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第7話「エピローグ」

いよいよ学園祭本番当日。校門をくぐると、まるで別世界に迷い込んだかのような熱気が俺を包み込んだ。色とりどりの装飾が施された校舎は、普段の無機質な雰囲気を忘れさせるほど華やかで、あちこちから生徒たちの活気あふれる声が響いている。廊下を歩けば、焼きそばの香ばしい匂いや、甘いクレープの匂いが混じり合い、食欲を刺激する。


「うわー、すっげぇ……」


俺は思わず感嘆の声を漏らした。昨日までのドタバタが嘘みたいだ。完璧な「存在感ゼロ」スキルを駆使し、生徒たちの波に紛れて移動する。誰にも気づかれることなく、このお祭り騒ぎの中心にいる気分は、ちょっとした優越感だ。


俺のクラスの出し物は、やっぱり演劇だった。体育館のステージでは、照明がスポットライトのように輝き、幕が開くのを今か今かと待ちわびている観客で埋め尽くされている。俺は、客席の最後列、柱の陰に隠れるように座り、開幕を待った。ここなら、舞台全体を見渡せるし、俺の存在が誰かの邪魔になることもない。


「ま、モブの俺には、この特等席がお似合いってことか」


心の中で小さく呟いた。


そして、ついに幕が上がった。


ステージ中央には、まさに物語の主人公とヒロイン。藤堂翔と高嶺美咲が立っている。二人の顔には、少しだけ緊張の色が見えるものの、それを上回る輝きが宿っていた。


物語は、原作通りの展開で進んでいく。藤堂翔が、迷いながらもヒロイン美咲に手を差し伸べ、美咲もまた、その手を取る。時にコミカルに、時に真剣に、二人の心が通じ合っていく様は、客席のあちこちから聞こえる「キャー!」という黄色い声援が物語っていた。


俺は、その様子をじっと見つめていた。そうだ、この光景だ。俺が守りたかったのは、この「予定調和」なのだ。改変モブ1号の介入を阻止し、本筋を歪ませずにここまで来た。そのことに、どこか達成感のようなものを感じていた。


舞台袖の暗闇に、ちらりと改変モブ1号の姿が見えた。彼は、悔しそうな表情で舞台を見つめている。彼の心の中の声が、俺の脳内に響いた。


『ちくしょう……今回は、お前の勝ちだ、背景……!』


その声は、負けを認める悔しさだけでなく、どこか諦めのような響きも帯びていた。彼は、静かに舞台袖から姿を消した。よし、これでこの学園祭は、無事に原作通りのハッピーエンドを迎えられる。


演劇はクライマックスへと向かい、藤堂翔が美咲に告白をするシーンになった。客席の熱気は最高潮に達し、固唾を飲んで見守っている。


「高嶺!俺は、君のことが……好きだ!」


藤堂のまっすぐな告白に、美咲は顔を赤らめながらも、満面の笑みで頷いた。


「私も……藤堂くんのことが、大好きです!」


拍手喝采。嵐のような歓声が体育館を揺らした。俺も、心の中で拍手を送った。ああ、これだよこれ!この王道展開こそが、ラブコメの醍醐味なんだ!


演劇が終わり、俺は誰よりも早く体育館を後にした。もう十分だ。俺のモブとしての役割は、これで果たされた。後は、また静かに、この世界の行く末を見守るだけだ。そう、思っていた。


校舎の裏手。人気のない場所を歩いていると、不意に、後ろから声が聞こえた。


「ねえ、背景くん」


その声に、俺はビクリと肩を震わせた。この呼び方をするのは、一人しかいない。


ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは、高嶺美咲だった。彼女は、まだ演劇で使った衣装を身につけていて、その姿は、まるで物語から抜け出してきた妖精のようだった。


「なんで……ここに?」


俺は戸惑った。彼女は、今頃、藤堂翔やクラスメイトたちと、打ち上げを楽しんでいるはずじゃないのか?


美咲は、ふわりと微笑んだ。


「ちょっと、抜け出してきたの。あなたに、どうしても言っておきたいことがあったから」


そう言うと、美咲はゆっくりと俺に近づいてきた。その距離が縮まるたびに、心臓の鼓動が早まる。


「あなた……やっぱり、ただの背景じゃないかもしれないよ?」


美咲の言葉に、俺は目を見開いた。


「どういう意味だよ……俺は、ただのモブだぞ?席表に名前すらない、存在感ゼロの」


俺は、必死に平静を装って言った。それでも、声は少し震えていたかもしれない。


美咲は、首をかしげた。


「そうかな?だって、あなたは、いつも物語を正しい方向へ導こうとしてくれてた。私、ちゃんと見てたよ。あの時、藤堂くんの足元にシャトルを転がしたのも、台本のページを直してくれたのも、段ボール箱を動かしてくれたのも……全部、あなたでしょう?」


彼女の言葉に、俺は絶句した。まさか、俺の地味すぎる妨害行動を、全て見破られていたとは。しかも、それが俺の「存在感ゼロ」のスキルを活かした行動だということも、わかっているのか?


「なんで……お前は、俺が見えるんだ?」


俺は、震える声で尋ねた。これが、一番の謎だった。彼女だけが、なぜ俺を認識できるのか。


美咲は、少しだけ寂しそうな顔をして、校舎の向こう、夕焼けに染まる空を見上げた。


「それは……私も、うまく説明できない。でも、私には、あなたが見える。他の人には見えないものが、あなたにはあるから」


他の人には見えないもの。それは、この物語世界にとって、俺が「異物」だからなのか。それとも……。


美咲は、再び俺に視線を戻し、優しい笑顔を浮かべた。


「また会おうね、背景くん。次は、きっともっと、面白いことが起きるから」


そう言い残すと、美咲はくるりと身を翻し、夕焼けの中に消えていった。その姿は、まるで夢のように、あっという間に消え失せた。


俺は、一人、校舎の裏に残された。美咲の言葉が、脳内でこだまする。


「また会おうね、背景くん」「あなたは、ただの背景じゃないかもしれない」


俺は、空を見上げた。夕焼けの赤色が、まるで燃えるような情熱を空に描いている。


俺は、ただの傍観者でいたかった。安全に、平穏に、この物語の行く末を見守るだけの存在でいたかった。しかし、もう、それは叶わないのかもしれない。


俺は、もう一度、心の中で決意した。たとえ、この先、どんな波紋が広がるとしても。


そして、その日の夕方。クラスの誰もいない教室の隅に、俺はそっと足を踏み入れた。夕日が差し込む、ひっそりとした空間。


俺が座っていた、名札のない机。その隣の、使われていない机に、一人の男子生徒が座っていた。


彼は、昨日までの改変モブ1号とは違う。だが、どこか似たような、不思議な雰囲気をまとっている。俺と同じように、周囲に溶け込みすぎて、まるで存在しないかのように。


彼は、俺の方をチラリと見た。そして、小さく、しかし確実に、口元に笑みを浮かべた。


それは、まるで、これから始まる新たな物語の幕開けを告げるような、静かな笑みだった。


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