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第6話

第六話

 目を覚ますと、隣にアダムが寝ていた。どうしてこうなったのか、全く思い出せない。酔っていたのかな。何でも酔えるから何で酔ったのかもわからないや。どうせ寂しくなって、ソファに置いていたアダムをベッドまで持ってきちゃったとかじゃないかな。

 今何時だろ。やった、目覚ましより早く起きれた。二度寝できる。おやすみアダム~。

               *

 やばい! 寝過ごした! 間に合うかな? 先輩、だらしないように見えて、案外集合時間とか守るタイプなんだよね。嫌だ! 遅刻でいじられるのは嫌だ! プライドが許さない!

 今日は警察省の取り調べ室で集合だ。倉庫室Bより下の階にあるから、先輩が面倒くさがってそうしたんだ。

 今回の事件はまだ完全に超常的な事件だと決まったわけじゃないんだよね。田所悠人さん、大学生。交際中だった前山明美さんと話している最中に、いきなり、死神の鎌で切りつけられたみたいな傷が胸の辺りにできて、そのまま大量の血を噴き出して亡くなった、っていうのが前山さんの供述らしいけど。警察はまだ半信半疑で、どこかに凶器を隠してるんじゃないかって必死になって探してるみたい。天野さんの絶対に当たる勘によると、前山さんは本当のことを話してるみたいなんだけど、なかなか信じてもらえないみたい。まだまだ超常事件に対する理解度は低くて、それに関連する私たちも、警察省内では肩身が狭いぐらいだからね。まだまだオールドタイプの人たちは証拠とか結果しか見ようとしない。それが現代文明の行き詰まりの原因だというのに。

 エレベーター! もっと速く上がれるでしょ! お前も天に昇りたいはずだ!

 エレベーターが到着して、急いで外に出たら、近くのトイレからハンカチで手を拭きながら出てくる先輩と鉢合わせした。してしまった。

「おう、遅かったやん」

「すいません。今着きました」

「別に謝らんでええよ。俺も今さっき着いたとこや」

 何がとは言わないけど、キレがもう少し悪ければ……。

 二人で集合場所の取り調べ室に向かって歩いていると、後ろから天野さんが合流してきた。

「おう、遅かったやん」

「あれ? まだ集合時間になってないよね?」

「集合時間の五分前が集合時間や」

「それなら先輩も間に合ってないじゃないですか」

「ほんまや」

 取り調べは私が対応して、先輩と天野さんは隣の部屋から観察することになった。いつも通りと言えばいつも通りだ。

 前山さんの待つ部屋に入った。彼女は奥の椅子に座っていた。私とは住む世界が違うと言わざるを得ない、人生謳歌してます系の見た目だ。髪の色は黒色だけど、その辺にあるような黒色じゃなくて、手入れが行き届いたような艶のある漆黒で、香水も人物にマッチしたものを的確に選んでいるし、化粧も綻びを一切感じさせず、洗練されてる。洗練されすぎて自然な温かみがない。だからかな、なんだかこの人が同じ空間にいると魂の糸が張り詰める感覚がする。人生をうまくやることに特化し過ぎてて、どこかに何かとんでもないものを隠していそうな予感がする。

 自分でもわかるぐらいぎこちなく着席した。

「超常事件対策課の遠藤です。よろしくお願いします」

「……お願いします」

「私たちは超常的な切り口から捜査をし、真実を解き明かそうという組織です。今のところ、私たちはあなたが犯人だとは考えていません」

「……ほんとですか?」

「ええ。ですので、容疑を晴らすためにも私たちに協力していただけますか?」

「はい、協力します」

 いい人のオーラをまとってる。とはいえ、こっちがいい人だと思いたくなるような感じじゃなくて、無理矢理いい人だと思わされているような感じの方が適切だ。普通の人ならその違いに気付けずに、雰囲気に流されて簡単に心を開いてしまうんじゃないかな。でも、私は流されない。なぜなら、私の心はあの時から止まったままだからだ。

「まず、亡くなった田所さんとの関係と、当時の状況を教えていただけますか?」

「はい。私たち、大学一年の時から付き合ってて、あの日がちょうど付き合って二年目の記念日だったんです。授業終わりに彼の家に集まって、お祝いのパーティーをしてて。食事が済んで、プレゼント交換も終わった頃には、その、いい雰囲気になって。それで私が好きだよって言ったんです。そしたらいきなり、あんなことに……」

「すいません、思い出させてしまって」

 なんだか嘘くさい。これは嫉妬? それもあるかもしれないけど、やっぱりこの人は何か嘘をついてる。

「亡くなる直前の田所さんに、何か変わったところはありませんでしたか?」

「……なかったと思います。いつも通りの優しい悠人くんでした」

「優しい方だったんですか」

「……はい。いつも大人しくて、彼のお友達が彼のことをからかっても、全然言い返さなくて、私の言うことも何でも聞いてくれて、とにかく、優しい人でした」

 それは優しいっていうか、都合がいい人なんじゃないかな。ほんとに好きなのか?

