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第6話「モブの一歩」

学園祭前日。校内は、まるで巨大な生き物がうごめいているかのように、熱気に満ちていた。あちこちで生徒たちが駆け回り、段ボール箱を運び、飾り付けに精を出している。美術部の生徒が描いた巨大な垂れ幕が体育館の入り口に掲げられ、その下では吹奏楽部が本番さながらの演奏練習をしていた。


「うわー、すげえ熱気だな……」


俺は、誰もいないような廊下の隅に立ち、その光景を眺めていた。こんな時こそ、俺の「存在感ゼロ」スキルが輝く。誰にも邪魔されず、この活気に満ちた舞台裏を、特等席から満喫できるわけだ。そう、俺は空気。最高のモブだ。


だけど、同時に、胸の奥には鉛のような重さがあった。改変モブ1号と、高嶺美咲の件だ。俺の安全な箱庭は、すでに浸食されつつある。特に、1号の大仕掛けが気になって仕方ない。


今日のメインイベントは、学園祭の準備の最終確認。そして、そこで藤堂翔と高嶺美咲が、とある小道具を共同で運ぶという「本筋イベント」があるはずなのだ。それが、原作通りのラブコメ展開への重要なステップなんだ。


「絶対に変えさせねーからな……!」


俺は心の中で誓い、目を凝らした。改変モブ1号は、相変わらず教室の隅で、やけに熱心に資料を広げている。しかし、その視線は、時折、小道具置き場や、藤堂翔のいる方向へと向けられている。間違いなく、何かを企んでいる。


しばらくすると、クラス委員長が「よし、じゃあ小道具の最終チェックを始めよう!」と号令をかけた。生徒たちがワッと小道具置き場に集まっていく。俺も、空気になって、その場に紛れ込んだ。


原作では、高嶺美咲が「重い」と言って持ち上げられない大きな星の飾りを、藤堂翔が「大丈夫か?手伝うよ!」と言って、二人が協力して運ぶはずだった。それが、二人の距離を縮める、甘酸っぱいフラグなのだ。


だが、改変モブ1号は、その星の飾りの隣に、別の「天使の羽」の小道具を、これまた「偶然」倒した。


「あ、すみません!」


天使の羽を倒したのは、藤堂翔だ。彼は慌ててそれを起こそうと屈む。その隙に、1号は高嶺美咲にサッと近づいていく。


「高嶺さん、この星の飾り、重そうですね。俺が手伝いましょうか?」


(うわあああ!まーたベタな手口で割り込んできた!てめー、俺の神聖なラブコメを汚すんじゃねー!)


俺は心の中で悲鳴を上げた。このままじゃ、藤堂と美咲の共同作業フラグが潰れてしまう!こんな大事なイベントを横取りさせるわけにはいかない!


俺は考えるよりも先に動いていた。藤堂が天使の羽を起こすのを手伝うフリをして、彼の隣にいた女子生徒の足元に、「偶然」小さな絵の具のチューブを転がした。


「きゃっ!」


女子生徒が小さな声を上げた。藤堂翔は、反射的に彼女のほうを向いた。


「大丈夫か?滑るから気をつけろよ!」


藤堂はそう言って、チューブを拾い上げる。その一瞬の間に、高嶺美咲は、1号の差し伸べた手を見つめ、少しだけ躊躇した。その美咲の表情が、原作通り、藤堂翔の目に入るように、俺は飾りの影から、「偶然」小さな段ボール箱を動かして、彼の視線を美咲へと誘導した。


「高嶺!その星の飾り、俺が運ぶよ!」


藤堂が、力強く美咲に声をかけた。美咲は、ハッとしたように顔を上げ、藤堂のまっすぐな瞳を見つめた。


「藤堂くん……!はい、お願いします!」


美咲は笑顔で頷いた。よし、これでフラグ回収成功!二人は星の飾りを共同で運び始めた。俺は、その様子を隠れて見守りながら、心の中でガッツポーズをした。


(ふっ、モブの仕事ってのは、こういうことだ。陰から支える、最高の黒子役!)


