対話
店内に充満した粉塵は次第に薄れ、閉ざされていた中の様相も少しずつ明かとなっていった。
最初に確認出来たのはリュークと名乗る大男の体躯。
俺の放った拳は店の床の一部を破壊し、その衝撃の凄まじさを物語ってたが。
男が無傷で立ち位置を変えている事を考えると、俺の振り下ろした拳がその身に触れるすんでで避けたらしい。
そして変わらず冷めた表情で男は俺を見詰める。
先程までカウンター席に掛けていた華織と恵利華の姿は無い。
「仮想空間の構造物でも強度は構築主の記憶に基づくので実際の構造物のそれと等しい。にも関わらずこれ程までに破壊出来るとは、最早人外の域に至る技… 流石に当たれば私も即死です」
奴の賞賛に等しい考察を聞き俺は床を打ち砕く程の一撃を洞察出来るだけの余裕保ちながらそれ避けるという芸当をしたこの男の方が大したものだと感じた。
俺はゆっくりと立ち上がり広くとった視野で店内と男を見据える。
周囲は打ち砕いたタイルや足場に使い崩れ落ちた天井の残骸が散乱。
店奥のキッチンへも意識を向けたが、俺達の他に人が居る気配は感じられない。
「…よく避けたな」
「貴方が自身の動揺を私への殺意に利用した時点で避けるのは容易だった」
「なるほど。お前の言った通り此処は本当に俺の心らしい。お前を殺す事に集中したら彼女等の姿が消えた」
「ご理解いただけて幸いです。しかし私は此処で争う事を望んでいません」
「……」
「此処で私を傷付けても無意味です。多少精神を擦り減らしますが、実際に死にはしません。そのリスクがあるのは貴方だ」
知っている。
俺が軍へ入隊後、自身のニュータイプ能力の強化を希望した際のカリキュラムの一部に『精神攻撃と精神防御』を学んだ。
攻撃側は常に対象へ意識を向ける際、自身の意識体を分散させ相手の精神内へ入る。
そのため精神内で戦闘が持たれ対象者から殺害されても全意識体を失う事は無いが、対象側は自身の精神域で死亡するので再度外界との意識干渉や知覚が出来なくなる。
要するに精神攻撃を受けている側は精神内で死ぬと廃人になるが、攻める側はそうではない。
精神攻撃というものは圧倒的に攻める方が有利なのだ。
「争ってもお互い得るものが無い。私は貴方を知りたいだけです」
「もう見知っているのではないか」
指摘した言葉に男は「確かに」と軽く笑いを含めて返した。
そして「では話を本題に」と切り出す。
「私は地球連邦軍人のマーク・Y・ジュディゲル様を主ジェリコ・ヴァロル殿下の所へ案内すべく参上致しました」
「…ヴァロル」
確か『ヴァロル』という姓はサイド2のレジーヌ・コロニーで国家体制を敷いた人物の一人と同じもの。
ブッホ・コンツェルンのロナ家と並び高名な家柄としても知られるが、内実はロナ家同様に高々50年程の歴史しか持たない成り上がり貴族。
「そんな大層なお方が敵である連邦軍人に用があると?」
「はい」
「何故大使でなく俺なんだ?」
「我々の元で軍の指揮を振るって頂きたいのです」
「…!?」
男が口にした冗談の様な話に俺はただ爆笑するしかなかった。
「ハッハッハッハッハッ!!」
「信じては頂けなかった様で」
「当たり前だ! 何故その貴族様に面識も無い俺が名指しで喚ばれにゃならんのだ! 俺の名がそこまで広く知れ渡る訳もない! ハッハッハッハッハッ!!」
可笑しくて腹がよじれる程に痛い。
しかしリュークは大笑いを続ける俺の姿を見ても表情一つ変えずにただ立っていた。
「我々もただ国を興した訳ではありません。かのジオンの様に殺戮をする気もない。ですがその為に我々が諜報活動に力を入れ他のコロニーや連邦の動きを察知してる事も理解して頂きたい。故に貴方の力を知り喚びに参りました」
「飛んだ茶番だ! 俺は根っからの連邦軍人。お前達が俺の事を何処まで調べたか知らんが余所で仕事をする気は無い!」
きっぱりと言い放ったが、それを聞いても尚リュークの表情は変わらない。
そしてこう呟くのであった…
「根っからのですか… 忘れましたか? 貴方が六号と呼ばれていた場所の事も?」
「……!」
俺は吹き出す様に笑い続けていたが、そのリュークの言葉で息が詰まり笑いも忘れ彼へ視線を向ける。
…そうだ。
こいつは先程俺を六号と呼んだ。
そして俺が母から名前を賜った事も知っていた。
例えエンキトであると知られても、記録すらされてない情報を何故知ってる…
俺は戸籍上サイド1で生まれ月で育った事になっているのに…
この男は俺と何か関わりがあるのか?
