第8話
第八話
「お、七だ。七つ先は、([主役食らいのバイプレイヤ―]の異名がつく。次回から報酬が二倍になる)。やったー! 大金持ちへの道第一歩だー!」
「自分、ろくな死に方せえへんぞ」
私は今、仕事中に人生ゲームをしている。別に仕事をサボってるわけじゃない。人生ゲームをするのが今日の仕事なのだ。
ある日突然、先輩に誘われた。(自分のナノマシンの特性がわかったかもしれへん。人生ゲームで確かめるぞ)、って急に言い出したから、(どうして人生ゲームでわかるんですか?)って聞いたら、(人生ゲームは人生の縮図やからや)って。とか言いながら、持ってきたのは、(スパイと殺し屋人生ゲーム)。特殊な人生過ぎるでしょ!
「四。また四か〜。(潜入中に敵に正体がバレて、命からがら逃げ出す。報酬はなし、逃亡中に負った傷の治療費二万ドルを払う)。なんで俺だけこんな人生なんや……」
「まあまあ、波瀾万丈な人生の方が楽しいじゃないですか」
「自分全然危なげなく進んでるやん! そんなん言うんやったら大怪我の一つくらいしてみ〜や」
「すいません、昔から怪我だけはしたことないんです」
数分後。
「お! 同じマスや! 勝負や!」
「(同じ潜入先のマスに止まったら、お互いに正体がバレて勝負をすることになる。順番にルーレットを回し、勝った方が負けた方に重傷を負わせ、逃亡させる)。なるほど。面白いですね。主役食らいのバイプレーヤーと呼ばれるこの私の前に立ちはだかろうとは。望むところです」
「じゃあ俺からや。いくで! ……。九! これは勝ったな。主役食らいのバイプレーヤー食らいやったわ、ごめんな」
「ぐぐぐ……。ですがまだ勝負が着いたわけではありませんよ。私の番です。……! あ、ちょっと、止まれ! ん? や、やったー! 十だー! 格の違いというものがわかりましたか? あなたがもし主役食らいのバイプレーヤー食らいだと言うのなら、私は主役食らいのバイプレーヤー食らい食らいです」
なんか今さっき、ルーレットが不自然な動きをしたような……。
「くそっ! また敗走か! この世は正義が必ず勝つんと違うかったんか!」
「せんぱ~い、先輩はどちらかと言えば悪役の方がお似合いですよ~。まあたっぷり負け人生を味わってくださ~い」
「それはもう悪役のセリフやん」
先輩の微力ながらの健闘むなしく、結果は私の圧倒的な勝利に終わった。
「先輩、闇の世界の藻屑と消えましたね」
「どうせ俺は藻屑なんや……」
「まあまあ、藻屑でも幸せになれますよ、きっと」
「なんやその慰めに見えて全然慰めになってない言葉は」
先輩、ドンマイ。
「そんなことより、これで私のナノマシンの特性を確かめられたんですか?」
「やっぱり予想通りやったわ。自分でも心当たりあるんちゃう?」
「心当たり……。時々ルーレットが変な動きをして、不利なマスを避けたなとは思いましたけど、それはただ私が運命の女神に愛されてるだけなのかなって」
「運命の女神やったらもっとバレへんようにやってるわ。あのお方は不自然を好みはらへん」
知り合い?
