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春のあとさき

作者: 沢木 翔

昭和の青春記です。

第1章 1976年如月 立春


私は1975年の春、一浪の末に東京の大学に進学した。

入学早々、ラグビー部に入部し併せて大学祭の実行委員にもなった。

大学祭は1、2年生を対象としていて、小平にあったキャンパスで毎年6月に開催されていた。

そのため、入学当初は平日は授業と大学祭、土日はラグビーの練習というように毎日学校に通っていたが、6月の大学祭が終了すると少し余裕ができた。


夏休みを目前にした7月上旬の日曜日。

ラグビーは8月の菅平合宿まで練習がないので、久しぶりに昼近くまで朝寝坊をした。

のそのそと起きだしてから、たまった洗濯物を抱えて、阿佐ヶ谷にあるアパートから歩いて8分のところにあったコインランドリーに向かった。

洗濯をしている間、近くの吉野家でブランチ。その後、青梅街道沿いにある本屋をのぞいたら阿佐ヶ谷在住の漫画家である永島慎二の「黄色い涙」があったので衝動買いをしてしまった。

コインランドリーに戻って、洗濯物を乾燥機に移し替えをした後、パイプ椅子に腰かけて早速永島ワールドに没入した。


しばらくすると、「ふ~ん、珍しいもの読んでいるのね。」という声がしたので、顔をあげて見ると少しだけ年上風の女性が立っていた。

「ええ、まあ」とあいまいに答えると、今度は「大学生?」と訊かれて、また「ええ、まあ」と答えると「それしか言えないの?」と笑われてしまった。

「変な人だなぁ。それに、妙になれなれしいし」と思っていたら、ちょうど乾燥機の終了のブザーが鳴ったので洗濯物を袋に入れて店を出ようとした。

「忘れ物があるわよ」との声がする。振り返ると靴下の片方を彼女がつまんで渡してくれた。

ぎこちなく礼を言って顔をよく見たら八重歯を見せて笑っている。なんとなく小林麻美に似ているなと思った。


8月の末に再び東京のアパートに戻ってから、またコインランドリーに行ったら彼女に再会した。

洗濯が完了する迄の時間つぶしという事で、近くの喫茶店で残暑をしのぐことになった。

それぞれ簡単に自己紹介をする。

彼女は由里子といい、私より2歳年上の22歳。仙台出身で東京の短大を出て今は出版社に勤めているとのこと。

陽気でよく笑うし、映画や本にも詳しいのでとにかく話題が豊富だった。


それがきっかけで彼女と付き合う事になって、映画を一緒に観たりコンサートにも出かけた。

私がラグビーの新人戦に出場するという試合には応援に来てくれた。


その試合の相手は遥かに格上の大学。後半私がメンバーチェンジで出場したときには試合は既に一方的になっていた。

たまたまマイボールスクラムだったのでスクラムハーフの私は89(ハチキュウ)のサインを出し、スクラム最後方のナンバーエイトからのボールを受けて、楽勝ムードで少し油断した相手のスクラムサイドを突破した。

