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フィクション  作者: 神風紅生姜
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コーヒーブレイク

“設定”


太陽系に一基で三千万人が暮らせるスペースコロニーが数百点在する宇宙移民達成後の未来。


宇宙世紀0089年。


宇宙の統治権を争って太陽系に点在するコロニー大半を巻き込んだ大戦を人類は経験した。


そんな時代に暮らす一人の作家志望の女性が書いた物語。


その物語を読んだ人々は時代を次のステージへ導く様に動き出す。


その中に“赤い”異名を持つ元軍人も…









「冷めてますよ」


唐突に放たれた黒服の呆れ気味な口調に気付き男はコーヒーカップに視線を移す。


さっきまで熱い湯気を上へ昇らせていた黒い液体はすでに飲むのに最適な温度を失っていた。


「ああ、気が付かなかった」


「ずいぶんと御熱心でしたね」


「そうか? それにしても彼女は中々研究熱心のようだ。想像以上の内容でコーヒーに手をつける事も忘れて読んでしまったよ」


男は湯気を失ったカップを手にとり冷めきったコーヒーを口に近付ける。


「大佐がお褒めになるならよほどですね」


「だから大佐はやめろ。それとあまりごまをするな」


本にしおりを挟んでテーブルに置き冷めたコーヒーを口にする。


「ぬるいな」


「でしょうね、5分以上たっていますから」


「そんなに読んでいたか?」


「御自分で本のページを確認してみて下さいよ」


「わかったわかった」


確かにしおりを挟んだ所を見るとやや読み進んでいるのが伺える。


男は彼女の作品に引き込まれていた。


カウンターの奥では熊髭が業務用の冷蔵庫から何かを取り出している。


しばらくして丸トレイに何かを乗せてやってきた。


「うちのコーヒーは冷めても美味しいですよ。これはサービスです」


トレイに乗ったそれは見たところチーズタルトに見える。


「なんだそれは?」


「これがピザに見えますか?」


「お前が作ったのか!?」


「他にいないでしょう」と熊髭は自慢気に笑う。


それを観て黒服は笑いを必死で堪える。


40越えで髭面のデカイ図体をしたオヤジがケーキの類をエプロン姿で作っているのを想像すれば無理もない。


熊髭はタルトを一つテーブルに置く。


「新しいメニューにと思いましてね、知り合いから教えてもらったのですが中々の味で、よろしかったらどうぞ」


しかしテーブルに置かれたのは一人前しかない。


黒服がそこに「俺の分は?」と噛み付く。


それに熊髭は冷たく「近くのケーキ屋で買ってくればいい」と返す。


「大佐ばかり優遇して、差別だ差別!」


「読書家特権!」


互いを責める訳でもないただのふざけた馴れ合いのを始める二人であった。


「それじゃ読書家じゃない俺はタバコでも吹かしているよ」


黒服は席を立ち店の奥のテーブルへ移って上着の内ポケットからタバコの箱と古びたZippoを取り出す。


熊髭は男に話かける。


「もしやその本はあの古本屋の娘が書いたものですかな?」


「よくわかったな、知り合いか?」


「まぁ彼女にいろいろ聞かれまして」


「何をだ?」


熊髭はタルトの乗った皿の隣に紙ナプキンを敷いて上にフォークを置くと、丸トレイを胸に抱き込む様に持って話を続けた。


「やれ戦艦の中はとか作業用のMSとどう違うのかと」


「なるほど… アドバイザーをした訳か」


すると熊髭は大事な事に思い当たり慌てて「もちろん機密事項は…」と言葉を噴き出したが、男は彼が信用の置ける人物だと理解しているので「わかっている、お前の事だ」と言葉を最後まで聞かずに返し熊髭にホッと息をつかせた。


「出過ぎた真似をしましたかね?」


いかにもはにかんだ様に熊髭は右の人差し指で頭をかく。


「そんな事ないさ、元軍人がアドバイザーなら良いものが書けたと彼女は喜んだろ」


「ええ、お礼にとこのチーズタルトのレシピを教わりました」


「そうなのか、それを聞くと美味そうに見えてきた」


男は笑う。


「レシピも良いですがコックの腕も良いですよ」と熊髭の自己主張が返ってくる。


「それも知っている。ではお前はもうこれを読んだのか?」


「一応」


「感想は?」


「そこを聞いては駄目でしょう」


熊髭は笑う。


「確かに野暮だな」


だが突如熊髭が熱弁を振るいだす。


「しかし中々意味深な言葉が続く中で物語が展開し、その先には激しい戦闘と根の深い悲しみに涙し、最後は愛に… !」


熊髭は結局自分の感想を大半語っていた。


彼が気付いた時にはもうすでに遅く「今のは聞かなかった事にして下さい!」と口にはするが、この近さで言葉を聞き逃す方が難しい。


熊髭は激しく己を恥じている。


男は熊髭の素直な反応があまりに可笑しく大声で笑ってしまった。


「ハッハッハッ、結局自分から話しているじゃないか」


「何とも自分が間抜けです」


「だな。だが私はお前のそういう素直なところ嫌いじゃないぞ」


「情けないですが、そう言っていただけると有り難いです」


男はテーブルに置かれたフォークを取る。


「なるほどな、確かに意味深な言葉が多い。だが元軍人のアドバイザーがここまで熱く語るのだから余程の傑作だろう」


男はタルトを一口食す。


タルトのサクサクとした生地の食感が口の中で響く。


次にほど好く甘酸っぱいレアチーズの味。


最後にさっぱりとしたレモンの風味が口の中いっぱいに広がり、あまりの美味さに笑顔がこぼれた。


「うん、確かに」


「でしょう!」


「お前が作ったとは思えない味だ、甘すぎないからコーヒーにも合う」


一服を済ました黒服が「私にも一口」と言葉を挟んだ。


「だから言ったろ」


「いいではないか、俺の護衛をしてくれている事だし」


「………… 本当にお優しいですねぇ。大佐のお言葉に感謝しろ」


『冗談で言ってたクセに』と男は微笑む。


熊髭はカウンターの向こうに戻りあらかじめ用意されていたタルトを男の向かい側に置く。


「食いたかったら座れ」


「はいはい」


黒服は男の向かいの席に戻る。


「素直じゃないな」


「俺がタダで食わすと思うか?」


熊髭が不敵な笑みを浮かべる。


「3クゥールでいいか?」


「冗談だよ」


「知っているよ、お前はそういう人間だから言ってみただけだ」


仲の良い二人だ。


取り留めのない会話が続く。


背後に死の恐怖が迫る戦場に長く身を置く男からすれば、こんな取り留めのない日常でも生きる喜びになったであろう。


目の前で下らない話をする同僚と元同僚、そしてこのコロニーを生活の地にして子を養う人々の笑顔こそが彼の疲弊しきった精神を癒す薬なのだ。


黒服がタルトを美味そうに頬張っている。


気が付くと飲みかけだった男のコーヒーも新しいものに取り替えられていた。


やはり『ぬるい』という言葉を聞いて気を使わせてしまったようだ。


男はタルトをもう一口。


しつこくない甘味と酸味が心地好い。


コーヒーを一口。


ビターな味と薫りはチーズタルトの余韻を引き立てる。


男は再び本を取り、しおりを挟んだページを開く…









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