リュークと名乗った目前の男は俺の止まった笑いを見て口角を上げ、勿体振った様にゆっくりと口を開く。
その光景を目にする俺はこの一瞬が何分と思える程にスローな印象を受けた。
「貴方はジオンの小惑星アクシズで生まれ、幼少はアジール・コロニーで過ごした。その意味が解らない訳でもないはず…」
沈黙とも取れる長い間が流れる。
「アクシズは人の遺伝子操作研究がなされていた。ジオン独立戦争後、更なる戦火を恐れた研究者達は研究成果を手にアジール・コロニーへ移り、本国からの援助で研究を続けた。…コロニーへ移った理由はもう一つあります」
投げかけられた言葉に俺は答える。
「人間の遺伝子操作は倫理上の問題が多く研究施設を公に出来ない」
それに対し「ようやく普段の冷静さを取り戻した様で」と俺の対応への敬意とも取れる言葉を吐く。
話は続く。
「故にジオン解体後も研究に目を付けた幾つかの独立自治政府から援助を受けアジールは生きながらえてきた」
「その独立政府の一つがレジーヌだと…」
諜報活動をしてると言ってたが、こいつの持ってる情報は危険すぎる…
「お察しが早い。そこでエンキトとして生きてきた貴方が我々の仲間でなく敵対する連邦軍に属した事に関しては… 甚だ可笑しいと感じますがね」
挑発と取れる言葉に思わずリュークへ駆け寄り拳を放った。
「ウッ!?」
だがリュークは拳が撃ち込まれるよりも早く左腕を伸ばし俺の首を掴む。
そして軽々と俺の身体を浮かせてみせる。
「無駄です」
締め上げられた首は解放され塞がった気管が元へ戻り滞っていた血流も再開。
思わず俺は空気を一気に吸い込んで肺へ送るがそれでも呼吸は乱れる。
奴の動きは完全に俺の隙を捉えてた。
「…お前もエンキトなのか」
「いいえ」
「…ならば化け物か」
「ただのニュータイプです」
理屈上エンキトは人間と違い身体を動かす際に脳が思考を介さずダイレクトに身体へ脳の命令を伝達する。
また身体能力も優れる為、エンキトの脳が“身体を動かす”という命令を実行しても約0.01秒と素早い。
しかしニュータイプは脳に干渉する能力なので、エンキトの脳が“身体を動かす”という情報を入力した瞬間察知し、いくらエンキトが速く動けてもニュータイプは対応した動きを約0.007秒でしてしまう。
どちらも理屈だがエンキトが人を超える存在に変わりなく、ニュータイプも同様。
数値での神経伝達速度は大差無い。
だがリュークは現実に証明した。
未熟なニュータイプ能力を補った程度の俺には真のニュータイプである奴を倒せないという事を…
「貴方は私に勝てないと理解しながら挑んだ、しかし私は不可解です。知能指数140代の貴方なら無茶を挑むより他の道を模索すると思いますが、何故です?」
そしてこのリュークという男はこのように俺の心すら見透かすのだ。
しかしそれでも総てが見透かせるというのは彼の誇張か過信と今理解した。
俺は勝てないと解りながら挑んだ理由を述べた。
「俺は沢山の人々に返しきれない恩がある。ただそれに酬いたく、その方法が連邦であっただけだ。元より俺は軍の為に生まれたのだ、それを利用したに過ぎない。それを笑う事は俺の根幹たる活きる意味そのものを冒涜する行為以外の何物でもない」