トライラインが見えて来たころ、相手のセンターがものすごい勢いでタックルに来た。

寸前でボールをフルバックにパスしたが、直後体に衝撃が走り仰向けに倒された。

すぐには起き上がれず呼吸が整うまでしばらく天を仰いでいたが、その時の空の深い青さが印象的であった。

結局、一本のトライも獲れず試合は完敗。

私も生傷だらけになったが、「舜君はよくやったわよ」と由里子だけが褒めてくれた。


10月になって20歳になる私の誕生日が近づくと、彼女が誕生日のお祝いをしてくれると言う。

彼女は青梅街道沿いの賃貸マンションに住んでいた。

誕生日に初めて彼女のマンションの中に入ると、私が住んでいるアパートとは別世界のような瀟洒な部屋だった。

「私のお給料ではこの部屋に住むのは無理。親が心配して家賃を出してくれているの」と笑いながら舌を出していた。


彼女の手料理は貧乏学生には分不相応なくらいに豪華で美味しい。

由里子も「さすがラグビー部。食べっぷりがよくて作り甲斐があるわ。」ととても喜んでくれた。

そして、一緒に翌日の朝を迎えた。


その後は、ここに泊まる事もときどきあったし、さすがに泊りはしなかったけれど大学のレポート作成で私が机にかじりついている時にはご飯を作りに来てくれた。


年末になると、大学祭の実行委員長から「南、次はお前がやれ」と内々に言われた。

でもそうなるとラグビー部との掛け持ちは不可能になるので、二兎は追えない。

どうしようかと思い悩んだが、結局大学祭を選んでラグビー部には退部届を出すことにした。


その代わり、自分のアパートに電話を引くことになった。「大学祭の実行委員長には夜中までいろんなところから電話が入るから、ちゃんと自前の電話を引け」とアドバイスされて、アルバイト先を増やしたりして何とか資金を工面して翌年の3月頃には部屋に電話が備え付けられることになった。

「これでいつでも連絡できるね」と彼女も喜んだが、ついに由里子との通話は実現しなかった。


年が明けて、それぞれの実家から東京に戻ってきた1月の中旬に一緒に遅い初詣に行ったあとで由里子の部屋に寄った。

すると彼女は努めて冷静に「子供ができたみたい」と言った。

一瞬虚を突かれて絶句した。考えがまとまらないまま「気を付けていたつもりがゴメン」と言ったら、「私も不注意だった」と寂しく笑う。

思いを定めて「結婚して子供を育てようよ。」と私が言ったら、涙をいっぱい貯めて「でも、あなたは学生。子供が生まれてくる時はまだ舜君は大学2年生だよ。」「舜君の人生もきっと無茶苦茶になってしまう。」と言った。

それからは何度も同じことの堂々巡り。

最後は「私の親だって古い人間だから、こういう結婚は絶対に認めないのでお金の援助も打ち切られる。どうやって暮らしていくの。生まれてくる子も不憫でしょ。ずっと考えたけれど可哀そうだけど堕すしかないわ」と彼女は断言した。


結局私の期末試験が終わる2月の上旬に一緒に産婦人科に行くことになった。

試験最終日は2/6の金曜日で立春の翌日だった。

夕方アパートに戻ったら、由里子からの手紙が郵便受けに入っていた。おそらく昼間に来て直接入れたのだろう。

悪い予感がしてすぐ開封した。

医者は一昨日のうちに行ってきた。そして、仕事もやめてマンションも引き払い仙台の実家に戻ると書いてあった。

また、後悔はしていないし、結婚しようと言ってくれた時は本当にうれしかった。でもこうするのが一番良いと思っている。とあって、

最後に「これからも頑張って委員長さん。」と結んであった。


すぐに彼女のマンションまで走ったけれど、もう既に部屋を引き払った後だった。

いるはずもないとは思ったが上野駅にも行った。やはり由里子の姿を見つけることはできない。

上野から阿佐ヶ谷に戻る電車の中では「なぜ結婚に向けてもっと強く説得しなかったのか。」「ひょっとするとお前はこうなることが実は好都合と本当は思っていたんじゃないのか?」と言う思いがグルグル頭の中を回っていた。




第2章 1978年卯月 清明


由里子と別れてからしばらくどうしていたのか実はあまりはっきりした記憶がない。

一つだけ覚えているのは、ちょうどその頃イルカの「なごり雪」がヒットしていたことで、

「この曲の主人公は別れる恋人を駅のホームで見送ることはできたのに自分は、、、」と女々しいくらい悔しかった。


大学祭に向けての準備の日々は忙しくそれなりに充実していて、夜中にも拘わらずアパートの電話にも頻繁に連絡が入っていた。

また、多分一種の自己防衛本能からだと思うが、冗談を飛ばしたり努めて明るくふるまってもいた。

ただ、当時は本質的には過去に生きているだけだったし、実行委員会の飲み会なんかでは同学年の女子から「南君には薄いけど頑丈なバリアーみたいなものを感じる」と言われていた。