「そうですか。では田所さんはあなたのことをどう思っていたと思いますか?」

「……う~ん。でも、いつも好きだって言ってくれてたから、やっぱり好いてくれていたとは思います」

 誰かに好かれるなんて羨ましい! じゃなくて、なんだかどこか自信なさげだな。どうしてなんだろ。気のせいかな。

 取り調べを終え、倉庫室Bに戻った。応接用の椅子に、いつも通りの配置で座った。

「どうやった? 容疑者と話してみて」

「犯人ではないんですよね?」

「僕の勘ではだけどね」

「直接話してみてどうやったかを聞きたいんや」

「直接話してみた感じでは、やっぱり犯人ではなさそうな気がします」

「ほらね、だから言ったじゃないか。遠藤さんも同じように感じるって」

「いや俺もそう思ってたって。だから相手させてんて」

「私が相手するのはいつもと同じですよね」

「ちょっとそんな冷たい感じで言わんといてや。冬将軍がフライングしてきたんかと思ったわ」

 わかってる。きつく当たるのはこっちが相手に甘えている証拠だって。でも、なぜか先輩にはきつく行けちゃうんだよね。凄い人だっていうのは節々から伝わってくるんだけど。それが先輩の人望? いやいや。

「犯人じゃないとは思うんですけど、どこか裏があるような感じはしました。嘘って言うと言い方が悪いかもしれないですけど嘘っぽいっていうか」

「言うんかいな。なんていうか、演じ癖みたいなこと? 現代社会って、嫌なことをやりたいですって言って、好きじゃないことを好きですって言って、楽しくないことを楽しいですって言わな生きていかれへんからさ。そんな世界でうまく生きてる人って、なんか道化役者っぽく見えたりするやん。そんな感じではない?」

 出た、先輩の飄々としながら的確に世相の本質を突く技。本質っていうのは、あんまり自分の手柄とかに興味がない人に降ってくるものなのかな。

「確かにそれはすごく感じたんですけど、それだけじゃなくて、なんだかこう、大きな爆弾みたいなものを隠し持ってる感じがするんです」

「女の勘っていうやつなのか、遠藤さん自身の嗅覚なのか。どちらにせよ、僕の見解と同じだね。彼女は隠し事をしている。それは……、もう言ってもいいのかな?」

「勿体ぶらんとはよ言ってや」

「わかったよ。彼女は別に一人男がいるね。それに、どちらも本命じゃない」

 毎回思うけど、ほんとに天野さんの勘は超常的だ。どんなふうに世界が見えてるんだろう。

「自分もそう思ったん?」

「私もそんな感じがします。さすがに本命かどうかまではわからなかったですけど」

「やるやん。それで、本命じゃないっていうのは、本命はまだ他におるってこと?」

「いいや。そういうわけでもなくて、単純にどちらも本気じゃないってことだね」

「なんなんそれ。付き合う意味なくない?」

「案外そういう人も多いと思いますよ。一人でいるのが寂しくて、とか、周りが付き合ってるから仲間外れになるのが怖くて、焦って自分も、とか」

「今回の彼女の場合、世間が造り上げた、充実した人生みたいなイメージを重要視する人のようだから、なおさらそういうことが起こり得るのかもね」

 天野さんって、時々断定しないんだよね。絶対当たる勘を持ってるはずなのに。なんでなんだろ。

「ちょっと話変わりますけど、天野さんって、絶対当たる勘を持ってるのに、たまに断定しない時があるじゃないですか。それってなんでなんですか?」

「ああ、それは簡単な話だよ。人間の全てを一度に、というかそもそも決して知ることができないからだね」

「人間は無限個の要素で出来てるってことやな」

「なるほど、確かにそれなら決めつけるのは良くないことです」

 ちゃんとした思想があったのか。恐るべし、天の使い天野。

「今、恐るべし、天の使い天野って考えてた?」

「恐るべし……」

 ちょうどお昼頃になったので、昼食を摂ることにした。冷蔵庫には、のり弁当が三つだけ入っていた。私、天野さん、先輩の順に、冷蔵庫の上にある電子レンジで温めて席についた。

