが話したいと言っているんだ。考えるまでもなく、実際に会えば事は済む。案ずるより産むが易し――とは少し違うか。とにかく、放課後、長峰さんと会ってみよう。話はそれからだ。
「お待たせしました」
軽く頭を下げながら、ボックス席に一人で座っていた、長峰さんの対面に腰を下ろす。
「ねぇ、このお店大丈夫なの?」
長峰さんが開口一番俺に発した言葉は、本題でもなければ自分より遅く着いた俺への文句でもなく、この店の経営の心配だった。
確かに、この店は常時客が少なく、現に今も俺達の他にはカウンター席で寛ぐ年老いたお爺さんが一人いるだけだ。こんな状況を目の当たりにしては、長峰さんでなくても心配になるだろう。
「コンスタントに来る常連さんがいるから、意外に大丈夫らしいですよ。ね?」
ちょうど百合さんが俺の分のおしぼりと水を持ってきたので、話を振る。
「えぇ。意外に、ね」
特に気にした様子もなく笑顔でそう告げる百合さんだったが、話を聞かれた長峰さんは悪いと思ったのか少し気まずそうな表情をその顔に浮かべた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「アイスコーヒーを一つ」
すでに長峰さんの前には、飲み物の入ったカップが置かれている。早く来る物の方がいいだろう。
「畏まりました」
一礼をして去っていく百合さん。少しして注文した物が届く。
「ごゆっくり」
再び一礼をして百合さんが去る。
「で、話って何です?」
アイスコーヒーを一口含んだ後、こちらから話を切り出す。
「最近、あなたの身の回りで何か起こらなかった?」
「起こったといえば、手紙ぐらいですかね? 先輩と親しくするなっていう」
「やっぱり」
「やっぱり?」
長峰さんの言葉に、俺は眉をひそめた。
「なんか、姫紗良様と親しくしてる男子がアンタだって、他のメンバーにもバレてるっぽいのよね」
「そうですか」
柚希さんも言っていたように、遅かれ早かれバレるのは時間の問題だっただろうし、特に焦りも驚きもない。そして、何より、手紙が来た時点でそんな事はとっくに気付いていた。
「私じゃないわよ!」
しかし、俺のその冷静な態度を、長峰さんは曲解して捉えたらしい。
本当にそんなつもり、さらさらなかったのに。
「誰もそんな事思ってませんよ。大方、俺と長峰さんが急に接近したんで、それを見て察したんじゃないですか?」
俺と長峰さんの事を利樹が知っているぐらいだ。他の人間が知っていても不思議はない。
「それって、結局、私が原因って事じゃない!?」
「……誰が原因でもいいじゃないですか。それより、話はそれだけですか?」
きつい言い方かもしれないが、長峰さんが話した情報はすでに知っていたものなので、これだけだと今回俺が得られるものは何もなく、無駄足とまでは言わないがそれに近いものはある。
「いいえ。どちらかと言うと、今のは話の枕というか導入部みたいなものね。本題はここから」
勿体ぶるように長峰さんがそこで一旦言葉を切り、敢えて間をあける。
「どうやら、佐々木の奴が何か企んでるようなの」
「……へぇー」
溜めたわりには、大した情報じゃなかった。
「何!? その気のない反応は」
「だって、企んでる内容も分からなければ、企んでるかどうかさえ定かじゃないでしょ? それで、どう反応しろっていうんです?」
「うぅ……」
俺の意見の正しさに気付いたのか、長峰さんが縮こまる。
何だか、不憫になってきた。
「そもそも、その情報って、どこから出たものなんです?」
なので、もう少し話を掘り下げてみる事にする。
「どこって……。ウチの女子メンバーからだけど?」
「……具体的にはどういった情報だったんでしょう?」
「なんか、今日、佐々木と男子メンバーが人目を忍んでこそこそ話してるのを偶然聞いた子がいて。そんなに近くで聞いたわけじゃないから、断片的にしか聞こえなかったらしいんだけど。会話の中に不穏な言葉がちらほら混じってたみたい」
「不穏な言葉?」
「首尾はどうとか、うまくやれとか、絶対にバレるなとか」
確かに、不穏な言葉のオンパレードだが、内容の方はさっぱりだ。
「ま、用心するに越した事はないって言うしね」
何をどう用心すればいいんだが……。とはいえ、気を引き締めておいて損はないだろう。
「有意義な情報、ありがとうございます」
「何それ? 嫌み?」
先程の事と言い、どうやら長峰さんは疑り深い性格のようだ。