由里子とのことがあって以来、「自分には女性と付き合う資格がない」とずっと思っていたので、多分そのせいだろう。



それでも日常は流れて行き、2年生の大学祭が無事終了した後の夏休みは、クラスの友人2人と2週間北海道に行ってラフティングと野宿をしたり、3年生の夏休みには名古屋の実家で運転免許を取って父のお古の車を運転して東京に持って来たりしていた。


大学4年生になった1978年には、ラフティングの同好会を作って卒業後も後輩たちと川下りを続けようと考えるようになった。

そのため4月の中旬に小平のキャンパスで新入生向けに行われた「クラブ・サークル紹介」に飛び入りで参加して、

当日はゴムボートをはじめとした川下りの装備一式を車に積んで登校した。


一緒に説明会に出た1年後輩の岸本と田中は、私と同様に大学祭実行委員会を終えた後、私に誘われてラフティングを始めていた。

説明会が終了した後、私の後任の委員長だった岸本の提案で大学祭の委員会室に顔を出し、その流れで現役委員達と近くの喫茶店に寄った。

14:00頃、岸本と田中が国立に行くと言うので、私の車で送ることになった。

その際、現役委員として同席していた友紀から、自分も国立に住んでいるので同乗させて欲しいと頼まれた。

この日は快晴であったので、田中の発案で急遽このままドライブすることになり、4人で国立インターから中央高速で相模湖まで行った。

中央高速は平日で空いていて、快調に車を走らせていると、車のFMラジオから「中央フリーウェイ」が流れて車内は盛り上がった。


19:00過ぎに岸本と田中を国立駅で降ろす直前、岸本が冗談交じりで

「このままみんなで吉祥寺まで行こうか。」と言ったところ、友紀も大乗り気であった。

 しかし、彼女の住む民間の女子学生専用寮の門限は21時とのこと。

「また、今度だな。」と言って予定通りそのまま近くの彼女の寮に向かった。



翌週の火曜日の20:30頃突然 友紀から電話あった。岸本から私のアパートの電話番号を聞いたと言う。

「急にどうしたんだ?」と聞いたら、「すみません。会って聞いていただきたいことがあって。」と言う。「電話じゃ話せないこと?」と尋ねたが、「ええ、電話ではちょっと。」と口ごもる。

どうしたんだろう。口調が少し硬いので心配になった。

大学祭実行委員会の中で何かトラブルとか、あるいは人間関係の問題があるのかなと思った。そうだとすると、私に電話をかけて相談を求めるぐらいなので、シリアスなのかもしれないと思い、これ以上電話で詮索することは控えた。

「明日は午前中授業があるから、13:30に国立の学食2階の喫茶コーナーでどう?」「はい、伺います。」ということになった。


翌日は昨日に引き続き、国鉄のゼネストで電車が全面ストップ。授業と昨夜の約束があったため、またもや車で登校。


約束の時間に友紀がやってきた。最初は短い雑談。

彼女が「この前の約束どおり、また、ドライブに連れて行ってください。」と言うので、雑談の続きかと思い、「お~いいな。また、みんなでドライブしよう。」と気軽に返事をした。そこで少し会話が途切れた。

