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おしゃれで清潔な店内だと言うのに、間宮は相も変わらずテーブルの横に突っ立って毛羽をむしっている。
彼が油断なく視線だけを落とすテーブルでは、八尋が雪月を怒鳴りつけていた。
「だから、俺を呼べって言ったんだ!」
明らかな怒声に、ピンクのフリースの肩がびくりと揺れる。
間宮の眉もぴくりと震えた。
「公共の場で大きな声を出すなんて、常識を疑いますね」
間宮の冷たい声を、銀盆を片手で小粋に掲げた一之瀬が遮る。
「仕方ないよ、それだけ彼女のことを心配しているんだろう」
「心配しているのなら、優しくするべきではないんですか」
「ううん? それは理想であって、あんまり心配の度が過ぎると、なぜか腹が立つんだよね~」
間宮は苛立ちのままに手袋の指先をひねり回す。
「理解できませんね」
近くのテーブルに座っていた中年の男がふふんと鼻を鳴らした。
「一種の転嫁行動ともいえる」
彼はカップを持ったまま立ち上がる。歩み寄る靴の踵が、こつこつと硬質な音を立てた。
「本来なら彼女に危害を加えようとした相手に向けるべき敵意。だが、その攻撃対象はここにはいないのだから、その攻撃性のはけ口として弱い個体が選ばれるのだよ」
中年と言ってもくたびれているわけではない。細身の黒スーツにボルドーレッドのネクタイを緩く締め、理知あふれる控えめな微笑と身のこなしは艶を感じさせる。
「軽パニック状態による感情の飽和と言うものも関係する。彼女の話を聞いて君は不安になったはずだ。不安は精神に強い緊張を及ぼす。だが、現実に眼に見える彼女は無事なのだから、ここで精神の弛緩が起こるわけだ。その不整合を隠すために、一番強い感情である怒りを選択するのは無意識のなせる業だよ」
八尋は、優雅にカップを振りながら解説する男に怪訝そうな上目を向ける。
「……誰?」
一之瀬が空になった銀盆で八尋を小突いた。
「自分の学校の先生ぐらい覚えておけよ」
タイの結び目を指先で引っ張りながら中年紳士が吐いたのは、とりなしの言葉?
「ウチは学部も多いしね。いちいち准教授の顔まで覚えてはいられないということだろう。特にスポーツ推薦で入ったような輩にはね」
その一言に、八尋の本能的な敵愾心が疼いた。
「おい、雪月にあんまり近づくな」
「おお、嫉妬心かい? 自分の所有権を僕に誇示したいわけだ?」
なれなれしく肩に手を置かれても、雪月は全くの無防備に首を傾げただけだ。
「ゼミでお世話になっている先生よ?」
「そ、色々とお世話しているわけだよ、僕がね」
八尋が拳を振り回す。
「何でも良いから、雪月から離れろっ!」
「おお、怖い怖い」
おどけて首をすくめたその男は、ぽんぽんと雪月の肩を叩いて囁いた。
「気をつけたほうが良い。強すぎる束縛は、愛さえあればなにをしても良いと思っている心の現われだからね」
軽く微笑みながら立ち去る中年紳士を見送って、一之瀬がため息混じりに言葉を吐く。
「怖いよ、八尋君」
間宮はいかにも興味なさそうに、手袋の先をひねっている。
「随分とオカンムリですね」
「あいつっ! 怪しいぞ。絶対『参加者』だ」
「そう言う根拠は?」
「勘だっ!」
「全く、お見事な超理論ですね」
間宮もいよいよにため息をついた。
「勘だけで人を追い詰めることはできないんですよ?」
「追い詰めるって……物騒だな」
「ああ、失礼。『狩る』でいいですか?」
「どっちにしろ物騒だよ!」
状況の呑み込めない雪月だけがきょとんとしている。
男たちはそれには頓着せず、視線を交わした。
「僕が狩り方をご指導しますよ、センパイ?」
「へえ、あのいけ好かない助教授を、か?」
「それより先に、狩るべき相手が居るんですよ」
間宮が毛羽をむしる手を止める。
「早く気づかないと、雪月さんが危ないんですけど?」
「ええ? 私がどうかしたの?」
雪月が不安に震える瞳で八尋を見上げた。
あごを引いて小柄な体を丸めている姿は、怯える小動物さながらだ。
「雪月、お前は何も心配することはない。俺が……そう、俺が居るから」
テーブルの上に置かれた細い指を、八尋がそっと引き寄せた。




