第9話「改変阻止のための最終準備」
改変モブ1号とのあの会話から数日。奴の「小さなズレはやがて大きなうねりとなる」という言葉が、俺の脳裏から離れなかった。そして、奴の行動は、着実に物語に「うねり」を起こし始めていた。
朝のホームルーム。いつもなら、美咲がクラスの話題の中心で、藤堂がそれに笑顔で相槌を打つ――そんな平和な光景が日常だった。だが、最近は、1号がさりげなく話題を操り、美咲の関心を別の方向へ向けさせたり、藤堂が話に入ろうとすると、なぜかタイミング悪く先生が声をかけたりする。
(くそっ、見えないところで糸を引いてやがる……!)
俺は、教室の隅で小さく舌打ちをした。確かに、ラブコメの筋書き自体は大きく変わっていない。だが、二人の間に流れる空気、視線が交錯する回数、言葉の選び方……些細な部分で、確実に「原作」とは違うズレが生じていた。まるで、本来なら真っ直ぐ流れるはずの川が、あちこちで小さな渦を巻き始めているような。
このままじゃマズい。いや、マズすぎる。
俺は、今まで以上に存在感ゼロのスキルをフル活用し、1号の行動を監視し続けた。奴は、直接的な破壊工作はしない。あくまで「偶然」を装い、自然な流れに見せかけて、メインキャラの運命を変えようとする。その巧妙さに、正直、ゾッとした。
放課後。俺は今日も、教室の隅で居残っていた。1号もまだ残っている。奴は机に向かい、何やら熱心にノートに書き込んでいる。
(何書いてるんだ、あいつ……まさか、改変計画の最終リストか?)
俺は好奇心と警戒心を抱きながら、そっと彼の背後に回り込んだ。もちろん、誰にも気づかれないように。透明人間スキルは、こんな時に大活躍だ。
彼のノートには、びっしりと文字が書き込まれていた。それは、日付と、時間と、そしてメインキャラクターたちの行動予定らしきもの。
「〇月〇日、放課後、藤堂、屋上にて呼び出し…相手は××」
「〇月〇日、下校時、美咲、校門前で待ち伏せ…相手は△△」
(うわあああ!マジかよ!?こんな具体的な計画まで立ててたのか!しかも、原作にはないシチュエーションばっかりだ!)
俺は頭の中で絶叫した。そこには、藤堂翔が高嶺美咲以外の女子生徒に告白される場面や、美咲が別の男子生徒からアプローチを受ける場面など、原作のラブコメ展開を根底から覆すような、危険なフラグが並んでいた。
「くそっ、これは本気で阻止しないとヤバい……!」
俺は、自分の「安全第一」というモットーが、音を立てて崩れていくのを感じていた。もはや、ただ傍観しているだけでは、この物語は完全に歪んでしまう。
奴の計画は、来週末に集中している。学園内で最も人が集まる場所や、普段ならメインキャラが二人きりになるタイミングを狙って、強制的に別の人間関係を構築しようとしているのだ。
(どうする?俺に何ができる?この透明な体で、一体どうやって、奴の計画を阻止すればいいんだ!?)
俺は、教室の隅で、一人頭を抱えた。自分の「存在感ゼロ」は、確かに誰にも気づかれずに動ける最高のスキルだ。だが、それはあくまで「背景」としての能力。物語の表舞台に出て、大々的に何かをすることはできない。
その時、脳裏に、高嶺美咲の言葉が蘇った。
「あなた……やっぱり、ただの背景じゃないかもしれないよ?」
「私には、あなたが見える。他の人には見えないものが、あなたにはあるから」
彼女は、俺の地味な介入に気づいていた。そして、俺の存在を、なぜか認識している。もし、彼女の協力を得られたら……。いや、そんな馬鹿な。彼女はヒロインだ。物語のメインキャラを、こんなモブが巻き込むなんて、ありえない。それに、彼女がどこまで俺の言うことを信じてくれるか、わからない。
俺は、改めて自分の能力を整理し始めた。
「存在感ゼロ」:物理的な接触や音、視覚的な認識も阻害できる。つまり、誰にも気づかれずに、物の配置を変えたり、ちょっとした音を立てたり、視線を誘導したりはできる。
これは、つまり「舞台装置の操作」だ。
例えば、誰かがつまずくタイミングで、床のゴミをずらす。誰かが話すきっかけを作るために、ペンを転がす。人混みの中で、特定の人物がすれ違うように、動線を微調整する。
そうだ、俺は、この物語の「最高の舞台監督(裏方)」になれる!
改変モブ1号が、舞台上の役者たちの立ち位置やセリフを変えようとするなら、俺は舞台監督として、照明や小道具、背景を操り、本来の筋書きへと誘導すればいい。地味でも、確実に。
俺は、1号のノートの記述を頭の中で反芻した。来週末の計画。具体的に、どのイベントで、誰が、どのように干渉してくるのか。
(よし、ターゲットは絞れた。あとは、どうやって奴の計画を潰すかだ……!)
まず、藤堂翔が屋上で別の女子に呼び出される計画。屋上は、ラブコメでは告白シーンの鉄板だ。ここで別のフラグを立てられたら、かなりマズい。
俺にできることは?そう、「邪魔者の配置」だ。
例えば、屋上への階段の途中に、「偶然」掃除用具を崩しておく。藤堂がそれにつまずいている間に、呼び出し相手の女子がしびれを切らして去っていく、とか。
いや、もっと確実なのは、「第三者の介入」だ。
藤堂が呼び出される直前に、「偶然」生徒会の会議室から緊急の呼び出しがかかるように、書類を紛失させたり、放送室のケーブルを微妙にずらしたり……。もちろん、誰にもバレずに。
次に、美咲が校門前で別の男子に待ち伏せされる計画。これは、下校時の重要フラグだ。
俺にできることは、「時間稼ぎ」だ。
美咲が校門に到着する直前に、彼女の教室の鍵を「偶然」見つかりにくい場所に落としておく。美咲が鍵を探している間に、待ち伏せ相手の男子が諦めて帰っていく、とか。
あるいは、「経路変更」だ。
下校ルートの途中で、「偶然」工事現場のバリケードが邪魔になるように仕向けたり、遠回りになる場所で、「偶然」誰かがトラブルを起こして美咲の足止めを食らわせたり……。
俺は、頭の中でシミュレーションを繰り返した。地味すぎる作戦ばかりだが、それが俺の持ち味だ。
その時、改変モブ1号が、ノートを閉じ、立ち上がった。
「さてと……今日の作業は終わりだ」
彼の心の中の声が、俺の脳内に響く。彼の顔には、自信に満ちた笑みが浮かんでいる。
「次の一手で、この物語は大きく変わる。お前には、止めることなどできはしない」
彼の言葉は、挑発だった。だが、俺はもう、ただ怯えるだけのモブじゃない。
(止めてやるさ。お前の思い通りにはさせねーよ、改変モブ)
俺は心の中で、静かに、しかし強く言い返した。
1号は、俺の存在に気づいているだろう。だが、俺がこれほどまでに具体的な対策を練っているとは、思っていないはずだ。彼は、俺がただ、地味な嫌がらせをしているだけの「背景」だと思っている。
それが、俺の最大の武器だ。
俺は、教室の窓から、夕焼けに染まる空を見上げた。
来週末、物語の運命をかけた、地味で、しかし確実な最終決戦が始まる。
俺は、この物語の「背景」として、そして「舞台監督」として、本筋を守り抜く。
それが、俺がこの世界に転生した、本当の理由だと、今は、そう信じていた。