「じゃああれはナノマシンの仕業ってことですか?」
「そうや。それも自分のナノマシンの特性によってそうなったんや」
「特性……。どんな特性ですか?」
「それ聞いちゃう? 敗者にお願いしちゃう?」
「じゃあ大丈夫です自分で考えます」
「それはな、危険から自分を守る時にだけ発動してるってことや」
「言っちゃった……」
「それに加えて、他のナノマシンは意識的に使うものである一方で、自分のナノマシンは制限がある代わりに無意識下でも発動させることができる」
「なるほど。てことはもしかすると、今までも私の気付かないうちに守ってもらってた可能性があるってことですか?」
「その通り」
「一体いつからなんだろう。私がナノマシンに守られるようになったの」
「それは自分で考えてくれ。きっとこれや、って体験があるはずや」
「わかりました。思い出してみます」
「そうしてくれ」
「じゃあせっかく出したんだし、もう一回やりますか、人生ゲーム」
「やるわけないやろ、負けんのわかってんのに」
*
今日は午後からの勤務だ。午前で終了の日か、今日みたいな午後からの日か、どっちがいいかと聞かれたら、午前で終わる日の方がいいけど、それでも一日勤務よりは全然ましだ。当然か。
本日の流れは、まず倉庫室Bに集まって事件の情報を整理して、そこから現場に向かうという感じです。
とか頭の中で何の中身もないことを言いながら仕事の緊張を誤魔化しつつ出勤する。私は意外にも繊細な女の子なのだ。
部屋の前に来た。今日は、先輩は何を食べているのだろう。先輩はいつも早めに来てここで昼食を摂るから、午後勤務の日の多くは先輩の捕食シーンから始まる。
扉を開けて中に入った。開けた瞬間に目に入ったのは、なにやら奥の方で先輩がパキパキと音を立てながら何かを折って、そこから飛び出したものを何かにつけて食べている画だった。リアル捕食シーンだ。ついに本性を現したか、先輩。
先輩は食べるのに夢中で私の存在に気付いていないようだったので、静かに、ゆっくりと、歩み寄っていった。
近づくにつれ、生モノのにおいが漂ってきた。いよいよ黒だな。
まだここからだと、キッチンのカウンターに遮られて置かれているものが見えない。もう少し近づこう。大丈夫、私にはナノマシンがある。いざという時にもきっと守ってくれるはずだ。
カウンターの下に隠れた。そして、手を拳銃のポーズにし、頭の横で構えるフリをした。なんか潜入捜査みたいで格好良かったから。
「自分そんなとこで何してんの?」
「うわっ! おはようございます!」
「ああどうも〜。で、何してたん? さっきからコソコソして」
「あ、気付いてたんですか」
「そら気付くやろ、部屋の真ん中歩いてたら」
「何食べてるのかなって思って」
「ああこれな、これはカニや」
「ああカニですか……、え? カニ? 職場でカニ?」
「そうやで? 職場でカニやで? それが何か?」
「いや別に、何か駄目っていうわけではないですけど、モラル的にどうなのかなって」
「モラル的にって、別に人殺してるわけじゃないねんからいいやん」
「別に駄目っていうわけじゃないんですけど、なんか」
「じゃあじゃんけんで決めよ。はい、じゃんけんポン。……」
「ハサミ出してくると思ってましたよ」
「何よ! 私がどこで何食べたって私の勝手じゃない!」
「開き直った……」
「だからあれや。固定観念を打ち破ろうって話や。殻破ろ、な?」
「……はい」
先輩がカニを食べ終わるのを待って、海底のにおいが漂う部屋の中で情報整理を行なった。
「今回の被害者は田中正人さん、小学四年生、十歳。小学校の休み時間に突然破裂して亡くなる。その場には飛び散った血液と服しか残っていなかった、と」
「肉片とかは全く残ってなかったってことやな?」
「いや、ほんの少しだけ皮膚片が見つかってるみたいですね。でもそれも、小学四年生の平均表面積よりは圧倒的に少ないみたいです」
「……なるほど。それで、その子はクラスの中ではどういう立ち位置におったん?」