いよいよ本題かと思って彼女が話はじめるのを待っていると、急に思いつめたような声で

「そうじゃなくて南さんと二人でドライブに行きたいんです。ちゃんとお付き合いしたいんです。」と言われた。

本当にびっくりした。

思わず「えっ、話を聞いて欲しいと言ってたのは、このこと?」と訊き返したら、

「『このこと』ってひどい。昨日は決死の思いで電話したんです。」と顔が曇る。

「だけど、君とはあまり話をしたこともないし、てっきり実行委員会の中で何か問題がおきて、それについて相談されるのかと思っていたんだ。」と話したら、

「確かに南さんにしたら、唐突ですよね。」とやっと少し笑った。


続きの話をするためには衆人環視の学食ではまずいと思い、仲間内で「2階のしもん」と呼んでいた近くの喫茶店まで歩いて行った。

きょうもいい天気で、春の陽ざしを浴びた大学通りの緑が若い。

店内はストライキのせいもあって空いていたので、運よく景色の良い窓際の席に座れた。


彼女は、うちの大学の女子学生にありがちな「硬派」な雰囲気がなく優しくソフトな感じするし、ルックスも悪くない。

「でも、君ならしょっちゅう声をかけられるんじゃないかな?」と訊いた。

「そんなことありません。高校時代に『付き合って』と言われたことはありますが、最近は全然。私から男の人に交際を申し込んだのも初めてです。女子校出身なので男の人と会話することが苦手なんです。」とのこと。

私も男子校出身で、大学入学当初は女性とフランクに話すのが苦手であったから、彼女の言うことはよく分かる。

次に私が一番不思議に思ったことを尋ねた。

「お互いほとんど知らない同士なのに、なぜ僕なのかな?僕はとても一目ボレされるようなタイプじゃないし。」

彼女によれば、「去年大学祭に入った時、先代の委員長ということで、委員会の先輩からたびたび南さんの名前を聞いていたので、どんな人かと思っていました。」 

「南さんは覚えていないでしょうが、私が去年の大学祭当日のコンサートの入場受付担当として、パニックになっていた時、お願いもしてないのにOBの南さんたちが冗談を言い合いながら気軽に手伝ってくれて、差し入れまで頂いたのでとても感激しました。」

加えて、先日の新人歓迎コンパの席で初めて話をした時や相模湖ドライブでの印象が強く、初めて自分から積極的にアプローチしたとのこと。

「それから、南さんのファンは多いんですよ。女子の先輩たちは『普段は冗談が好きで下級生とも気さくに話しているのに、いざとなると集中力を発揮してオーラが出る。その振幅の大きさがいい。』って言っていました。」

