3-1 秘密
それからの一週間は特に何事もなく過ぎていった。どうやら、長峰さんが約束を守ってくれたらしい。――などと油断をしていたらこれだ。
下駄箱の中に一枚の紙が入っていた。便箋なんて良い物ではなく、安っぽい印刷紙だ。そこにはパソコン特有の人間味のない字で、こう書かれていた。
《先輩と親しくするな。私はお前の秘密を知っている。バラされたくなかったら、精々大人しくする事だ。》
読み終えた紙を丸め、ズボンのポケットに突っ込む。
しょうもない。おそらく、こいつの言っている〝秘密〟とは、俺がきー姉と一緒に住んでいる事だろう。だが、俺ときー姉は従姉弟同士、親戚だ。別に一緒に住んでいても何ら問題ない――いや、待てよ。問題はそんな一般論ではないのか。それを聞いた人、特に生徒達がどう思うかで……。
脱いだ下履きを下駄箱に入れ、代わりに上履きを床に放る。それに足を通すと、俺は教室へと歩き始めた。
大体、親しくとはどういう事だ。俺ときー姉は確かに親しい。しかし、それは親戚の範囲内で説明が付く親しさだし、尚且つ学校では他人を装おっている。現状に問題らしい問題はないように思えるが……。
「――君」
「うわ!」
顔を覗き込むように声を掛けられ、思わず仰け反る。
「びっくりした」
「ごめんなさい。そんなに驚くとは思わなくて」
声を掛けてきた相手――宮本さんが申し訳なさそうに縮こまる。
「いや、俺の方こそごめん。少し考え事をしてて」
「そうなんだ……」
そのまま、どちらともなく黙り込み、無言で肩を並べて二人で歩く。
「宮本さんは電車通学だっけ?」
沈黙を打ち破るため、どうでもいい話題を振ってみる。
通学手段については、話すようになって少しして宮本さん・田口さんとの会話の中で話題に出て、お互いに話していた。
「うん。毎日、片道一時間以上。結構、大変だよー。今日も電車遅れちゃって……。危うく、遅刻しちゃうところだったよー」
先程までの沈黙も影響しているのだろう、宮本さんがおどけた調子で言う。
「金城君は居候中だったよね?」
「そう。毎日、気ぃ遣って本当に大変。親戚の家とはいえ、居候は肩身が狭いよ」
「家には誰が住んでるの?」
「伯母さんと伯父さんと、後はイトコ」
「へぇー。女の子? 男の子?」
「女の子」
別に隠す必要はないので正直に答える。
「美人?」
「まぁ、美人かな?」
傍から見ても、俺から見ても。
「そっか……。金城君から見てもやっぱり美人なんだ……」
「やっぱり?」
「へ? いや、その、金城君のイトコなら、やっぱり美人なんだろうなって」
「え?」
それって、どういう……?
「あっ。違くて。そういう意味じゃなくて。客観的な判断であって、私の主観とは関係ないというか。蛙の子は蛙とも言うし」
「落ち着け」
軽い錯乱状態に陥っている様子の宮本さんの額を、弱くはたく。
「あう」
妙な声を出し、宮本さんが後ろに一歩後ずさる。宮本さんの足が止まったので、俺も足を止める。
「落ち着いた?」
「はい……」
額を押さえ、上目遣いで俺を見る宮本さん。
もしかして、宮本さんって……。いや、確証はないし、今は止めておこう。
「行こうか」
「うん」
宮本さんを促し、再び歩き始める。
その後、教室に着くまでの間、宮本さんのテンションは異様に高く、また口数もいつも以上に多かった。
「――という感じなんですけど、どう思います?」
放課後、ウチに来ていた柚希さんが一人になったタイミングを見計らい、これまでの流れを軽く説明した。ちなみに、きー姉は今台所でお菓子作りに没頭している。余程大きな声で話さない限り、リビングの俺達の会話は聞こえないだろう。鼻唄混じりだし。
「その程度なら、まだ放っておいてもいいんじゃないか。相手がどのくらい本気かも分からないし」
「ですね」
俺も元々はそうしようと思っていたので、柚希さんの意見には全面的に賛成だ。
「しかし、意外に早かったな。君と姫紗良の関係がバレるのは、夏休み前くらいと踏んでたのだが」
「バレる事は前提だったんですね」
「それはそうだろう。いくら必死に他人を装おった所で、親戚同士、ましてや一緒に住んでいてはバレない方がおかしい」
おっしゃる通りで。
「これから俺はどうすれば?」
「まぁ、開き直るかこれまで通り他人を装おうかどちらかだろう」
それは今の状態が続く場合の対策法だろう。なら、
「もし大々的に俺達の関係がバレたら?」
「開き直るしかないな、その時は」
「そんなー……」
殺生な。
「うふふ。さて、どうなる事やら」
他人事だと思って、楽しそうに笑う柚希さん。
「もういっそ、実際に付き合ってしまえばいいんじゃないか?」
そして、突如、とんでもない事を言い出す。
「はい?」
何言っているんだ、この人。
「だって、どうせ叩かれるなら、親戚としてではなく恋人としての方が君もまだ納得出来るだろ?」
言わんとしている事は分かる。分かるが――
「俺ときー姉が付き合ったら、学校側から問題にされますよ」
何せ、一緒に住んでいるんだから。
「ほら、その辺はうまく誤魔化してだな……」
「何の話?」
お菓子作りが一段落したのか、きー姉が台所からこちらにやってきた。
「雅秋君は、姫紗良にファンが多過ぎて気が気でないらしい」
「は?」
突然向いた矛先に驚く俺に、柚希さんがウィンクをしてみせる。
「あら、ヤダ。まーくんってば、そんな事考えてたの?」
「いや、別に……」
「大丈夫。私の目にはまーくん以外映ってないから」
「……」
そんな台詞を満面の笑顔で言われて、俺はどう反応すればいいんだろう。
「お菓子はもういいの?」
返答に困り、話題を換える。
「うん。後は焼き上がりを待つだけ」
言いながら、俺の隣に腰を下ろすきー姉。相変わらず、距離が近い。
「お菓子も作れて、料理も出来る。掃除・洗濯もそつなくこなすし。こりゃ、姫紗良をお嫁さんにする男は幸せ者だな。なぁ、まーくん?」
「そうですね……」
いちいち、俺に振らないで下さい。いいじゃないか、別に。――というような会話を、柚希さんと目線だけで交わす。
「結婚か……」
しかし、思ったよりきー姉の食い付きは悪く、俺は内心でほっと胸を撫で下ろす。
「なんだ、姫紗良はあまり結婚願望がないのか?」
柚希さんもこの反応は想定外だったらしく、少し拍子抜けの様子だった。
「そういうわけじゃないけど、まだ先の話でしょ? 最短でも二年後、就職やら何らやらを考えたら更に四年以上……」
「ん? 女性は十六で結婚出来るから、最短なら半年後じゃないか?」
きー姉の誕生日は、十月。そして、今年きー姉は十六になる。
「え? 女性は十六だけど、男性は十八でしょ?」
何を当たり前の事を、といった風にきー姉が言う。
「……なるほど。姫紗良には、もう具体的な結婚相手が頭に浮かんでいるわけだな」
そう言う柚希さんの表情は、若干呆れ気味だった。
「あれ? そういう話の流れじゃなかったっけ?」
きー姉は、柚希さんが何を問題視しているのか分かっていないようだ。
「いや、何でもない。雅秋君、大変だろうけど、頑張ってくれ」
「はー……」
そう言われても、何をどう頑張ればいいものやら。