何かに気付いた? 先輩は何かを考える時、目を閉じる癖がある。その間、暗闇をスクリーンに、抽象度の高い根源的なことを自由自在に操っているんだと思う。大体いつも、すぐには言わないけど、口にした時には事件の核心を掴んでしばらく経ってる感じがするから、もう何かが見えているのかも。
「今年に入って、一部の生徒からいじめられていたみたいです。他の生徒や担任の先生は、見て見ぬふりしていたようです」
「……そうか。それやったら話聞きに行く時には天野がおった方がいいかもしれへんな」
「何かを隠したりするかもしれないってことですか?」
「そうそう。都合の悪いことやからな。それに、何かを偽ることが当たり前になり過ぎて、自分で自分に嘘ついてることすら忘れてる場合もあるから尚更や」
「あれはいじめじゃない、ちょっと度の過ぎたじゃれ合いだ、みたいに最初は言い聞かせてたけど、そのうちストレートにじゃれ合いだと思うようになる、みたいなことですね」
「そうそう。やから、歪んだ認知の奥にある真実を知るために天野が必要なんや。というわけで、天野く、」
「はいは〜い! そろそろ呼ばれる頃だと思ってたよ!」
先輩の呼ぶ合図を遮るように、天野さんが部屋に勢いよく入ってきた。
「いや、天野く〜ん! って言い切ってから入ってきてくれへんかな? 絶対わざとやってるやろ」
「いやいや、僕はただ君が、天野く〜んって言うの恥ずかしいだろうと思って」
「被せられるのも恥ずかしいやろ」
二人は本当に仲が良い。類まれな能力を持っている者同士の共鳴だろうな。
「まあまあ、そういつまでもじゃれ合ってると置いていきますよ!」
「これはじゃれ合いじゃなくて俺へのいじめや!」
私たちは、事件があった区内の小学校に向かった。比較的新しい校舎で、窓付きの胡麻豆腐みたいに見えた。正門から中に入り、職員室へ行くと、校長と教頭が近寄ってきて、そのまま校長室に案内された。
「我が校は常に生徒を第一に考えておりますので、どうか穏便に、ご協力お願いします」
「は〜い」
二人は田中さんの担任を呼びに校長室を出て行った。
「生徒を第一に考えてるんやって〜。どう思う? 先生も生徒もどっちも同じくらい大事やんな〜?」
「批判するのかと思ったら超優しい指摘が出たね」
「私も、何か優先順位をつけるのは緊急事態の時だけにすべきだと思います。そもそも、本気で生徒第一に考えてるんですかね?」
「やましいことを探らせないための詭弁だね。本当に第一に考えてるのは自分の身の安全だ」
「そもそも、初めから何かを切り捨てる前提で考えるから、そこに歪みが生まれて問題が発生すんねん」
数十分後、担任を連れて二人が戻ってきた。
「お待たせしました。彼が担任の鶴橋先生です」
「鶴橋と申します」
鶴橋先生を真ん中にして三人は座った。鶴橋先生は、どこか雰囲気が萎れてる。ほんの少しだけ目の焦点がずれているし、口角が際限なく下に落ち続けてるような感じがする。
「この度はどういったご用件でご足労いただいたんでしょうか? 右側の刑事さんはこの前も来ていただいたと思いますが」
「前回は事件の全体像を掴むために、今回は真実を見極めるために来ました。そちらも大変でしょう。生徒が弁解しづらい亡くなり方をして」
天野さんの聞き取りの様子は意外だった。ニコニコした雰囲気が逆に得体の知れなさを生み出していて、正直、対面する側でなくてほっとしている自分がいる。
「そうですねえ。生徒や親御さんたちにどう説明したらいいものか、考えあぐねているところです」
「まあそこは安心してください。私たちが真実を突き止めますので。それで鶴橋先生、田中正人くんのクラスでの様子について、もう一度話していただけますか?」
「はい。彼は一人でいるのが好きみたいで、一人で本を読んでいる姿をよく見かけましたが、時々クラスの一部の生徒と仲良くしている様子も見られました」
声に芯がない。傘を伝って無抵抗に落ちていく雨粒みたいだ。
