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第1話「転生と観察」

「……は?」


視界が、パッと明るくなった。重い瞼をこじ開ければ、目に飛び込んできたのは、見慣れない木の机の天板。やけに年季の入ったソイツには、ハートマークだの、意味不明な英単語だの、色とりどりの落書きがこれでもかと刻まれている。まるで、そこに座る生徒たちの青春の残骸を、全部吸い込んじゃったみたいにさ。


思考は完全に停止。いや、停止どころか、どこか異世界へとワープした感覚に陥る。自分がどこにいて、何をしていたのか、まるで思い出せない。身につけてる制服だって、これじゃない。もっと言うと、この教室の空気、この机、この椅子……全部が、「物語っぽい」んだよな。


壁を見やれば、やたらとキラキラした笑顔の生徒が並ぶポスターがずらり。黒板には、まるで達人の筆で書かれたみたいな今日の予定。その脇には、お約束のようにクラス名簿が貼ってある。興味本位で目を凝らすと、そこには見覚えのある名前が羅列されていた。


「高嶺美咲……藤堂翔……って、は?」


心臓が、ズンッと嫌な音を立てる。おいおい、マジかよ。これ、俺が暇つぶしに読んでた学園ラブコメ小説の登場人物じゃねーか!特に「高嶺美咲」は、その物語の揺るぎなきヒロインAだろ。そして「藤堂翔」は、彼女とイチャイチャする運命のメイン主人公。こんな漫画みたいな展開、ありえんて。


自分の机に目を落とす。あれ?俺の名前はどこ?名札がない。まさかと思い周囲を見渡せば、どの机にもちゃーんと名札が置いてあるのに、俺の机だけ、まるでそこだけ時間が止まったみたいに、何も置かれていない。


リーンゴーン、と間の抜けたチャイムが鳴り響く。授業開始の合図だ。ほぼ同時に、白髪交じりの担任らしきおっさんが教室に入ってきて、「はい、席に着けー」とダルそうに言う。


俺はなんだか居心地が悪くて、とりあえず自分の席に腰を下ろした。


「よし、じゃあ出席を取るぞ。一番、赤羽!」


「はいっ!」


元気な声が響く。続いて、教師は名簿を読み上げていく。


「二番、石田!」「はいっ!」「三番、大野!」


規則正しく進む点呼。俺は自分の名前が呼ばれるのを待った。いや、待つべきなのか?机には名札もないし、俺、そもそも誰だっけ?と、もはや哲学的な問いが脳内を駆け巡る。


そんな中、教師の声が聞こえてきた。


「……高嶺!」


「はいっ!」


ハツラツとした声が、俺のすぐ近くから聞こえてくる。反射的にそちらを見れば、窓際の一番前の席に座る少女が、はにかんだ笑顔で手を挙げている。高嶺美咲。まごうことなき、この物語のヒロインだ。白い肌は光を透かし、栗色の髪は太陽を浴びてキラキラと輝いている。大きな瞳は、まるで星屑を閉じ込めたみたいに綺麗で、その唇から紡がれる言葉は、まるでどこか遠い国の音楽みたいに心地いい。彼女が教室にいるだけで、そこだけ色が違う絵画みたいに輝いてる。


そして、教師の点呼は、俺の存在を完全にスルーして進む。


「藤堂!」


「はい、先生!」


今度は、高嶺美咲の斜め後ろに座る男子生徒が返事をした。藤堂翔。爽やかで、健康的で、多分全女子生徒が一度は恋しちゃうような、絵に描いたようなメイン主人公。彼は、まさに物語の中心を歩く存在だった。


点呼はあっという間に終わり、俺の名前が呼ばれることはなかった。まるで、最初からそこに存在しなかったかのように。


俺は机に突っ伏して、深く、長いため息をついた。どうやら俺は「背景モブ」にでも転生したらしい。席表にも名前がない、点呼も飛ばされる。これほどまでに存在感ゼロって、もはや才能だろ。いや、能力か?


授業が始まった。黒板にはワケのわからない数式が並び、教師の声が子守唄のように響く。だが、俺の耳は、別の音を捉えていた。それは、俺の斜め前、つまり高嶺美咲と、彼女の親友らしき女子生徒のヒソヒソ話だ。


「ねえ美咲、なんか最近、元気なくない?」


親友の声が、まるでそよ風みたいに、俺の耳元をくすぐる。


「え、そうかな?別にそんなことないよ」


美咲は、ちょっとだけ俯いて答える。その声には、うっすらと雲がかかったような陰りがあった。


「だってさー、翔くんと最近あんまり話せてないって、気にしてるんでしょ?」


親友の言葉に、美咲の肩がピクリと震えた。


「そんなこと……ないよ。ただ、ちょっとね……どうしたらいいか、わからなくて」


美咲の声は、まるでガラスの破片みたいに脆くて、今にも崩れ落ちそうだった。ああ、なるほど。メイン主人公の藤堂翔に対して、もうすでに特別な感情を抱いているのか。そして、物語が本格的に動き出す前の、ほんのささやかなすれ違いに、ヒロインが胸を痛めているってわけだ。本編じゃ絶対描かれない、ヒロインのウラ側が、まさかこんな形で俺の耳に直撃するとは。


