2-1 親衛隊
「なぁ、知ってるか?」
朝、教室に着くなり、利樹が俺の席にやってきてそんな問い掛けをしてきた。利樹は電車通学のため、俺より学校に着くのがいつも早い。
「何が?」
椅子に腰を下ろしながら、仕方がないので利樹にそう問い返す。正直、俺はこういう質問の仕方・され方は好きではない。単純に面倒くさいし、他に答えようがないからだ。
「如月先輩には実は意中の人がいるらしい」
「……へぇー」
としか言いようがない。
「去年から誠しやかにそういう噂は流れてたみたいだが、最近それが確信に変わりつつあるらしい」
「そうなんだ……」
最近という所が引っ掛かる。
最近、如月先輩の周りで起きた出来事といえば、当人が二年生に上がった事、従弟と一緒に住む始めた事、その従弟が自分の通う学校に入学してきた事、等々だが……。
「なんだ、なんだ。反応悪いな。あ。もしかして、マジでショック受けちゃってんのか? そうだよな。ショックだよな。俺もお前と同じ気持ちたよ、マイブラザー」
そう言って、俺の肩をバンバン叩く利樹。
誰がブラザーだ。利樹と兄弟だなんて、例え兄だろうと弟だろうと絶対に嫌だ。
「まぁ、俺なんかは、現実がちゃんと見えてる人間だから言う程ショックは受けてないけど、奴等はそうでもないようだぜ」
「奴等?」
「如月親衛隊だ」
「何だ、その頭の悪そうなチームは……」
何となくどういう団体なのか、想像はつくが……。
「名前の通り、如月先輩を見守ったり応援したりする組織の事だ。ちなみに、隊長は生徒会の書記の佐々木峰雄。副隊長は野球部キャプテンの高田飛鳥が務めてる」
書記とキャプテンが何やってんだか。生徒会のメンバーがそんな事をやっているようでは、世も末だな。
「隊員は二十名程。月に数回、集会も開かれてるらしい」
二十名……。結構、多いな。それだけ如月先輩に人気があると言ってしまえばそれまでだが、それにしても……。
「如月親衛隊って、具体的には何をする所なんだ?」
「さぁー。如月先輩のいい所や最近の動向を語り合ったりするんじゃないか?」
「一歩間違えればストーカーだな、そいつら」
どちらにしろ、対象が誰であれ、俺としてはあまりに好きになれない団体だった。
「だが、親衛隊がいるお陰で、如月先輩に悪い虫が寄り付かないのもまた事実のようだ」
「ふーん……」
とりあえず、その変な団体に目をつけられないようにこれからは更に気を引き締めて行動しよう。 何せ、俺の体は叩けば埃どころか可燃ごみも不燃ごみも出る体だからな。面倒事は避けるに限る。
『ああ。その話なら知ってるよ』
夕方、六時頃。俺は自室で、柚希さんと電話越しに会話をしていた。朝、利樹から聞いた話が少し気になったので、こちらから電話してみたのだ。
『でも、急にどうしたんだい?』
「いえ、俺は今日初めてその存在を知ったので……」
『あー。君からしてみれば、他人事ではないか』
電話越しに、柚希さんのからかうような口調が聞こえてくる。
「他人事だと思って」
『いやー、すまない。まぁ、とはいえ、気を付けるに越した事はないだろうね。姫紗良と一緒に住んでると知られれば、親衛隊のみならず他の生徒からも敵視される事は必至だろうからね。そこにあの噂と来れば……』
「意中の人って奴ですか?」
『さすが、姫紗良の事となると耳が早いね』
「いや、関係ないでしょ。それ」
『ん? 私としては、姫紗良は人気者だから情報が拡散するのも早いという意味で言ったのだが。その受け答えだと、君はどういう風に捉えたのかな?』
「……ありがとうございました」
俺は通話を切ろうと、画面に手を伸ばす。こういう時、電話は便利だ。
『あー! すまない。本当にすまなかった。冗談だから、もう少し君との会話を楽しませてくれ』
仕方がないので伸ばしていた手を引っ込め、携帯を再び耳元に持っていく。
『ふぅ。まったく。君は時々思いきった事をするね。自分から先輩に掛けてきておいて途中で切ろうとするなんて』
「普通の先輩にはこんな事しませんよ」
『それは私が君にとって特別という事かな?』
「ソウデスネ」
『見事なまでの棒読みだな……。まぁ、いい。いい機会だから、君に忠告しておくよ。姫紗良は君が思ってるよりも人気者だ。だから、校内はもちろん、校外でも気を付けた方がいい。何せ、君達の家は学校の近くにあるからね。プライベートな時も生徒の目に止まる可能性は中々に高い』
「肝に銘じておきます」
『うん。また何かあったら相談してくれ。姫紗良本人の事でも君の事でも何でもいいからさ』
通話を終え、携帯をベッドに放る。そして、自分もそのまま倒れ込み、ベッドに仰向けた。
きー姉は俺にとって、一つ年上の従姉で、美人で、どこか抜けていて、たまに大人びて見えるが大半は子供っぽい、そんな人だ。だから、学校での如月先輩には違和感がある。学校でただの先輩後輩を演じている事も、その違和感を強めている要員の一つだろう。
本当に前途多難だな、俺の学校生活。
コンコンと、ノックの音がした。
「はーい」
俺が返事をすると、ドアが独りでに開いた。
ベッドに寝転んだまま、ドアの方に目をやる。顔を覗かせたのはきー姉。その格好は、半袖のTシャツにショートパンツで、いつも通り健全な男子高校生には目の毒だ。
「まーくん、今暇?」
「暇だよ」
「もしかして、寝てた?」
「いんや、寝転んでただけ」
反動をつけ、ベッドの上に体を起こす。
「何?」
「なんか、まーくんが私の事を考えてる気がして」
「……」
エスパーか、この人は。
「なんてね、冗談。ただ私がまーくんの事考えてただけでした」
そう言って、にぃっと歯を見せて笑うきー姉。
「まぁ、いいけど」
「いつもの事だしね」
そうですか。
室内に入ってきたきー姉は、空いている椅子には目も暮れず、俺の隣に腰を下ろした。
「まーくんは今何してたの?」
「電話」
部屋の外まで音が漏れている可能性を考え、正直に答える。
「誰と? もしかして、女の子?」
「うん。女の子」
時が止まる。
「え? 誰? クラスの子? それとも、中学の?」
そして、動き出す。
「柚希さん。柚希さんだって」
凄い勢いで詰め寄ってくるきー姉を、肩に手を置き、押し止めながら叫ぶように俺は電話の相手を告げる。
少しからかうつもりが、思ったより大変な事になった。
「え? 柚希?」
「そう。柚希さん」
ようやく落ち着きを取り戻したきー姉が、不思議そうに小首を傾げる。
「柚希に何の用だったの?」
「きー姉の事でちょっとね」
「私の事? だったら、直接聞けばいいのに」
「そういうわけにもいかないでしょ」
「そうかな?」
それに、わざわざ知らないかもしれない情報を本人に与える必要もないだろう。その辺りの事もついでに柚希さんに聞いておけば良かった。
「ねぇ、直接本人に聞きたい事はないの?」
「聞きたい事? うーん。特にないな」
「えー。なんで、好きな食べ物とか趣味とか好きな漫画とか将来の夢とか」
「いや、全部知ってるし」
「……」
「なぜそこで頬を染める?」
「だってー」
俺の隣で、恥ずかしそうに身を捩らすきー姉。本当にこの人は訳が分からない。