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月翡翠の薄片と、冬に鳴く蝉の音  作者: 聖稲


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第33話 図書委員、図書室を要塞にする

 「次は図書室」――焼け残った薄片の声が耳に残ったまま、奏音たちはその日の午後、学園図書室へ集まった。窓から差す冬の光は白く、棚の背表紙に当たって細い筋を作る。外は穏やかなのに、扉の取っ手だけが妙に冷たかった。

  入口に立つ希乃香は、返却台の上へ図書カード箱を並べ、巻き尺を引っ張った。誰かが大声を出したくなる空気なのに、希乃香は指先だけで全員を動かした。唇を開かず、紙に書いて見せる。「通路を一本、増やす」。その字が、すでに命令だった。



  図書室の棚は、ただ並んでいるだけで迷路になる。防衛のために動かせば、迷路は罠になる。奏音は背表紙を揃える手を止め、どの棚をどこへ動かすと、どこが死角になるかを頭の中で書き直した。希乃香は返却台の下に紙束を滑り込ませ、誰が見ても“片づけ”に見える動きで、非常用の合図札を仕込む。



  「迷わせるの?」

  柚花が囁き、すぐ自分で口を押さえた。図書室で声が跳ねるのが嫌いなはずなのに、今日は抑えられない。

  希乃香は頷き、カード棚を二列ずらして、狭い隙間を作った。棚と棚の間に入ると、視界が急に切れる。まっすぐ歩いているつもりでも、背表紙の色が入れ替わり、方向感覚がほどける。

  「閉館後に侵入されたら、司書席へ一直線だ。だから、一直線を消す」

  奏音は低い声で言った。言い終えたあと、棚の角に指を置き、木目のざらつきを確かめた。燃えた鳥舎の手触りが、まだ指の腹に残っている。



  希恵が遅れて入ってきたのは、午後四時半を回った頃だった。腕章を外套の内側へ隠し、鍵束を机に置く。金属音が小さく鳴り、全員の肩が同時に硬くなる。

  「許可は取った。閉館後の巡回を増やす。ただし――」

  希恵は言葉を切り、視線だけで諭した。「騒ぐな」。噂が先に走れば、狙う側に地図を渡すことになる。

  順一郎がわざと大げさに頷き、口の前で指を立てた。図書室の「静粛」の札を、いつもより真面目に守って見せる。柚花は笑いそうになって、また口を押さえた。



  紗里奈は床へ膝をつき、板の隙間に紙片を挟んだ。わずかな厚みで、床鳴りの音が変わる。歩く場所を変えれば、きしみの高さも変わる。

  「ここを踏むと、低い。こっちは高い」

  紗里奈は靴底で軽く叩き、音の違いを皆に聞かせた。すると佑摩が頷いて、入口から司書席までの道筋を目でなぞる。

  「足音で位置が割れる。暗闇なら、なおさらだ」

  佑摩はそう言いながら、わざと遠回りして歩いた。きしみが連続しないように、足の置き方を変える。慎重すぎて、逆に笑いが漏れそうになる歩き方だ。

  柚花が唇を噛み、肩を震わせる。笑うのを止めるたび、怒りが胸へ戻ってくるのが分かった。



  「全部は奪えない構造にする」

  奏音は鞄から薄い封筒を数十枚出し、背表紙の隙間へ一枚ずつ滑り込ませた。議事録の写し、薄片の複製、門番の交代表の控え。どれも一枚では意味が薄い。けれど揃えば、誰が何を隠したかが読める。

  順一郎が手伝いながら、わざと真面目な顔で言った。

  「つまり、泥棒が一番嫌がるのは“分散”だ」

  「そう。大事なところで、算数を使う」

  奏音が返すと、順一郎は肩をすくめた。図書室では笑い声も小さくなる。けれど、その小ささが、かえって胸に温かい。



  そのとき、開館中の扉が小さく鳴り、学生が一人、返却本を抱えて入ってきた。危険の匂いを抱えたままでも、図書室は日常を止めない。

  希乃香はすっと姿勢を正し、いつもの声量で言う。

  「返却は、こちらへ」

  奏音たちは作業を止め、ただの利用者のふりをした。柚花は手の中のコップを落としそうになり、梨寿が肘で支えた。学生が去るまでの数十秒が、やけに長い。

  扉が閉まったあと、柚花が小さく息を吐いた。

  「ここ、守りたい。今日、誰かが本を探しに来ても、普通に探せる場所のままにしたい」

  誰かを励ます言葉じゃない。自分に言い聞かせる言葉だった。



  梨寿は返却台の横へ水差しを置き、紙コップを並べた。誰も水を飲む気分じゃないのに、喉は乾く。梨寿は何も言わず、柚花の手元へ一つだけ置いた。柚花は受け取り、飲まずに指先で縁を撫でた。

