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第11話「本筋が予定通りに戻る」

学園祭の一件から、季節は静かに移ろい、校舎には穏やかな日常が戻ってきた。あの日、俺が地味に、しかし確実に介入したことで、改変モブ1号の計画は全て阻止された。藤堂翔と高嶺美咲のラブコメは、無事に本来のレールの上を走り続けている。


俺の心の中では、あの時の達成感がまだ温かく残っていた。


(ふっ、モブだってやればできるんだぜ。どんなに地味でも、結果が全てってやつだ!)


朝の教室。俺はいつものように窓際の一番後ろの席に座り、完璧な「存在感ゼロ」スキルをフル活用して、周囲の状況を観察していた。


藤堂翔は、今日もクラスの中心で、明るい笑顔を振りまいている。彼の隣には、いつも高嶺美咲がいる。二人は楽しそうに談笑し、時折、視線が交錯するたびに、甘酸っぱい空気が周囲に漂う。それはまさに原作通りの、どこまでも健全で眩しいラブコメだ。朝の光が差し込む教室で、二人の笑い声が軽やかに響き、まるで舞台のスポットライトを浴びているかのように輝いている。


給食の時間。藤堂の班と美咲の班が、それぞれの話題で盛り上がっている。一見、何事もなかったかのように見えるけれど、俺にはわかる。彼らの会話の端々から、微かに「心の距離」が縮まっているのが見て取れる。まるで、磁石のN極とS極が、ゆっくりと互いを引き寄せ合うように、彼らの間に見えない引力が働いているのだ。


「ねえ、藤堂くんってさ、最近なんか雰囲気変わったよね?」


美咲の親友が、ヒソヒソ声で美咲に尋ねる。その声は、隣の席の俺にしか聞こえないほどの囁きだった。


「え?そうかな?でも、なんだか、前よりも話しやすくなった気がする、かも……」


美咲がはにかむように答える。その声は、ほんの少しだけ、弾んでいるように聞こえた。


(よしよし、いいぞ美咲!そのままもっと藤堂に惹かれていけ!)


俺は心の中でガッツポーズをした。俺の地味な妨害が、ちゃんと功を奏している証拠だ。あの時、改変モブ1号が仕掛けた「ズレ」は、完全に修正され、物語は再び、王道のラブコメ展開へと回帰していた。


放課後。クラスの生徒たちが部活動へと向かい、教室は静かになっていく。俺は、改変モブ1号の姿を、ここ数日見ていなかった。学園祭での敗北が、よほど堪えたのだろうか。それとも、新たな改変を企んでいるのか。


『今回は……お前の勝ちだ。だが、これで終わりだと思うなよ』


彼の心の中の声が、脳裏に蘇る。彼は諦めたわけじゃない。きっと、どこかで次の機会を窺っているはずだ。奴は、一度計画が失敗したとしても、きっと別の手を使ってくるだろう。その粘り強さが、何よりも厄介だった。


それでも、今のところは平和だ。俺は、この「平和」を享受する義務がある。


俺は、自分の席に突っ伏して、今日の出来事を脳内で整理していた。


藤堂と美咲の関係は、確実に進展している。原作通り、二人の間に甘酸っぱいイベントが次々と発生し、互いの感情が深まっていく。それは、俺が望んだ、安全で平和なラブコメの世界だ。


しかし、同時に、あの時の美咲の寂しそうな表情が、時折脳裏をよぎる。俺の介入によって、彼女が別の男子生徒からアプローチを受ける機会を失った。あの時、美咲がもし別の道を歩んでいたら、どんな「物語」が展開されたのだろうか。その可能性を、俺は奪ってしまったのではないか。そんな自問自答が、心の奥で繰り返される。


(いや、これでいいんだ。これは物語なんだ。俺は背景モブとして、その筋書きを守る役割なんだから。俺は、俺のするべきことをしたんだ)


自分にそう言い聞かせた。それでも、胸の奥には、微かな違和感が残っていた。まるで、完璧に調律されたはずの楽器の弦が、一本だけ、ほんのわずかにズレているような、そんな小さな不協和音だった。


ある日の放課後。高嶺美咲が、クラスの友達と校門で別れた後、一人で商店街の方へと歩いていくのが見えた。普段なら、彼女は真っ直ぐ家に帰るはずなのに、放課後の校門は活気が薄れていく時間帯。友達と別れると、すぐに帰り支度を整えるのが美咲のルーティンだったはずだ。


