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月翡翠の薄片と、冬に鳴く蝉の音  作者: 聖稲


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第18話 戦は終わらせない方が儲かる

 第七坑道の支線、湿った夜更け。鉱灯の光が細く揺れ、覗き穴に男の片目が現れた。瞬きひとつで、胸の内まで見透かされそうな近さだった。

  柚花は反射で伝書鳥を抱え、羽が擦れる音を掌で塞いだ。順一郎は膝を滑らせ、柚花の前へ体を入れる。佑摩は肩を張り、鉱夫の荷を担ぐ姿勢を作る。梨寿は薬包を握り、わざとらしくない咳をひとつ。希乃香は検問でもらった通行札を泥で汚し、指先で「早く」と奏音へ押し付けた。

  紗里奈は喉を鳴らさずに息を吸い、耳だけで男の靴音を数えた。覗き穴の向こうで、金具がきしむ。いま、手が扉に回った。



  覗き穴の向こうの男の目は、鉱灯より先にこちらを照らした。順一郎が荷の持ち手を握り直し、金具が鳴りそうになってすぐ布を挟む。梨寿は薬包の数を指で数えるふりをして、震えをごまかした。柚花は伝書鳥の羽を撫で、鳥が声を出さないように指の温度を押しつける。



  奏音は台帳を閉じ、背中で皆の呼吸をまとめた。音が立てば終わる。だが黙って固まれば、相手の都合で扉が開く。

  「……すみません、道、間違えました」

  鉱夫の言葉を真似て、奏音が低く言った。声に混ぜたのは、図書室で注意喚起の札を読ませるときの落ち着きだけ。

  覗き穴の目が細くなった。返事がない。かわりに、扉の向こうで舌打ちが小さく鳴った。



  紗里奈が腰の袋から薄い月翡翠片を一枚取り出し、爪で軽く弾いた。乾いた鈴みたいな音が、坑道の壁にぶつかって跳ねる。続けて、遠くの曲がり角へ向けてもう一度、今度は短く、作業用の合図みたいに。

  覗き穴の目が一瞬だけ上を向いた。音が“別の場所”から聞こえたと勘違いしたのだ。

  佑摩が、その隙に鉱袋を持ち上げ、わざと石を落とした。ガラッ、と大きい。咄嗟に男が覗き穴から顔を引く気配。順一郎が柚花の肩を叩き、鳥の頭を胸へ押し当てて落ち着かせる。



  扉の外で靴音が遠ざかった。紗里奈が指を二本立て、左。希乃香が頷き、皆の足を泥の上に置く順番を示す。梨寿は咳薬を口に含み、咳の間だけ声を隠せるようにした。

  奏音は最後に、拾った暗号札を胸の内ポケットへ入れる。冷たい板の感触が、脈の速さを誤魔化してくれた。



  曲がり角の先、空気が少しだけ乾いていた。坑道の湿りが薄れる場所は、人が集まる場所だ。煤の匂いに混じって、茶の渋い香りがした。兵が飲む安酒ではない。湯を沸かし、葉を選ぶ余裕のある者の匂い。

  木の扉が二枚、重ねて付いている。表側は鉱具置き場の札。だが蝶番が新しい。希乃香が指先で釘の頭を撫で、口角だけで笑った。――隠すために、わざわざ作っている。



  扉の隙間から、低い声が漏れた。

  「……月翡翠の粉は、今月分で三樽。前線の通信石に回す名目で通す。補給列車は“通勤”の顔をしてるから、検問は甘い」

  別の声が、笑いを含んだ。

  「兵が帰れば、鉱山の値は落ちる。戦を終わらせる理由がない。手紙は燃やさず、心だけ抜けばいい。泣きながら戦う兵は、金になる」

  柚花の肩が震えた。伝書鳥が胸の内で小さく鳴き、順一郎が指で喉元をそっと押さえる。柚花の喉が声になる前に、体の中へ沈めるためだ。



  希恵が、壁に背を預けたまま、通信石の小片を取り出した。指先で撫でると、薄い青が点る。声は出さない。だが合図だけは送れる。奏音は頷き、暗号札の刻みを希恵の掌へ渡した。

  希恵は刻みを見て、目だけで「当たりだ」と言った。唇が動く。声は無いのに、言葉は届いた。

  ――両国の上が、鉱山で握っている。

  奏音の背中が冷えた。敵の影を追っていたはずが、足元の床板ごと揺れている。



  奏音は台帳を開き、日付と場所を書いた。六月の終わり、月翡翠鉱山、第七坑道奥、二重扉の内側。そこに、聞いた言葉を“英雄の飾り”なしで写す。誰が強かったかではなく、誰が得をしているか。紙の上で、戦の形が変わっていく。