「前回も話してもらいましたが、仲良くというのをもう少し具体的に教えていただけますか?」
「それは、体を使って遊んだり、いたずらし合ったりとかですかね」
「し合ったり。正人くんもクラスメイトにいたずらをしていたと?」
「ええ、まあ、多分」
「あの刑事さん、その質問であの生徒の不可解な死について何がわかるんでしょうか?」
教頭が間に割って入ってきた。
「真実を明らかにするには全てが重要なんですよ。では次に、正人くんがどんな子だったか教えていただけますか?」
「田中くんは、何事にも積極的に取り組む子でした。どんな授業でも前向きに参加していたし、行事にも同じように前向きでした」
「じゃあ学級委員とか、運動会のクラスリーダーとか、何か役職に就いてたりしたんじゃないですか?」
「いや、今のところそういうのは」
「そうなんですか。ちょっと話戻りますが、正人くんはクラスの誰と仲が良かったんですか?」
担任の目線が一瞬揺れた。ちょっと核心に迫った質問だったのかな。
「……クラスのリーダー格の子たちです。四人ぐらいかな」
「その子たちの名前、教えてもらえますか?」
「え、ええ。井上明くん、新井健くん、石山海斗くん、中崎良一くんの四人です」
「その子たちに会いに行ってもいいですか?」
「それはちょっと……。彼らは田中くんの死を間近で見ていて、かなりショックを受けてるみたいなので」
「なら最近は学校を休んでるとかですか?」
「いえ、別にそういうわけではないですが」
「じゃあ今日の放課後ちょっと会ってもいいですか?」
「今日は早期下校でもうみんな帰ってしまっています」
わざとかな。たいして時間稼ぎにもならないのに。
仕方なく今日はそのまま下校した。
後日、確実に生徒たちがいる時間にやってきた。教師たちもさすがに言い逃れできず、帰りのホームルームの時に話を聞けることになった。
生徒たちは私たちの姿を見てもはしゃいだりはせず、後ろめたさを証明するように沈黙していた。
「はじめまして! 僕たちは別に怪しい者じゃなくて、怪しい者を捕まえる方の警察官をやっています! 隣になんだか怪しい者がいるけど、彼も警察官だから安心してね!」
「いや誰が怪しい者やねん」
「今日はみんなに、亡くなった田中くんのことを聞くためにやって来ました! まずは田中くんがどんな子だったか、教えてくれるかな!」
しばらく待ってみても、誰も何も言おうとしなかった。
「そうだよね、なかなかクラスの前で発表するのは怖いよね! なので、今からホログラムのアンケート用紙を配ります! そこに書かれた質問の答えを入力してくれるかな?」
誰も返事をしなかったけど、私たちはホログラムのアンケート用紙を配り始めた。アンケートは、田中さんがどんな人だったか、田中さんがクラスでどういう立ち位置だったかなど、複数の質問が用意されていて、紙の下三分の一ぐらいの大きさのキーボードで入力するようになっていた。
「じゃあ今日中に提出してもらおうかな! その紙は、全部入力して送信ボタンを押したら勝手に消えるようになってるから、家ででも取り組んでくれるとありがたいな! じゃあ申し訳ないけど、これから呼ばれる人は帰らずにちょっとだけ残ってください! 井上明くん、新井健くん、石山海斗くん、中崎良一くんは、ちょっと座ったまま待っててください! それでは他の皆さんは気をつけて帰ってください! 解散!」
「お前先生ちゃうやろ」
指示通り、呼ばれなかった生徒は教室を出て、呼ばれた四人は各々自分の席に残った。
「協力してくれてありがとう! じゃあ左から順番に名前教えてくれるかな?」
「井上明です」
「新井健です」
「石山海斗です」
「中崎良一です」
「ありがとう! 君たちが田中くんと特に仲が良かったと聞いたから残ってもらったんだけど、実際のところはどうだったのかな?」
誰も天野さんの方を向こうとしない。そこには隠し事をしている人のよそよそしさだけじゃなく、反抗心があるようにも見えた。
