4-1 丸山先生
「ふわぁー……」
欠伸を噛み殺し、下駄箱から教室へと向かう。
最近色々な事が重なり、あまりよく眠れない。睡眠時間を確保するために居候させてもらっているというのに、これでは本末転倒だ。
「わっ!」
「きゃっ!」
等と考え事をしながら歩いていたせいで、人とぶつかってしまう。
ぶつかった相手より俺の方が体格が良かったため、俺の方には然程衝撃はなかったが相手の方は後ろに手を付き転んでしまった。
「大丈夫ですか!?」
慌てて、相手に手を差し伸べる。
「もう。前見て歩きなさい」
俺の手を取りながら、ぶつかった相手――丸山先生が怒った表情で俺を見る。
とはいえ、残念ながら、彼女の容姿ではそんな顔も可愛いなという印象しか受けない。後、片膝を付いた姿勢を取っているせいで、黒いストッキング越しながらスカートの中が見えそうだ。
「すみません」
視線を丸山先生の顔に固定しつつ、彼女を立ち上がらせ、謝罪の言葉を述べる。
「お怪我はありませんか?」
「ん? 大丈夫かな? 付いた手も痛くないし」
「そうですか……」
その言葉を聞き、ほっと胸を撫で下ろす。
「何? 考え事?」
「はい。まぁ……」
「ダメよ。歩きながら考え事しちゃ」
「すみません……」
ぶつかった手前、返す言葉がない。
「よし。金城君、ちょっと来なさい」
言うが早いか、俺の手を引き、どこかに連れて行こうとする丸山先生。
「え? ちょっと」
先程の負い目もあり、抵抗はせず、俺は丸山先生にされるがままだ。
「今からホームルームが……」
「大丈夫。連絡入れておくから」
「なんてですか?」
「私とぶつかって、親切な金城君は私が大丈夫というにも関わらず、保健室まで付き添ってくれましたって」
「……」
まぁ、全くの嘘というわけではないが、本当というわけでもない。
「安心して。取って食おうってわけじゃないから」
「いや、そんな心配はしてませんけど」
それに、取って食われるのはどちらかというと丸山先生のほ――ん! ……何でもない。
そのまま、保健室に連れ込まれた俺はようやく丸山先生の拘束から解放された。
いや、実際の所、いつでも手は離せたのだが、日本人特有のモッタイナイ精神に負けてしまい、なかなか離す気になれなかった。何せ、相手は美人養護教諭だ。手を引かれて歩くなんて経験、この機会を逃したら今後二度ないかもしれない。まさに考え事様々だ。
「何、ぼっと突っ立ってるの? 早く座りなさい」
「へ? あぁ……」
丸山先生に促され、彼女の座る椅子の前に置かれたもう一つの椅子に腰を下ろす。
ちなみに、担任への連絡は、俺がぼっーとしている間に滞りなくすんなりと終わった。
「で、何を考えてたのかしら?」
「……色々ですよ」
「私はその色々を聞いてるんだけど?」
笑顔ながら、丸山先生の言葉には誤魔化しは許さないという強い意志が感じられた。当たり前だが、丸山先生もやはり教師であり養護教諭なのだ。
「はぁー」
溜め息を一つ吐き、
「他言無用でお願いしますよ」
俺はそう前置きをした。
「もちろん」
丸山先生が頷くのを見て、俺は話を始める。
「俺がある人の家に居候させてもらってるのは知ってますよね?」
「如月さんでしょ?」
「……はい」
教師なんだから知っていて当然なのだが、こうもあっさり名前が出てくると、少し複雑な気分になる。
「まぁ、親戚とはいえ、人の家に居候してるだけでも大変なんですけど、更にその家に年の近い如月先輩みたいな人がいて、尚且つ学校では一目どころか二目も三目も置かれてるとなると」
「確かに、きついかもしれないわね」
「更に、家ではあんな感じでは全くなく、無防備全開というかもしかして誘ってるんじゃねーか状態でして」
「あー。そりゃ、きついわね」
苦笑いを浮かべる丸山先生。
「で、その上、俺と如月先輩の関係をよく思わない連中もいまして」
「如月親衛隊ね」
「はい」
というか、その名称、教師の間でも通っているんだ。
「どうやら、彼らに目を付けられたようなんですよね」
「どうしてそう感じるの?」
「メンバーの一人に直に警告されましたし、下駄箱に手紙も……」
「ふーん。なんか、大変そうね」
「完全に他人事ですね」
自分から聞いたくせに。
「まぁ、親衛隊の件は本当に面倒だけど、後の居候云々っていうのはよくある事だし、大半の男子が羨ましがる悩みとも言えない話だしね」
「いや、俺は本気で困ってるんですって」
「なんで? 誘われてるんなら、襲っちゃえばいいじゃない? イトコ同士は結婚出来るんだし」
「なっ!?」
この人、本当に教師か。黙認するならまだしも、積極的に勧めてくるなんて。
「それとも、向こうの親御さんが反対するの?」
「それは……」
多分、ないだろう。むしろ、叔母さんは申し訳なさそうな顔をするだろうな。叔父さんは……どうだろう? 反対はしないと思うが。
「大体、君は如月さんの事どう思ってるの?」
「……」
俺にとって、きー姉は――なんだ? 従姉とかそういう関係性ではなく、美人と思っているとかそういう一般論でもなく……。
「キスしたい?」
「え?」
「如月先輩とキスする自分が想像出来る?」
きー姉とキスする自分は……余裕で想像出来る。
「じゃあ、したら?」
「はい?」
本当に、何言ってんだ、この人。
「してみて気分が盛り上がらなかったら、なんか違うんじゃない? でも、盛り上がったら……」
言いながら、丸山先生が妖艶な笑みを浮かべる。その表情に、思わずドキッとしたが、
「いやいや、如月先輩の意志はどこ行ったんですか?」
すぐに気持ちを立て直し、反論する。
「嫌だったら、女の方も抵抗するでしょ。それに、金城君、嫌がる女の子に無理矢理そういう事迫るタイプじゃないじゃない? いい意味でも悪い意味でも」
暗に、ヘタレと言われた気がするのだが……。
「とにかく、当たって砕けろ。やらずに後悔よりやって後悔、でしょ?」
「なんか、どっちも不吉なワードが混じってるんですけど……」
「そうね。もし失敗したら、私が個人的に慰めてあけるわ」
満面の笑みで発せられたその言葉は、健全な男子高校生なら悶絶する程の威力があった。が、しかし――
「あ、凄いやる気出てきました」
「出来れば、もう少し感情を込めてくれると嬉しいんだけど……」
そう言われても、こればかりは自然と沸き出てくるものなので仕方ない。