  佑摩が、鉛筆の先を見て言った。

  「それでも書くのか」

  奏音は頷いた。頷き方だけで、背負う覚悟を示すしかなかった。



  そのとき、柚花が堪えきれず、扉の隙間へ顔を寄せた。

  「手紙を……道具にするな!」

  声が坑道に跳ね返り、薄い壁を揺らした。中の会話が止まる気配。椅子が引かれる音。金属が触れる乾いた音。

  佑摩が柚花の口を塞ぎ、順一郎が鳥を抱えたまま希乃香の示す退路へ身を滑らせる。梨寿が咳を連ね、音の輪郭を崩す。紗里奈は月翡翠片を弾き、蝉の声を覚えさせた音を壁へ返した。夏の騒がしさが、一瞬だけ坑道に蘇る。



  追う足音が二つ、扉の外へ出た。紗里奈が耳で数え、角を曲がる瞬間を掴む。奏音が皆の袖を引き、反対側の支柱の影へ押し込んだ。そこは小さな空洞で、崩れた木枠の裏に、古い矢が一本刺さっていた。

  矢羽の根元に、薄い紙が括り付けられている。紙の端には、味方司令部の印章。だが朱のにじみが妙に整っていた。



  順一郎が紙をほどき、奏音へ渡す。奏音は鉱灯を近づけ、字を追った。

  『こちらへ来い』

  短い。丁寧すぎる。誰の癖も滲んでいない。

  希乃香が囁いた。

  「印は本物でも、手は別かも」

  奏音は紙を折り、胸へしまった。鉱山の奥で聞いた言葉と、手の中の命令が、同じ匂いをしていた。



  鳥舎に入ると、温い息と羽毛の埃が一気に押し寄せた。藁の匂いに混じる糞の匂いは、嫌なはずなのに「生きてる」の印だった。奏音は袖で鼻をこすらず、視線だけで餌桶の位置を確認する。鳥の世話は、目の前の小さな作業の積み重ねだ。



  脚環の金属は冷たく、指先に当たると小さく鳴った。柚花が「それ、図書カードの角みたい」と言うと、鳥が首を傾げて、まるで返事をするように喉を鳴らした。奏音は笑いそうになり、笑う前に餌を一粒だけ置いた。甘やかしではない。次の一歩のための交渉だ。



  鳥の胸は小さく上下し、温さが手袋越しにも伝わる。奏音はその温さを、忘れないように掌で包んだ。守ると言う前に、まず冷えないようにする。冷えたら飛べない。



  止まり木の上で鳥が羽を膨らませると、空気が一段だけ柔らかくなった。奏音は手袋の指先で藁を整え、藁の向きで鳥の落ち着きが変わるのを確かめる。図書室の本と同じだ。揃うと、鳴き方が変わる。



  柚花が薄い冊子の束を抱え直し、紙の端が藁に触れない角度へ傾けた。紙に付いた匂いは、読む人の集中を削る。順一郎が「鳥の便は早いけど、匂いは遅い」と真面目に言い、奏音は真面目に頷いてしまってから、遅れて自分の頷きを恥ずかしがった。



  藁を替える音は、紙を束ねる音に似ている。柚花が藁を揃えると、鳥は羽を一度だけ震わせた。返事みたいだった。奏音は返事をもらった気がして、次の手が速くなる。



  鳥舎に入ると、温い息と羽毛の埃が一気に押し寄せた。藁の匂いに混じる糞の匂いは、嫌なはずなのに「生きてる」の印だった。奏音は袖で鼻をこすらず、視線だけで餌桶の位置を確認する。鳥の世話は、目の前の小さな作業の積み重ねだ。



  脚環の金属は冷たく、指先に当たると小さく鳴った。柚花が「それ、図書カードの角みたい」と言うと、鳥が首を傾げて、まるで返事をするように喉を鳴らした。奏音は笑いそうになり、笑う前に餌を一粒だけ置いた。甘やかしではない。次の一歩のための交渉だ。



  脚環の番号は数字なのに、見ていると名前みたいに思えてくる。奏音は一つだけ声に出さずに口の形で読み、柚花はそれを見て頷いた。二人だけの点呼だ。



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