「黙るということは、仲が良かったわけではないってことでいい? じゃあ次、田中くんとはどんなふうに遊んでいたのかな? ちなみにだけど、こういう時に何も話さなければ、何も話さない、話したくない理由があるってことがわかるんだ。今の質問に何も答えないと、田中くんに何か良くないことをしていた、ってことになるんだけど、どうかな?」
「……」
「何も答えないと……。いや~君たちは偉いね! ちゃんと良くないことを良くないことだとわかってる。だから答えない、答えられないんだよね? 人は、自分が良くないことをしたと気付けるから反省して、償うことができるんだ。そして、きちんと反省し、償いをすれば、必ず許される。今、君たちの心の奥深くにある大きな痛みからも、必ず解放される。だから話してくれないかな? 本当のことを。誰もこれ以上苦しまないために」
天野さんのその言葉で、教室の空気が変わった。温かく優しいものになった。その途端、小学生たちが一斉に泣き始めた。
「田中くんを、いじめてました……」
「心のどこかでは本当は良くないことなんじゃないかって思ってたけど、どうしたらいいかわからなくて……」
「田中くんに暴力を振るったり、水風船ってあだ名をつけてからかったりしていました……」
「田中くんを無視するように、クラスのみんなに命令したりしました……」
「話してくれてありがとう! じゃあもう一つ教えてほしいんだけど、どうして田中くんをいじめたりしたのかな?」
「なんかいつも堂々としてて、それにムカついて……」
「俺たちに嫌なことされても全然動じなくて、それで余計に……」
「そうだったんだね。わかったよ、ありがとう! 君たちは人を傷付けた。だから他の人より以上に優しく生きないといけない。それは簡単なことじゃない。だけどこれだけは覚えておいて。優しく生きた人は、必ず幸せになれるって!」
後は先生に任せて、私たちは学校を出た。田中さんのご両親の自宅は学校のすぐ近くにあったのでそのまま歩いて行くことにした。
「いや~、天野さん凄いですね! 一瞬で子供たちの心の扉を開いてしまうなんて」
「ほんまですね~、さすが天野さんやわ~」
「まあ君にはできないだろうね」
「なんでやねん。俺でもでき、」
「あの時、どうしてああなったんですか?」
「悪いことをした人がどうして悪いことをしたと認めたがらないのかっていうと、それは悪いことをしたらたとえ償いをしたとしても許されないんじゃないかって思っているからなんだ。それは別に人とか社会とかだけじゃなくて、神様とかこの世の理とか、人の力ではどうしようもないものから許されないことを恐れているんだ。だって、幸不幸はそのどうしようもないものが握っているわけだからね。だから必ず許されることを知れば、認めるようになるよ」
「ちょっと、俺にもでき、」
「なるほど! つまり、罪に対する裁きが自分を再起不能にさせるんじゃないかって怖くなってるからなかなか受け入れたがらないんですね!」
「おい! 優しく生きないと幸せになられへんぞ!」
五分ぐらい歩いたところで目的地に着いた。田中さんが住んでいた家は、二階建ての一軒家が建ち並ぶ住宅街の一つだった。
インターホンを押すと、母親が出てきた。やけに普通な感じで招かれたことに違和感を覚えつつ、中に入った。部屋に置かれている家具は、この前のタワーマンションの時よりは高くないだろうけど、それでもかなり高級感を漂わせていた。天野さんからバトンタッチして、ここからは私が話を聞くことになった。
「今日は、亡くなった息子さんのことでお話を伺いに来ました」
「ああ、正人の。それで、何を聞きに来たんですか?」
「その前に、息子さんがクラスでいじめに遭っていたことはご存じでしたか?」
「そうだったんですか? 知りませんでした。正人からは何も言われなかったものですから」
この人は察することを知らない人なのかな。きっと本人は両親に心配をかけないように本当のことを言わなかったんだろうけど、そんなに表面には現れないものなのかな。