「いただきま〜す!」

「やっぱり秋はのり弁当やな〜」

「そういうものなのかい?」

「ここ以外ではあんまり聞かないですね」

「いやいや、みんな強がってるけど結局はのり弁が好きやねんって。最後はのり弁に帰って来るねんて」

「じゃあ春はどうなんですか?」

「のり弁当」

「夏は?」

「のり弁当」

「冬は?」

「のり弁当」

「ただののり弁馬鹿じゃないのかな?」

 早食いな天野さんが食べ終わった頃、私はあと四分の一、先輩は食べるのが遅いからあと半分ぐらい残っていた。

「自分ら食べんの早過ぎるって。せっかくののり弁やねんからもっと味わって食べな」

「せっかくって言う割に、そこそこの頻度で出てきてる気がするんですけど」

「ほんとにのり弁が好きなんだね」

「のり弁は数少ない、好きと断言できるもののうちの一つやな」

「確かに、先輩の好き嫌いって今考えたらあんまりわからないです」

「ほんまに好きじゃないと、好きって言わへんからな」

「それって普通じゃないんですか?」

「さっきの話と同じやって。好きじゃないものにも好きって言わなあかん世の中やから、好きの基準がめっちゃ低くなってんねん」

「自分でも何が好きで何が好きじゃないか、わからなくなってる人も多いんじゃないかな」

「なるほど。じゃあ先輩は、私たちのこと好きですか?」

「……グググ、ギギギ……」

 全員が食べ終わると、事件についての話題に変わった。

「今回の事件、ナノマシン的な観点からはどう考えてるんだい?」

「自分はどう考えてる?」

 私のことを指す言葉が(自分)なのは正直やめて欲しい。

「私ですか? そうですね。とにかく前回みたいに、言葉が受け手にとって傷になったから、そういうふうな結果になったんですよね?」

「それはそうやな。大事なんは、どうして傷になったんかっていうのと、それが何を意味するのかや」

「前者は私的な動機と、後者は大いなる動機と関係がありそうだね」

「大いなる動機が関わってるってことは、二つの事件が同じことを表してる可能性はないですよね?」

「そうやな。大いなる者が命を無駄遣いするとは思われへん」

「だとすると、前回の、言葉に対する認識が人によって異なるっていうのとは別のことを表している……」

「なんか前回っていうよりは前々回の事件の方が似てそうやな」

「自分との約束みたいな話だったよね」

 栗野さんは自分との約束を破って亡くなった。それが今回の事件と似てるんだ……。(約束します)って言った瞬間に亡くなった……。

「お、なんかゾーンに入ったで」

「なんだか空気が変わった感じがするよ」

 約束を破るつもりで(約束します)と言った。嘘をついたってことだよね。誰を騙すための嘘? それは自分……。今回は(好きだよ)が嘘。それは別に自分を騙すためってわけじゃなさそう。

「顔に落書きしても気付かれなそうやな。おでこに無我って書こかな」

「知らないよ。それでなくても一回痛い目に遭ってるんだから」

「あ、わかりました! 嘘ですよ、嘘。今回は、他人を言葉で欺くっていうのはどういうことなのかを伝えようとしてるんですよ!」

「なるほどな。確かにそれはあると思う。でも、まだ足りひん感じがするな」

 え?

「そうだね~。まだ一面的な視点にとどまってる」

「あんなにすかした感じ出しておいてすかすって、めっちゃ恥ずかしいんですけど。どういうことですか、解説お願いします」

「他人を欺くとどうなるかっていうのは欺く側からの視点の話だ。だから、欺かれる側の視点も統合して欲しいってことだね」

「片側からだけじゃなくて、両面から見ないと真実はわからへんからな」

 超人どもが~。

「そういうことですか~。欺かれる側から見ると……、私たちが普段何気なく受け取っている言葉には、あれだけ自分を傷付ける嘘を孕んでいる可能性がある……」

「それらを統合すると?」

 めっちゃ丁寧に誘導されてる。目に見えないものを扱ってるのに、それで人を導けるなんて、この人たち、何者なんだ? ていうかそれについていける私、何者なんだ?

