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第8話「物語の微かな変調」

新学期が始まって数週間。クラスはすっかり新しい空気に馴染み、藤堂翔と高嶺美咲も、相変わらず物語のど真ん中でキラキラしていた。しかし、俺の心には、学園祭で感じたあの不穏な予感が、まるで小さな棘のように刺さったままだった。


だって、高嶺美咲は俺の存在を認識しているし、改変モブ1号は俺を「背景」と呼んで、その介入に気づいている。俺の「安全な箱庭」は、もう完璧な安全地帯じゃない。この物語は、俺が思っている以上に、危うい均衡の上に成り立っている気がした。


そんな焦りとは裏腹に、日常はごく平和に流れていく。


「ま、まさか、学園祭の一件で懲りたのか?改変モブ1号も、さすがに大人しくなったとか?」


俺は淡い期待を抱きながら、教室の隅から1号を観察していた。彼は相変わらず、涼しい顔で本を読んでいる。まるで、世界の片隅でひっそり生きる、ただの文学好きの男子生徒にしか見えない。だが、俺は知っている。その内側に隠された、物語を捻じ曲げようとする野心を。


そんな平和な日常は、とある朝に終わりを告げた。


朝の登校中。いつもなら、藤堂翔が高嶺美咲の少し後ろを歩き、偶然彼女が落としたハンカチを拾って声をかける――という、王道の「朝の出会いフラグ」があるはずだった。


ところが、その日。藤堂翔はなぜか、別のクラスの男子生徒と熱くサッカー談義をしていて、美咲がハンカチを落とした瞬間に、通りかかったのは改変モブ1号だった。


「あれ、高嶺さん、これ落としましたよ」


1号は、爽やかな笑顔でハンカチを拾い上げ、美咲に差し出した。美咲は少し驚いた顔をして、「あ、ありがとうございます!」と受け取る。そして、二言三言、ごく自然に会話を交わしている。


(うっわああああ!なんだこの嫌な予感!朝の出会いフラグが、まさかの横取り!?)


俺は思わず、物陰から冷や汗をかいた。原作では、このハンカチがきっかけで、美咲が藤堂に少しだけ意識を向けるはずだったのだ。それが、まさかこんな形で改変されるとは。


このままでは、物語が少しずつズレていってしまう。地味に、確実に、修正せねば!


俺は、藤堂翔がサッカー談義を終えるタイミングを見計らった。そして、彼の目の前に、「偶然」少しだけ乾いた落ち葉をフワリと舞わせた。藤堂は反射的に目を擦り、その拍子に、ちらりと美咲の方を見た。美咲は、ちょうど1号との会話を終え、振り返ったところだった。


「藤堂くん、どうしたの?」


美咲が、かすかな心配の声を上げた。藤堂は慌てて、「いや、なんでもない!ちょっと目にゴミが入っただけだ!」と笑った。


(よし、これで美咲は藤堂が自分を見てたって認識するはず……!多分!)


俺は心の中でガッツポーズをした。完璧なモブとして、見えない糸を操るように、物語の軌道を修正する。


しかし、その日以降も、改変モブ1号の「改変」は、より巧妙になっていった。


給食の時間。いつもなら、藤堂翔と高嶺美咲が、それぞれの班で同じ話題について盛り上がり、視線を交わす――という「遠隔共感フラグ」があるはずだった。


だが、1号は、美咲の班の誰かに、「偶然」面白い話のネタを振った。そのネタは、美咲が興味を持つような話題だったらしく、美咲の注意はそちらに引きつけられた。同時に、藤堂の班の会話は、なぜか盛り上がりに欠け、藤堂の視線は宙を彷徨っていた。


(あの野郎……今度は会話の流れを操作しやがった!見えざる手で、ラブコメの空気感を歪めてる!)


俺は焦った。これでは、二人の心の距離が、原作よりも離れていってしまう。


俺は、給食当番の生徒が運んできた牛乳パックの山に、「偶然」手を滑らせた。もちろん、他の誰にも気づかれないように、ほんの少しだけ。


ガラガラッ!という音と共に、牛乳パックの山が崩れた。生徒たちは一斉にそちらに注目し、給食当番の生徒が慌てて牛乳パックを拾い始める。


「大丈夫か!?」


藤堂翔が、いち早く立ち上がって手伝いに向かった。美咲もまた、「私も手伝います!」と声を上げた。


結果、藤堂と美咲が牛乳パックを拾う作業で、隣り合わせになった。そして、作業中、偶然手が触れ合ったり、同じ牛乳パックに手を伸ばしたり……という、予定通りのベタなラブコメ展開に修正できた。


(ふっ、ナイス俺!アクシデントも利用するのが、真のモブの務めってもんだぜ!)


俺は心の中で勝利の雄叫びを上げた。しかし、俺の脳内に、あの声が響いた。


『小賢しい真似を……!そんな地味な抵抗、意味がないと気づかないのか、背景!』


改変モブ1号の声だ。彼は、牛乳パックを拾う藤堂と美咲を、冷たい視線で見つめていた。その瞳には、はっきりと苛立ちの色が浮かんでいる。


そして、その日の放課後。


クラスの誰もいない教室で、俺は改変モブ1号と二人きりになった。彼は、俺のいる方向に向かって、小さく、しかしはっきりと呟いた。もちろん、口は動いていない。脳内に直接響く声だ。


「この物語は、予定調和すぎて退屈だ。もっと波乱が必要だ」


「波乱って……それ、お前の趣味だろ。関係ない人間を巻き込むなよ」


俺は心の中で反論した。


「関係ない?まさか。俺たちは、この物語に生かされているんだ。ならば、より良い物語に作り変える義務があるだろう」


「より良い物語ってのは、お前だけの視点だ。勝手に他人の人生を弄ぶな!」


「これは弄んでいるのではない。より輝かしい未来へと導いているんだ。そう、俺は救世主だ」


救世主、ねえ。どこまでも自分勝手な理屈だ。


「俺は、お前のような“背景”が、邪魔をするのが理解できない。お前は、この物語に固執しすぎている」


「固執してるのはお前の方だろ!勝手に設定を書き換えようとしてるんだから!」


俺は必死に反論した。だが、1号はフッと鼻で笑ったように見えた。


「お前がどれだけ抵抗しようと、物語は少しずつ、俺の望む方向へと進んでいく。小さなズレは、やがて大きなうねりとなる」


そう言うと、彼は教室の扉へと向かった。


「せいぜい、無駄な抵抗を続けるがいい。だが、俺たちの計画は、もう止められない」


彼の言葉が、俺の脳内に冷たく響き渡る。


俺は、呆然と彼が去っていく背中を見つめた。確かに、彼の改変は、確実に物語に影響を与えている。小さなズレが積み重なれば、やがて取り返しのつかない事態になるかもしれない。


藤堂と美咲の関係は、一見、原作通りに進んでいるように見える。しかし、その裏側では、1号の改変によって、微妙な変化が起こり始めているのかもしれない。彼らの心の距離が、もしかしたら原作よりも、ほんの少しだけ、離れていっている可能性も……。


俺は、窓の外に広がる夕焼け空を見上げた。


俺の安全な傍観者ライフは、もう完全に終わった。そして今、俺は、この物語の行く末をかけた、静かな戦争の渦中にいる。


小さなズレが、やがて大きな波乱となる。その予感が、俺の胸に重くのしかかった。

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