(ん?なんだろ、何か用事でもあるのかな?もしかして、藤堂翔との隠密デートとか?いや、それなら美咲はもっと顔がニヤけてるはずだ。今日の様子だと、そういう感じでもないし……)


俺は好奇心に駆られ、彼女の後を追うことにした。もちろん、誰にも気づかれないように。モブの強みだ。彼女の背後を、空気のようにすり抜けていく。


美咲は、商店街の賑やかな通りを歩き、とある古びた喫茶店の前で立ち止まった。商店街特有の、どこか懐かしいコーヒーの香りが漂ってくる。美咲は、その扉をゆっくりと開けて中に入っていく。


俺は、喫茶店の外からそっと中の様子を窺った。レトロな雰囲気の店内には、数人の客しかいない。美咲は、一番奥の窓際の席に座り、メニューを広げていた。


すると、店の奥のカウンターから、一人の女性が姿を現した。彼女は、年の頃なら美咲より少し上くらいだろうか。色素の薄い柔らかな髪が肩まで伸びていて、どこか気だるげな表情。だが、その瞳の奥には、美咲と同じ、どこか諦めのような、そして強い意志のような光が宿っているように見えた。


美咲が、その女性に笑顔で手を振った。


「お姉ちゃん、今日もありがとう!」


(お姉ちゃん!?)


俺は思わず、心の中で絶叫した。まさか、高嶺美咲に姉がいたなんて!原作には、そんな設定、どこにもなかったぞ!?これは、間違いなくこの物語の「異物」だ。美咲自身が「流れ着いた存在」だとしたら、彼女の姉もまた、同じなのか?


女性は、美咲の前に冷たいグラスを置き、優しい笑顔を返した。


「元気にしてた?最近、忙しそうにしてたから、心配してたのよ」


「うん、ちょっとね。でも、もう大丈夫。色々、落ち着いたから」


美咲は、安心したように微笑んだ。二人は、穏やかな雰囲気で会話を続けている。その内容は、学校での出来事や、最近読んだ本の感想など、ごく普通の姉妹の会話だった。だが、俺には、その平穏な会話の中に、どこか本筋とは異なる、別の物語の断片が隠されているような気がしてならなかった。


しかし、俺の脳内では、美咲の姉の存在が、新たな謎として大きく浮上していた。彼女もまた、この物語には存在しないはずの人間だ。彼女も、「流れ着いた存在」なのだろうか。疑問は尽きない。


喫茶店での二人の会話は、しばらく続いた。そして、時間が経ち、美咲が姉に手を振って店を出た。俺は、誰にも気づかれずに、美咲の後を追った。彼女の背中を追う俺の足取りは、いつの間にか、ただの好奇心から、この世界の、そして美咲の真実に触れたいという欲求に変わっていた。


帰り道。美咲は、商店街を歩きながら、ふと立ち止まった。夕暮れ時になり、オレンジ色の光が商店街の通りを長く染めている。


そして、誰にともなく、小さく呟いた。


「物語は、ちゃんと、元の場所に戻ったかな……」


その声には、安堵と、かすかな疲労、そして、ほんのわずかな寂しさが混じっていた。


(美咲……やっぱり、お前も、この物語の「異物」なんだな。俺と同じ、いや、俺以上に、この世界の真実に触れている存在……)


俺は、彼女の背中を見つめながら、そう確信した。彼女は、俺と同じように、この物語の「外」から来た存在。そして、俺と同じように、この物語の行く末を案じている。


美咲は、再び歩き出した。その足取りは、どこか軽やかになったように見えた。


俺は、彼女の背中を、ずっと見送っていた。夕暮れの中に消えていくその姿は、一輪の白い花のように、美しく、そしてどこか物悲しかった。


今回の改変モブ1号との戦いは、ひとまず俺の勝利で終わった。物語は本筋に戻り、藤堂と美咲の関係も順調に進んでいる。これで、俺の「安全な箱庭」は、再び平和を取り戻したはずだ。


しかし、高嶺美咲の謎、そして彼女の「姉」という新たな存在。それらは、俺の心に、新たな疑問と、かすかな波紋を残していった。その波紋は、まるで静かな水面に広がるさざなみのように、俺の心の奥底にまで届き、ざわめき続けていた。


物語は、本当に、このまま平和に進むのだろうか。


俺は、静かに、そしてゆっくりと歩き出した。夕暮れの空が、俺の背中を優しく照らしていた。この物語の行く末は、まだ誰も知らない。だが、一つだけ確かなことがある。俺は、もうただの「背景」ではいられない。この世界の、そして美咲の真実を、俺は知りたいと強く願っていた。

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