「言葉には、それ自身と、それが表す対象があって、それらが正しく一致していないこともある、みたいな」

「そんな感じやな。付け加えるなら、その不一致が生み出すものとして、本音と建前みたいな悲劇を回避することもあれば、今回みたいに悲劇そのものになることもあるって感じか」

「良くはないけれど、必ずしも悪いわけでもないんだね」

「それじゃあ、次は田所さんに関わることについてですね」

「それは被害者のことをもっと知らなわからんやろな」

「てことは、これから被害者の家に行くのかな?」

「そうですね。そうしましょう」

「それなら僕の役目はここまでだね。後は二人で頑張って」

「ありがとうございます。天野さんは、この後どうするんですか?」

「今すぐ別の事件で行かないといけないところがあって。これで失礼するよ」

「ああじゃあちょっと待ってください」

「なんだい?」

「女の勘じゃなくて、私自身の嗅覚です」

「それはその時言わんかい」

 天野さんが部屋を出た後、私たちはゆっくり準備をして、田所さんの家に向かった。田所さんは、通っている大学の近くにあるワンルームアパートの二階に住んでいて、事件自体もそこで起こったみたい。今回は普通の高速道路を使いました。高速道路に乗って三十分、そこから下りて東京にしては田舎な場所をさらに三十分、車で走ったら到着。アパートのすぐ近くの道路に駐車した。

「アパート見るの久しぶりです」

「区内にはあんまりないからな」

 緑色の階段を上がり、田所さんの住む部屋の前に来た。鍵穴には関係者識別装置が刺さっていた。警察関係者はこれを竜巻と呼んでいるらしい。鍵穴から飛び出している部分に警察手帳を認識させれば、装置が回転して鍵が開くからそう呼んでるみたい。

 私の警察手帳を通して鍵を開け、中に入った。

「街は田舎なのに、中は結構今どきって感じのデザインですね、ってうわっ! 奥の部屋すごいことになってますね」

 廊下の電気を点けると、奥の部屋がうっすら見えて、そこには至る所に血が飛び散った跡があった。

「ご飯食べた後に来るところではなかったな」

「ほんとですね」

 キッチンと洗面所を素通りするように光沢のある白い廊下を進んで、先に奥の部屋に入った。奥の部屋も白を基調とした内装で、窓寄りの壁に、上から下まで血で天の川銀河が描かれているみたいになっていた。

「天野さんに言われた通り、ホバースリッパ持って来ておいて正解でしたね」

「ほんまやな。床にも結構血付いてるわ」

 私たちは、ホバースリッパを履いて奥の部屋に入った。このスリッパは宙に浮いてるから、現場を保存するのに最適だ。あと、案外潔癖な私にピッタリだ。

 窓の近くにベッドがあって、左側にソファがある。事件当時はこのソファに座ってたみたい。

「ああ、本棚にも結構血飛んでるな。右下の方はまだマシやけど。お、ロシアの文豪が書いた童話の本あるやん。こういうの読むタイプやったんや」

「最後の方に何か挟まってますね。しおりかな」

「そうっぽいな。あ~、このページか。『愛の中にあるものは神の中にあり、神もまた、その人の中にある。なぜなら神は愛であるから』。何を思ってこのページにしおり挟んでるんやろな」