リュークは俺の言葉を黙って聞いていた。
佇まいを正して聞いてた訳でないが、顔に表情一つ現さずにただ聞く姿勢が彼なりの誠意と思えた。
やがてリュークは口を開く。
「そういう思いもあっての事でしたか… 私とした事が失礼を申し上げた様です」
貴族に仕える身故の礼儀正しさと感じる。
「ですが貴方からはその思いを捨て去る決意を感じます。復讐という激しい憎悪を」
「故に苦しむ事もある… だが俺の問題は俺でしか解決出来ない。例えそれが恩を仇で返す事になろうとも仕方のない事さ」
「可哀相なお方だ」
「…なに?」
「先程も申し上げましたが、此処は貴方の深層。そこには人の理想が在る。しかし貴方は無くしたはずの過去を描いた」
「…それがどうした」
「貴方はその激しい憎悪より深い処で『大切な者を守りたい』と望んでる。その想いがこのビジョンを描いてる」
「だから何だと言う」
「亡くなった人は生き返りはしません」
それがどうした。
俺は別に神に成ってこの者達を蘇らせたいと願ってもいない。
「ふざけた話だ。心なんてものはもっと単純さ、お前が俺から憎悪を一番に感じるのならそれが真実じゃないか」
何が言いたいんだこいつ。
「貴方の精神は不安定過ぎる。想いと感情が反比例し崩壊しかねない状態です」
「お前は俺の精神科主治医のつもりか?」
男は右掌を示し「止めましょう、外が騒がしい」と諭した。
「貴方も感じるはずです」
「…!?」
ガタガタと地面が揺れる。
店の外へ視線を向けても景色は白く、距離感も掴めない。
目前の男は静かに目を閉じた。
「……」
「お前が何かやってるのか? 脅しにもならんぞ」
「違います、彼女の波動です」
「…?」
「…来ます!」
その言葉を耳にした次の瞬間、竜巻が鳴らす様な強風の轟音が背後から迫り。
身体が熱風を知覚すると、それは店ごと俺達を吹き飛ばした。
店はバラバラに分解され俺と男は真っ白い空間へ放り出される。
「凄まじい!」
「何だこれは!?」
「貴方を想う気持ちです。それが貴方の幻想と外敵である私を弾き出そうとした」
「誰の力だと言うんだ!」
「この声が聞こえませんか? 耳を澄まして下さい。貴方を呼んでいる」
聞こえるのは風の轟音しかなかった。
だが耳を向け続けると轟音は何かの声が構成している様に聞こえた。
『…マーク』
確かにそう聞こえる。
「俺を呼ぶ声… キショウ中尉なのか!?」
「…どうやらここまでですね」
リュークは呟くと姿が揺らぎこの空間から存在が薄れてゆく。
「待て! まだ終わっていない!!」
「わかってます。しかし私が此処に居ては彼女が無茶を続けます。それが片付き次第私も貴方の要望に応えましょう」
「何故だ!」
「貴方の純粋な想いに敬意を払い、それの片鱗を見届けたいと思ったからです。続きは後ほど…」
目の前から男の姿が消えようとした瞬間、今度は俺達の所へ火炎の竜巻が迫る。
リュークは紅蓮の渦が身を焼く寸前に姿を消し去ったが。
俺はその突風に巻き込まれ、高く遠く吹き飛ばされた…