誰も、俺が聞いていることに気づかない。先生も、他の生徒たちも、もちろん話してる本人たちも。俺は、教室の片隅で、ただの「男子生徒A」ですらない、「透明人間」だった。この世界じゃ、俺は空気そのもの。視界の端にも入らない、まさに背景そのものなんだ。


この現象は、正直ちょっと怖い。だけど同時に、変な安心感もあった。


だって、現実世界で社会人ゲーマーだった俺は、物語の結末を読むのが好きだったんだ。でも、それが悲劇で終わることもしばしばでさ。お気に入りのヒロインがヤバい目に遭ったり、主人公が理不尽に死んだりするたびに、心臓を鷲掴みにされたような痛みに襲われてた。


だけど、もしこのまま「存在感ゼロ」のモブとして、このラブコメ世界に居続けられるのなら?メインストーリーには一切関わらず、ひっそりと、でも確実に、登場人物たちの「裏の顔」や「隠れた感情」を観察し続けられる。そうすれば、物語の進行を誰よりも早く察知して、悲劇の兆候があれば、もしかしたら……いや、そこまでは考えなくてもいいか。


ただ、このまま安全に、平穏に、この物語の行く末を見守ることができる。それって、かつての俺が望んでも決して手に入れられなかった、「最高に安全な特等席」を手に入れたようなもんじゃん?


昼休み。教室は朝より一層、騒がしさが増してた。生徒たちは思い思いの場所に集まって、お弁当を広げたり、談笑したり。俺は、持参したコンビニおにぎりを片手に、廊下の隅に立つ。ここなら、完璧にステルスモードで周囲を偵察できる。


遠くで、学園の生徒会長と、文芸部のおとなしそうな女子がすれ違う。生徒会長の顔はポーカーフェイスだけど、一瞬だけ、その視線が文芸部女子の背中に吸い寄せられたのが見えた。あれはきっと、密かな片思いのサインだな。小説には書かれてなかったけど、読者間では有名な考察ネタだった伏線だ。


さらに目を凝らすと、校舎裏では、どう見ても喧嘩っ早い系のヤンキーが、子猫にミルクをやってる姿を発見。小説の中じゃ、バリバリの武闘派キャラだったはずなのに、まさかの動物好きっていうギャップ萌え。これもまた、本筋には全く関係ないけど、読者にとってはご褒美みたいな「裏情報」だよな。


表の世界では、王道の学園ラブコメがキラキラと展開されている。眩しいくらいの青春の光が、この校舎全体を包み込んでる。だけど、その裏側では、俺だけが知る、無数の人間関係や秘められた感情が、まるで地下水脈みたいに脈々と流れてるんだ。俺は、その地下水脈を独り占めしてるみたいで、ちょっと優越感に浸ってた。


「このまま観察者でいれば、死ぬリスクも、誰かに恨まれるリスクも、ぜーんぶゼロじゃん」


そう確信した瞬間、俺の心に、今まで感じたことのない穏やかな波が広がった。この世界は、俺にとっての「完璧な安全地帯」。誰にも邪魔されず、誰にも干渉されず、ただ静かに物語の進行を見守る。それこそが、俺がこの世界で手に入れるべき、最高の場所だ。


放課後。教室にはもうほとんど生徒は残っていなかった。静まり返った空間で、俺は今日の出来事を脳内でリピート再生する。ヒロインAの隠された想い、生徒会長の片思い、ヤンキーの善行……。まるで、俺だけが最前列の特等席で、物語の裏側を一人で実況してるみたいだ。


そんな中、ふと、教室の隅に見慣れない男子生徒が座っているのが目に入った。窓際の一番後ろの席で、まるで背景の一部みたいに静かに本を読んでる。


おかしい。今日、席替えなんてなかったはずだ。それに、名簿にも、あんな生徒の名前はなかった。まるで、ポンッと異世界から降ってきたかのような存在。


彼は、時折、本から視線を上げて、教室全体をゆっくりと見回した。その視線は、メイン主人公の藤堂翔やヒロインの高嶺美咲の姿を追っているようにも見える。そして、不自然なほど自然に、近くにいた生徒たちと会話を交わし始めたのだ。


「は?あいつ……」


俺は思わず息を呑んだ。彼は、俺と同じ「背景モブ」であるはずなのに、なぜか周りの生徒に話しかけ、しかも向こうも何の違和感もなく彼に応答してる。


それは、まるで静かな水面に、ポツンと石が落ちて小さな波紋が広がるような光景だった。穏やかで安全だった俺の箱庭に、突如として舞い降りた、もう一人の「イレギュラー」。


その男子生徒の横顔には、どこか挑戦的な笑みが浮かんでいるように見えた。こいつ、一体何者だよ。そして、この世界のどこに、こんなヤツが潜んでたんだ?俺の安全な箱庭に、ほんの少しだけ、ざわめきの風が吹き始めた気がした。


それは、物語が、静かにその次のページをめくり始めた音だったのかもしれない。


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