しかし、俺の脳内に、あの声が響いた。


『またか、お前……!邪魔をするな、背景!』


改変モブ1号の声だ。彼は、悔しそうにこちらを睨んでいた。俺はそっと、彼から視線を逸らした。まだ、直接会話するには早い。俺はあくまで背景だ。


だが、俺の行動は、確実に彼に認識されている。そして、俺自身も、ただの傍観者ではいられなくなっていることを、痛感していた。安全圏を破る。それが、今、俺に求められていることなのかもしれない。


放課後。ほとんどの生徒が帰り、校舎内は静まり返っていた。俺は、体育館裏に回った。ここなら、滅多に人が来ない。


体育館の壁にもたれかかりながら、俺は今日の攻防を反芻していた。俺は、いつの間にか、物語の筋書きを守るために、積極的に干渉するようになっていた。それは、かつての「安全第一」という俺の信念とは、少しずつズレてきている。


「これで、いいのかな……」


誰もいない空間で、俺は小さく呟いた。その時、背後から、ひそやかな足音が近づいてくるのが聞こえた。振り返る必要はない。俺の「存在感ゼロ」スキルは、俺自身が認識したくない相手には、完全に機能する。だから、俺が認識できるということは――。


そこに立っていたのは、改変モブ1号だった。彼は、まっすぐ俺の方を見ていた。


「やはり、お前だったか」


彼の声が、俺の脳内に直接響く。俺の独り言が誰にも聞こえないように、俺は彼の心の中の声を聞くことができる。それが、俺たちの唯一のコミュニケーション手段だった。


「何の用だ、改変モブ」


俺は心の中で、精一杯の強がりを言った。


1号は、フッと冷めた笑みを浮かべた。


「背景が、やけに物語に干渉してくる。俺たちの邪魔をするなと言っている」


「邪魔って言うなよ。俺はただ、この物語を“修正”してるだけだ。お前が勝手に筋書きを捻じ曲げようとしてるんだろ」


俺は反論した。


「捻じ曲げる?違う。俺は、この物語をより良いものにしているんだ。より面白く、より、俺たちが望む展開に」


彼の声には、確固たる信念が宿っていた。


「この物語は、あまりにも陳腐だ。王道すぎて、退屈だ。もっとドラマチックに、もっと刺激的に。俺たちが生きてきた世界とは違う、もっと輝かしい物語に作り変えることができるんだ!」


俺は、彼の言葉に少しだけ戸惑った。確かに、このラブコメ小説は、良くも悪くも王道で、奇をてらわない物語だ。だけど、それが悪いことだとは思わない。


「退屈じゃない。これはこれで、意味があるんだ。予定調和だって、それが織りなす感動ってものがあるんだよ。お前みたいなヤツが勝手に介入して、ぐちゃぐちゃにする権利はない!」


俺は、精一杯の言葉を紡いだ。なぜか、必死だった。この物語を、このラブコメの世界を、俺は守りたかった。


1号は、俺の言葉を聞いて、目を細めた。


「お前は、この世界の住人じゃない。俺と同じ、“流れ着いた”者だろう?なのに、なぜ、この物語にそこまで固執する?」


その言葉に、俺は言葉を詰まらせた。確かに、俺はこの世界の人間じゃない。ただの傍観者だったはずなのに。いつから、こんなにもこの物語に肩入れするようになったのだろう。


「俺は……俺はただ、この物語が、予定通りに進むのを見守りたいだけなんだ。それだけが、俺の、この世界での唯一の役割だ」


「役割?ふざけるな。俺たちは、もっと自由になれるはずだ。この物語の“主役”になれるんだ!」


1号の声は、熱を帯びていた。彼の目には、確かな野心が宿っている。


「俺は、お前のような“背景”のままでは終われない。この物語を、俺が支配する!」


そう言い放つと、1号はくるりと背を向け、体育館裏の闇の中へと消えていった。


俺は、一人、その場に残された。心臓は、まだ大きく脈打っている。


「主役、か……」


俺は、空を見上げた。どこまでも続く、見慣れない空。


俺の安全な傍観者ライフは、本当に終わりを告げたのだ。そして、俺は今、明確な敵と、明確な意思を持って、この物語に「存在」しようとしている。


それは、モブの一歩。

そして、物語が、新たなページをめくる音だった。


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