「私たちの中に愛という名の神が……。信じたかったんでしょうか。人間の中に愛があるって」

「そうかもしれへんなあ」

「カーテンの柄も布団の柄も、緑色の葉っぱだったり、ベッドの上に可愛らしい恐竜のぬいぐるみが置いてあったりしてて、穏やかな人だったのかなって感じますね」

「そうやな〜。本棚にも結構童話とか絵本とか置いてあるわ」

 廊下に戻ると、キッチンの上に枯れた豆苗が置いてあるのを見つけた。シンクには白い食器が放置されてる。家の持ち主が死んでしまうと、家にあるものも死んでしまうんだね。

 お風呂場にはカビ一つないし、トイレの黒ずみも全くなかった。

「綺麗好きだったんでしょうか」

「そうかもしれへんな。洗面台には美容グッズまで置いてるし」

 一通り見たら部屋を後にして、車に戻った。

「部屋からはどんな人物像が浮かび上がりましたか?」

「繊細さを感じたな。特に女性的な繊細さを持ってる人なんかなって」

「私も思いました。なんだか花みたいな壊れやすさというか、守ってあげたくなるような感情が湧いてきました」

「母性本能みたいなやつか。あったんやな、自分にも」

「失礼ですね! 私にだって母性本能ぐらいありますよ! ひよことか育てたくなったりするし」

「食べるためやろ?」

「それはただの肉食本能じゃないですか〜。あんまり失礼なことばっかり言ってると、養いますよ!」

「俺のこと食べる気やん……。とりあえず警察行こか」

「えっ、私を突き出すつもりですか?」

「ちゃうわ。近くの警察署に被害者の両親が来てるから、話聞きに行こうってこと」

「ああ、そういうことですか。なら行きましょう」

「頼むわ、プレデター遠藤」

「その売れないタレントみたいな呼び方やめてください」

 ということで、か弱い私とパワハラ上司の先輩は、この街の警察署に向かった。

 田所さんの遺体を確認した後だったご両親に、すぐ近くの待合スペースで話を聞いた。

「悲しまれているところなのに申し訳ありません。無理のない範囲で大丈夫ですので」

「……ええ。お気遣いありがとうございます」

「では初めに、息子さんがどんな方だったか教えていただけますか」

「……そうですね、優しい子でした。人が嫌がるようなことはしないし、自分が嫌なことをされてもやり返さないし」

「……。お父さんからはどのように見えていましたか?」

「そうですねえ、あまりに気弱だったので、これから社会でやっていけるのかと心配でした」

「なるほど。息子さんに恋人がいたのはご存知でしたか?」

「ええ、息子から聞いていました。あの子、あんまり前に出るようなタイプじゃないですから、人生で初めてできた彼女で、とても嬉しそうにしていました」

「あんないい子が悠人の彼女になってくれて、不思議だったよな?」

 このお父さん、息子を失った悲しみに向き合えずに強がってるのかな。この先がちょっと心配だな。

「お相手の方と交流があったんですか?」

「何度かですけど、悠人と二人でうちに来てくれて。明るくて気配りができて、いい子でした」

「そうだったんですね。最近の息子さんの様子はどうでしたか?」

「最近……。最後に会ったのがこの前の夏休みなんですけど、その時は、……なんだかスッキリした顔をしていたような気がします。今考えたら、なんでなんだろ……」

 いずれ説明しないといけないんだよね。この両親はどう思うのかな。

「スッキリしたということは、それまではモヤモヤしたもの、何かしらの悩みだったりを抱えていたということでしょうか。何か心当たりはありますか?」

「悩みですか……、あんまりそういうのはなかったんじゃないかな……」

 悩みのない人なんているのかな。ただ見せないようにしてただけなんじゃ。

「わかりました。大変な時に引き止めてしまい申し訳ありませんでした。心身ともにごゆっくりなさってください」

 遺族との話を終え、車に戻った。

「遺族の方々と関わると、心が痛くなりますね」

「そうやな〜。亡くなった人もやけど、残された方も死んだぐらい苦しいからな〜。そういう人らと関わるのは、生半可なことじゃないわ。でも、その心の痛みに麻痺したらあかん。そうなったら、正義の皮を被った化け物になってしまう」

「……そうですね。警察官って、大変な仕事ですね……」

「大変やな〜。やから、しんどくなったら休んだらええねん。それで治ったら、また戻ってきたらええ」

「休んで治るものなんでしょうか」

「根本的には休んで治るものではないな。抱えてる苦しみと向き合って、乗り越えて、自分の中から答えを見つけないと、本当の意味で心が癒えることはない。やけど、なかなか忙しい時に自分の抱える苦しみと向き合うのは難しいから、積極的に休むべきなんや」

「今の社会には、苦しみとか悩みとかを抱えること自体が悪、みたいな風潮がありますからね」

「そうやな。せやから、苦しみを抱えてる人をこの社会は切り捨てて無かったことにしようとする。ほんまに悪いのは、苦しみを抱えることじゃなくて、それを見て見ぬふりして乗り越えようとせえへんかったり、乗り越えさせへんことやのにな」

「でも、抱えてる苦しみを乗り越えるのって、誰でもできることじゃないですよね?」

「今の世の中ではそうやな」

「乗り越えられる人と、乗り越えられない人って、何が違うんでしょうか」

「信仰やな」

「信仰……。神とかそういったものを信じるってことですか」

「まあ神っていうか、いろんな呼び方がされてるけど、要はこの世界を司ってる究極の真理のことやな。この世界を司ってるってことは、何でもできるってことや。やから、どんなに絶望的な状況でも、それを覆す何かが起こる、何かを起こせるって信じられる。究極の真理を通して、この世界の、人間の可能性を信じることを信仰って言うんや」