「最近の息子さんは、どんな様子でしたか?」
「そうですね、毎日元気に学校に行っていたと思います。だから、いじめなんて……。本当にいじめられていたんですか?」
「はい。それは事実です」
「そうだったんですか。すいません、気付けなくて」
「いえ、私たちに謝る必要はありません。それで、息子さんはどんな方だったんですか?」
「正人は……、しっかりした子でした。あとは、優しい子だったと思います」
「どんなふうに優しい方だったんですか?」
「どんなふうに。そうですね、いつも私たちにありがとうと言ってくれたりとか」
この人からは自分で考えた痕跡が見つからない。起こったことから、起こったこと以上のことを読み取ろうとしていない感じがする。外見や振る舞いから、この人特有のものを何一つ感じ取ることができない。
「そうでしたか。息子さんとは他に、どんな話をしていたんですか?」
「他には、学校であったこととか、ですかね」
「なるほど。あのちょっと話変わりますけど、お父さんは、今はお仕事中ですか?」
「ええ、そうです」
「どういったお仕事をされてるんですか?」
「医者をしています」
その後、正人さんの部屋を見せてもらった。部屋の中は、子供用の勉強机とベッドがあって、子供の部屋にしては本棚の割合が多いのが印象的だった。
「勉強用の教材が結構並べられてますね。あの感じだと、お父さんが熱心に勉強させてたんでしょうか」
「そうかもしれんな。本棚の感じからして、学ぶことは好きそうやけど、試験用の勉強が好きそうな感じではないし」
「試験には出てこないような分野の本も多くあるからね。精神医学とか、哲学の本もある」
先輩が、机の上に唯一置いてあった一冊の本を手に取った。
「ドイツの詩人の名言集やん。小学生で読んでんのは偉いな。てゆうか一ページだけ参考書とか問題集の時にやるめっちゃ開いて折る開き方してるページあるやん。よっぽど何回も見たんやろうな。どれどれ。線引いてあるし。『一貫したものは環境においてでなく、自分みずからのうちに求めよ』。小学生でこの文章に何かしらを感じて何回も繰り返し見てたって、大人より大人やな」
「君より大人だね」
「俺は生涯子供料金や」
「これは逮捕ですね」
母親に礼を言い、自宅を後にした。
そのまま倉庫室Bに戻ってきて、配ったアンケートの結果を見ることにした。大画面テレビに映して、そこの前に集まって確認した。
「まずは、正人くんがどんな子だったかだ。あ、優しいって答えた人が多いね。次は堂々としてる、と」
「具体的なエピソードを書いてる人もおるな。いじめが始まるまでは勉強を教えてもらったりしてたとか、泣いてたところに寄り添ってくれたとか」
「周りの子たちも、いじめを見て見ぬふりするのは辛かったんじゃないでしょうか」
「そうだろうね。特にまだ幼いから、自分の心の痛み、罪悪感とか良心をうまく誤魔化す術を身に付けていない。だから、ずっと痛みに苛まれていただろうね」
「やから尚更勇気を出して立ち上がるべきやねんけどな。まあなかなか大人でもできひんことから仕方ないと言えば仕方ないと言えるけど」
「それで自分が標的になったらって考えると怖くて言い出せないんでしょうね」
「ほんとは見て見ぬふりすることの方がもっと怖いことなんだけどね。次はいじめについて知ってること。加害者の子たちが言っていたことは、みんなも知っていたみたいだ。正人くんが涙をこらえているのを見た子もいるんだね」
「そうか……。一人でよう戦ったなあ」
二人は悲しそうに微笑んだ。悲しい時にそれでも笑うのは、二人が優しいからだと思う。だって、誰かが受け入れて笑ってあげないと本当に悲劇になってしまうことを知っているから。
「ナノマシンの作用と田中さん自身の動機はわかりましたか?」
「今回の事件のテーマは、名は体を表す、いや、体は名を体現するようになる、や」
