4-2 目覚めの――
「保健室で丸山先生とナニしてきたんだよ?」
一時間目が終わるや否や、にやけ顔の利樹が俺の席にやってきた。
どうやら、俺に何か言いたくて、授業中ずっとウズウズしていたらしく、利樹のテンションは気持ち悪いくらいに高い。
「ぶつかってこけさせちゃったから、保健室まで付き添っただけだ。お前の想像するような事は一切ない」
「ホントにー?」
うざい。本当にうざい。
「いい加減、そういうゲスい妄想を人前で垂れ流すのは止めろ。教室には女の子もいるんだぞ」
俺の視線を追って、利樹が振り返る。そこには、宮本さんが立っていた。
幸いにも、俺達の会話は聞こえていなかったようで、宮本さんは不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「……さーて、次の授業の予習でもしようかな」
さすがに、バツが悪かったらしく、利樹はそそくさと自分の席へと戻って行った。
「もしかして、邪魔しちゃった?」
「ううん。ちょうど、どうやって追い返そうか考えてた所だったから、むしろ、助かっちゃった」
「えー。ひどい」
そう言いながらも、宮本さんの顔は笑顔だった。
冗談と思われたのか、日頃から利樹に対して宮本さんも似たような事を考えているのか……。両方だな、きっと。
「保健室には、本当に丸山先生の付き添いで行ったの? また具合が悪くなったって事は……?」
「大丈夫。本当に付き添いで行っただけだから。考え事しながら歩いてたら、丸山先生とぶつかっちゃって。いやー、まいったよ」
とはいえ、悪い事ばかりでもなかったが。
「もう。ダメだよ。相手に怪我させちゃったら大変だし、金城君自身も怪我するかもしれないんだから」
「うん。ホント、反省してる」
「なら、いいけど」
俺の言葉が口先だけでない事が伝わったのだろう。宮本さんが微笑む。
しかし、その表情はすぐに真剣なものへと変わる。
「金城君、最近、周りで妙な事起きてない?」
「妙な事? 例えば?」
「分かんないけど、そのせいで悩んでるのかなって……」
「……」
返答に困り、暫し思考を巡らす。
「宮本さんが何を心配してるかは分からないけど、きっとそれは宮本さんのせいじゃないよ」
「――!」
宮本さんの体が一瞬びくりと震えた。
「金城君、全部知って……」
「知ってはないよ。何となく勘付いてるだけで」
根拠も証拠もない、ただの予想だ。
「ごめんなさい、私……」
「言ったでしょ。宮本さんのせいじゃないって。いずれバレる予定だったのが、少し早まっただけだよ」
「でも……」
「ま、今後の展開次第じゃ、それどころじゃなくなるかもしれないしね」
宮本さんの気を引くために、わざと小声で聞こえるように独り言を口にする。
「え? それって……?」
「さぁー」
この話題はこれで終わりとばかりに、肩を竦めてみせる。
あまり楽しい話題ではないし、その結果、どちらも損しかしないのなら、別に無理に続ける必要はないだろう。
――眠り姫は王子様のキスで目を覚ます。
……いや、きー姉はともかく俺が王子様というのは、さすがに無理が有り過ぎるか。
放課後。いつもより遅く帰った俺が、自室に足を踏み入れると、制服姿のきー姉が俺のベッドで幸せそうに眠っていた。
本当に無防備というか、警戒心が足りないというか……。
クローゼットを開け、中からタオルケットを一枚取り出す。
五月とはいえ、この時間はまだ肌寒い。何も掛けずに寝られて、風邪でも引かれたら大変だ。
きー姉にタオルケットを掛け――ようとして思わず止まる。
目の前には無防備に眠るきー姉。スカートから伸びる足。服の上からでも分かる二つの膨らみ。そして、微かな寝息を立てる小さな口。
知らず知らず、生唾を飲む。
今なら触れる。そんな邪な考えが頭を過る。
それに、きー姉なら触っても怒らないかもしれない。
「いやいやいや……」
落ち着け。落ち着け、俺。寝ている相手に何考えているんだ。最低だぞ。でも――
一度芽生えた欲望は簡単には収まらず、俺の理性と良心を尚も揺さぶり続ける。
――もういっそ、実際に付き合ってしまえばいいじゃないか?
――じゃあ、したら?
二人に言われた言葉が、甘い誘惑となって俺に襲い掛かる。
自分の意思とは関係なく、体がきー姉に近付く。
何かに吸い寄せられるように、お互いの顔が近付いていく。
後、数センチ。
後、数ミリ。
後……。
「姫紗良―」
「――ッ!」
階下からおばさんの声が聞こえてきて、反射的に後ろに飛び退く。
……俺は一体……。
「姫紗良―」
「……」
仕方ない。
部屋を出て、階段の上から顔を出す。
「あら、雅秋君。ねぇ、姫紗良、知らない? 少し頼みたい事があるんだけど」
「きー姉なら、俺の部屋で寝てますよ」
「……へぇー。なら、いいわ。……おばさん、少し買い物行ってくるから。後よろしくね」
「はい。分かりました」
もしかして、これをきー姉に頼みたかったのかな?
「少なくとも、一時間は帰らないから」
「はい……」
「一時間は帰らないから」
「……」
なぜ二回言う? 大事な事なのか?
「じゃあ、よろしくね」
おばさんがリビングに引っ込んだので、俺も自室に戻る。
「うわ!」
部屋に入ると、きー姉がベッドの上に体を起こしており、驚く。
いつの間に起きたんだろう?
「お母さん、何だって?」
「買い物に行ってくるって」
「そう……」
起き抜けのせいか、きー姉の反応はどこか鈍かった。
「ねぇ、これ、まーくん?」
そう言って、自分の体の上に置かれたタオルケットを摘まんでみせるきー姉。
さっき飛び退いた際に、とうやら落としていたらしい。
「うん。一応……」
掛けようとしただけで、掛けたわけじゃないけど。
「ありがとね」
タオルケットで顔を隠すようにし、きー姉がお礼を言う。その顔はなぜか赤い。まさか――
大股で、きー姉に近付く。
「え? 何?」
突然の俺の行動にきー姉は少し狼狽えた様子をみせているが、そんな事に構う事なく自分の顔をきー姉の顔に近付ける。
「あ……」
お互いの顔が触れる寸前、きー姉が吐息のような声を漏らし、強く目を瞑る。それを同意と受け取り、俺は自分の額をきー姉の額とくっつけた。
「あれ?」
「熱はないみたいだね」
ほっと胸を撫で下ろしながら、顔を離す。
「え? その……」
「どうかした?」
「な、何でもない!」
言うが早いか、きー姉はベッドから飛び降りると、勢いよく部屋から出て行ってしまう。
「……どうしたんだ、ホント。あ!」
もしかして、寝ている隙にキスしようとしたのがバレた。でも、その割にはすぐに部屋から立ち去ろうとしなかったし。
「うーん……」
とりあえず、様子見かな? もし俺の予想が当たっていたその時は――
「土下座だな。うん」
それしかない。