  「……返す」

  柚花がぽつりと言った。

  「何を?」

  紗里奈が訊くと、柚花は笑った。笑いながら、目が濡れている。

  「鳥舎も。本も。わたしの笛の音も。勝手に燃やしたり、勝手に奪ったりした分、ぜんぶ」

  奏音は柚花の横顔を見て、言葉を探した。慰めの言葉は、ここでは軽すぎる。だから代わりに、封筒をもう一枚、棚へ押し込んだ。柚花の宣言に、行動で返す。



  午後六時。閉館ベルが、いつもより長く鳴った気がした。館内の灯りが一段落ち、窓の外の空が藍色へ沈む。

  その瞬間、司書席の椅子が「きい」と鳴った。

  誰かが、そこに座っている。

  磨かれた机の上に、最高位の徽章が静かに置かれた。金属が光を拾い、まるで最初からこの席の持ち主だったみたいに、ぴたりと収まる。

  顔は影で見えない。けれど手つきだけが、背表紙を撫でるように丁寧だった。



  図書室の棚は、戦場よりも静かだった。静かだからこそ、戻ってきた音がよく分かる。奏音は背表紙を撫で、埃の層が薄くなっている棚を見つけた。誰かが先に片づけた。誰かが先に帰った。



  柚花が返却印の位置を確かめ、紙の端を揃える。揃えた瞬間に、やっと呼吸が深くなる。順一郎が「帰ってきたって感じがする」と呟き、奏音は頷いてから、棚の中へ戦記をそっと滑り込ませた。



  棚番号の札が揺れて、カタンと鳴った。奏音はその音を聞いて、やっと肩の力を落とした。戦場の音は終わらない。けれど図書室の音は、終わり方を知っている。



  図書室の棚は、戦場よりも静かだった。静かだからこそ、戻ってきた音がよく分かる。奏音は背表紙を撫で、埃の層が薄くなっている棚を見つけた。誰かが先に片づけた。誰かが先に帰った。



  柚花が返却印の位置を確かめ、紙の端を揃える。揃えた瞬間に、やっと呼吸が深くなる。順一郎が「帰ってきたって感じがする」と呟き、奏音は頷いてから、棚の中へ戦記をそっと滑り込ませた。



  返却箱の口はいつもより小さく見えた。柚花が箱の縁を撫で、紙が引っかからないことを確かめる。引っかかって破れたら、今日の記録が欠ける。欠けたら、また同じことが起きる。



  図書室の棚は、戦場よりも静かだった。静かだからこそ、戻ってきた音がよく分かる。奏音は背表紙を撫で、埃の層が薄くなっている棚を見つけた。誰かが先に片づけた。誰かが先に帰った。



  柚花が返却印の位置を確かめ、紙の端を揃える。揃えた瞬間に、やっと呼吸が深くなる。順一郎が「帰ってきたって感じがする」と呟き、奏音は頷いてから、棚の中へ戦記をそっと滑り込ませた。



  戦記の背が棚に収まると、空気が一段だけ整う。奏音は整った空気に甘えず、最後に床の埃を足先で払った。埃を払うのは、ここが生活の場所だと宣言することだった。



  図書室の棚は、戦場よりも静かだった。静かだからこそ、戻ってきた音がよく分かる。奏音は背表紙を撫で、埃の層が薄くなっている棚を見つけた。誰かが先に片づけた。誰かが先に帰った。



  柚花が返却印の位置を確かめ、紙の端を揃える。揃えた瞬間に、やっと呼吸が深くなる。順一郎が「帰ってきたって感じがする」と呟き、奏音は頷いてから、棚の中へ戦記をそっと滑り込ませた。



  棚番号の札が揺れて、カタンと鳴った。奏音はその音を聞いて、やっと肩の力を落とした。戦場の音は終わらない。けれど図書室の音は、終わり方を知っている。



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