「そして動機は、悲劇からの解放だろうね。でも、今回は、大いなる動機の方が、正人くんの中に占める割合が大きかったんじゃないかな」
「人々に正しく言葉を操れるようになってもらうこと、ですね」
「今回は天野、やってくれるか? 俺、怪しい人やから」
「そうだね。今回は僕の方が適任みたいだ」
*
後日、田中さんのクラスの、生徒も参加しての保護者会として、講堂に集まってもらった。並べられたパイプ椅子に生徒と先生と親が座り、壇上に注目を集める中、私たちは登壇した。
「こんにちは! 私たち、警察省で刑事をやっています、遠藤と」
「園福寺と」
「天野です!」
「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます! 田中正人くんの件でわかったことがありますので、お伝えしたいと思います! まず初めに、ご紹介したいものがあります! ではどうぞ!」
「はいどうも~! わたくし、不審者の異名を持つ刑事、園福寺で~す! 今回は、皆さんに紹介したいものがあります。それは、田中正人くんの身に起きたことを知る上で必要なものです。これです、って見えへんか。これは、飲んでからあだ名を呼ばれるとそのあだ名と同じものになってしまう薬です。飲んでみますね。はい。じゃあ僕のあだ名は不審者なので、不審者~って呼んでみてください」
全員で先輩に向かって不審者~、と呼んだ。
「はい、そのままです。僕の場合、元々不審者みたいなので、呼ばれても特に変化はありません。ていうか誰が不審者や! ということでわかりにくかったと思うので、このお姉ちゃんにも飲んでもらいましょう。はい飲んで。このお姉ちゃんのあだ名、何がいいと思います? 誰か手挙げて教えてもらえます? はい、そこの女の子」
「妖精さん!」
「マジで? このお姉ちゃんが?」
私は先輩を笑顔で睨みつけた。
「……まあいいでしょう。じゃあ呼んでみましょう。せ~の、妖精さ~ん!」
その言葉を聞いた瞬間、突然体が軽くなり、観客の体が大きくなった。いや、私が小さくなったんだ。私、妖精になれたんだ!
「み、て、く、だ、さ、い! か、ら、だ、が、か、お、ぐ、ら、い、の、お、お、き、さ、に、な、っ、て、ちゅ、う、に、う、い、て、ま、す! と、い、う、こ、と、は、よ、う、せ、い、に、な、っ、た、と、い、う、こ、と、で、す!」
隣から信じられないぐらい大きな音で、しかもスローモーションで先輩の声が聞こえた。
「じゃ、あ、も、う、い、い、の、で、も、ど、っ、て、も、ら、い、ま、しょ、う、か。て、を、た、た、い、た、ら、も、ど、り、ま、す」
ちょっと待って! もうちょっと妖精でいたい!
そう思ったものの、冷静に考えたら妖精の割には大きいし、人間の中では妖精みたいでも、妖精になったら妖精の基準で見た目を評価されることになって、より厳しい目で見られるかもしれないので、やっぱり人間でいいやって考え直した。人間の中では妖精みたいなようだから。
そうこうしているうちに、隣でとてつもない爆発音が鳴った。その爆発音の最初の方を聞いた途端、体が一気に重たくなった。残りの手を叩く音も聞こえた。人間に戻ったんだ。
「はい、戻りました~。というわけで話も戻しますが、田中正人くんは、この薬を飲んだことで亡くなってしまったということです。じゃあ次はモデルみたいな刑事さんに代わりましょう。モデルさん、お願いしま~す」
「は~い! どうも! 彫刻の異名を持つ刑事、天野です! 今日はわざわざ集まってくれてありがとうございます! ここからはちょっと重たい話になるけど、ぜひとも聞いていただきたい! では始めます! まず、さっき紹介してもらった薬、あれを使って正人くんがどのようにして亡くなったか、少しだけ想像がついてる人もいるんじゃないかな。そう、正人くんは水風船と呼ばれていた、そして彼はそれと同じものになってしまい、破裂して亡くなってしまった。起こったこととしてはそういうことです。ここで一番気になるのは、どうして彼がそんな選択をしたのか、だと思います。