汗が出る。穴があったら入りたかった。


今度は彼女の方から、おずおずと「付き合っている人はいるんですか?」と訊かれる。

「今はいないんだ。2年前には付き合っていた人がいたけど、振られたんだよ。」と答えた。

「よかった。」と言う。

少し意地悪く、「人が振られたのに『よかった』はキツイな。それに、もし「いる」って言ったらどうするつもりだった?」と訊くと、

「『これから逆転できるよう努力します』と無理強いするつもりでした。」と言う。

思わず吹き出してしまった。

「どうして笑うんですか?」と口をとがらせる。

「ゴメンゴメン、いや、こういう時に「逆転」とか「無理強い」という言葉が出るのがなんか新鮮で。」と笑いをこらえながら、やっと答えると、

「でも少し笑いすぎです。」と抗議された。


友紀は話していて素直で感じがとてもよかった。

また、清楚で透明感のある雰囲気も魅力的だった。また、これまで気付かなかったが、ほんの少し銀色が乗っているような瞳の色が印象的だった。


私は、由里子と別れてから、まだ、本当に立ち直ってはいなかった。

何をしていても、いまひとつ気分が乗らない。ラフティングも冬から春先は事実上のお休み期間で、ゼミぐらいが気合の入る時間であった。

だけど、今日友紀と話した短い時間で、久しぶりに心が暖かく膨らむ思いがした。

彼女が私のことを本当に好きなのか、それとも単なる憧れの延長なのかはよくわからないけど、自然な気持ちで付き合ってみたいと思った。


「分かった。こんな短い間に好意を持ってくれたのがまだ不思議だけど、君の気持はとてもうれしい。こちらこそ是非宜しく。」と返事をした。

彼女はもう一度「よかった。」と言った。


「2階のしもん」を出た時は15:00を少し回っていた。

もう少し話をしたいと言われたので、小金井公園まで車で行った。

車を降りて人がまばらな公園の中を歩く。

幼い子供を連れた若いお母さんが3人連れで近くの芝生に座っていた。


「さっき、振られたとおっしゃっていましたが、南さんを振るってどんな人ですか?」と尋ねられた。

「ビシビシと古傷をえぐるなあ。そんなこと知ってどうするの?」

「南さんのことをいろいろ知りたいんです。でも、話したくないことであれば訊きません。」

「相手は、2歳年上の人だった。偶然のきっかけから付き合い始めて、ずっと仲良くしていたんだけれど、いろいろあって1年もたたないうちに彼女が急に実家に戻って行ってしまったんだ。まあ、愛想をつかされたんだよ。」と話した。


由里子のことは話せば長くなるし、果たして話すべきことなのかもよくわからない。少なくとも偏りなくフェアに話す自信はまだなかった。

だから詳しい経緯には触れなかった。


しばらくして、

「南さんはこれまで私のことをどう思っていたんですか?」と訊かれた。

「う~ん、カワイイ後輩の一人だなと思っていた。」と答える。

「え~それって、ほとんど女性として関心がなかったということじゃないですか?」と笑いながら軽く追及される。

私は少し改まって、

「世の中のすべての女性を自分の恋愛対象になるかということだけで見ている男はいないと思うし、女性も同じだと思う。」

「いろいろなきっかけでまず知り合って、話をしたり共通の出来事を重ねることによって、自然に好意が生まれて恋愛関係になるんじゃないかと思うんだ。」

「僕は本当に君のことを今までよく知らなかった。だけど君は実行委員達から僕のことを聞いていて、コンサートを手伝った時やドライブの時に僕のことを意識して見てくれていた。そのうえで、ちょっと早すぎるようにも思うけど「合格」と判断して電話をくれた。」

「僕は今日、最初は予想外の出来事にびっくりしたけれど、その後、君の話を聞かせてもらった。それがとても感じがよかったし、清楚な雰囲気もいいなと思ったんだ。」

「僕はスタート時点では一周遅れだったけど、きっとすぐ君に追いつくよ。」とゆっくりかみしめるように話した。

友紀の瞳がゆれる。その中に一瞬銀色の星がきらめいた。

「電話してよかった。」とちょっと声が震えた。

あえて明るく、「芝生に座っている人が怪訝そうにこっちを見ているよ。 別れ話でもしているんじゃないかと思われているかもね。」と言うと、

「今日スタートしたばかりなのにね。」と彼女はやっと微笑んだ。


陽が傾いてきたので私の車だけがポツンと停まっている駐車場に戻り、車のエンジンをかけた。

助手席に座った友紀が、「一つお願いがあります。」と言う。

「うん?」と訊くと、

「この助手席には他の女の人を乗せないで下さい。」と伏し目がちに言う。

「分かった、約束するよ。」と答えると、友紀が顔を上げて眼が合った。

泣き笑いのような表情が余りに健気で可愛かったので、思わず肩を抱き寄せてしまう。

頬にあたる彼女の髪は、陽の光をいっぱい浴びた干し草のように暖かく健やかな香りがする。

胸の中の氷のかけらがゆっくり溶けていくような気がした。

「ゴメン。今日付き合い始めたばかりなのに。」と謝ると、私の腕の中で小さく首を振って、

「もう少しこのままで。」と言った。


国立で夕食を済ませて、門限時間の直前に寮まで送っていった。

次は彼女のホームグラウンドの鎌倉を案内してくれるとのこと。

「楽しみだけど、これからだんだん大学祭が忙しくなる時期だから、無理しないで。」と言うと、

「いつまでも委員長ですね。」と笑われた。 



               完


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