なので、それをお話しします。はじめに、ご存じの通り、正人くんは一部のクラスメイトにいじめられていました。加えて、他のクラスメイトも教師も見て見ぬふりをし、孤立していましたね。結論を言ってしまえば、だから死を選んだわけだけど、それは決して、単純に自分が抱える辛さから解放されたいからというわけじゃない。だって、死んだからって辛さから解放されるわけじゃないからね。彼が本当に解放したかったのは、自分じゃなくて、ここにいる皆さんが抱える辛さの方だったんです。いじめというものは、決して被害者だけが辛いものではありません。加害者も、周りで見ている人も、それぞれ辛さを抱えているものです。自分はなんて酷いことをする人間なんだ、あんな優しい子を傷付けて。自分はなんて冷たい人間なんだ、あんなに思いやりのある子が傷付けられているのに、助けようとしないなんて。彼はその辛さから、皆さんを解放したんです、あることを伝えると共に。じゃあ、そのあることとは何か。それは、名前をつけることの危険性です。皆さんも何かしら名前、あだ名をつけたこと、つけられたこと、少なくとも一回はあるんじゃないでしょうか。それが例えば妖精みたいな良い意味のあだ名だったら気分があがるけど、不審者みたいな悪い意味のあだ名だったら、逆に気分が下がりますよね。どちらにせよ、あだ名、名前をつけてラベリングすることは、その人を縛ることになる。簡単に自分を、他人をラベリングして、その小さな意味の中に縛り付けてほしくない。そんな小さな意味の存在になろうとしなくていい。そして何より、皆さん全員には、わざわざ後からちっぽけな名前をつけなくても、はじめから平等に素晴らしい名前がついている。その名前とは、人間のことです。彼はそのことに気付いてほしくて、死を選んだ。本当に、惜しい人を亡くしました」
*
喫茶店での打ち上げ。はじめはもっと賑やかにするのが打ち上げだと思ってたけど、人が亡くなってるわけだから、あんまり盛大にするのも不謹慎な感じがするから、今はこのスタイルでもいいかなって思う。肝心の天野さんは別の事件の捜査で来られないみたいだけど。
「正人くん。小学四年生なのにすごい子でしたね~」
「そうやな~。偉大な人物を失ってしまったわ」
「お二人は、小学四年生の時は、どんな方だったんですか?」
「俺は今とほとんど変わってませんよ。見た目も中身も」
「少なくとも見た目は変わっていてくださいよ」
「遠藤さんは、どうだったんですか?」
「私ですか? 私は~、その時には両親が亡くなってたんで、ずっと一人で泣いてました。年中無休で」
「せめて一二五日ぐらいは休も? 両親、不可解な死に方やったらしいな」
「ええ。母の死因は今もわからないし、父は灰のように舞ってから消えていきました」
「遠藤さんは、その死をどのように捉えているのですか?」
「はじめは他殺だと思ってたんですけど、いくつものナノマシンの事件を通して、あれはナノマシンによってもたらされた死なんじゃないかって考えるようになりました。そうなると、自分で死を選んだ可能性も出てくるんですけどね」
「なるほどな」
「でも、今年に起きた事件も含めて、ナノマシンを渡した人物がきっとどこかにいるはずで、私はその人のことは許していません」
「そうですか……。では、いつか許す日は来るのでしょうか?」
「う~ん。ていうかそもそも、許していいものなんでしょうか。亡くなった人たちのことを考えると」
「じゃあ自分が亡くなった人の側やったとして考えてみるのは? 生きてる人には、自分を死に追いやった人のことをいつまでも恨み続けて欲しいと思うか、いつまでも自分たちを失った痛みに囚われ続けて欲しいか、とか」
「それは~、そんな暗い感情に囚われるんじゃなくて、前を向いて生きて欲しいとは思いますけど」
「けど?」
「けど」
「けど?」
「けど」
「けど?」
「けど」
「けど?」
「けど」
「これは何かの暗号ですか?」