「う~ん。なんだか夢物語に聞こえます」

「科学技術文明の終局に位置する現代を生きる人々にとっては、そう見えるかもしれへんな。でも考えてみ。この社会には超常事件対策課があるやん。それは、超常的な出来事に対応する組織が必要になってきてるってことや。この行き詰まりを極めたお先真っ暗な世の中にも、常識を超えたことが起こり始めてるんや」

「たしかに……。そういえば、信仰省の設置を訴える政治家もいました。超常省とかにはならないんですね」

「そうそう。人間の人生を通して起こる奇跡となると、超常的かどうか判断しようがないからな。でも、信仰を通して苦しみを乗り越えて、常識では考えられへんような、それこそ超常的な人生を歩んでる人が現れ始めてるってことやな」

「なるほど。先輩、なんか悟ってますね」

「昔、車運転してたら菩提樹に激突したことがあって、それで免許没収されてんけど、それからなんか真理が見えるようになったな」

「それお釈迦様に祟られません?」

「大丈夫やろ、仏やし」

               *

 それから数日経過したけど、結局警察は凶器を見つけることができず、この事件は全面的に超常事件対策課に回されることになった。

 そして、雲量5ぐらいの中途半端に晴れた日の昼、私たちは亡くなった田所さんの恋人、前山さんの自宅に来ていた。それは、田所さんの想いを叶えるためだ。

 前山さんの家は、重厚感のある茶色い床に、同じように重厚感のある茶色い柄の家具が揃った、シンプルかつ大人な雰囲気のワンルームだった。ミルクチョコレート色の絨毯の上に座った。正座で。

「すいませ~ん、椅子とかなくて~」

「いえいえ、お構いなく」

 前山さんは、人数分のお茶を、重厚感のある茶色いマグカップに入れて持ってきた。

「この度はありがとうございます、私の容疑を晴らしていただいて」

 これで本心じゃなかったら人間不信になりそうになるぐらいのありがたそうな顔。

「いやいや、真実を見出すのが私たちの仕事ですので」

「それで、今日はどういったご用で?」

「今日は、事件の真相をお伝えに来ました」

「もうわかったんですか?! 悠人くんがどうしてあんなふうに死んでしまったのか」

「はい」

「……それならぜひ教えていただきたいです! 悠人くんのためにも」

「そうですね。その前にまず、見ていただきたいものがあります」

 一旦先輩にバトンタッチだ。作戦通りにいくといいけど。

「はいど~も~! ヤパネットエンプクジの園福寺です~……」

 さすがにわかる。これは愛想笑いだ。

「……すいません、普通にやります。前山さんに紹介したいものがあります。これです。これは、飲んだら嘘を見抜くことができるようになるカプセルです。これを飲むと~」

 先輩がナノマシン入りのカプセルをお茶で飲んだ。ちなみに、カプセル自体もナノマシンでできている。

「はい、これで嘘を見抜けるようになりました。じゃあ試しに、僕に何か嘘をついてみてください」

「わ、わかりました。今日は天気が悪いですね」

「うっ……」

 先輩が胸を押さえて痛がった。

「っていうふうに、嘘をつかれると体に痛みが生じて嘘だとわかるんです」

「へぇ~、そんなのがあるんですね~」

「田所さんは亡くなった日、これを飲んでいたんです」

「悠人くんが?」

「ええ。あとね、このカプセル、見抜いた嘘がその人にとってどれだけ傷付くものであるかに応じて、痛みが変わるんです。だから、その人が傷付く嘘であるほど、痛みは大きくなる。あなたはあの夜、田所さんにとって致命傷になるほどの嘘をついた」

「……私がですか?」

「そうです。心当たりあるんじゃないですか?」

「……ちょっとわからないです」

「なら教えましょう。あなたがついた嘘は、(好きだよ)です」

 一瞬動揺が見えた。嘘がばれていると知った時の動揺だ。

「……どういうことですか? それが嘘って」

「あなたにはほかに交際している男性がいますよね。なんならそっちの人も本気で付き合ってるわけじゃないとか」

 瞼を閉じながら息を吸い込んだ。諦めたみたい。

「……知っていたんですか」

「ええ。我々警察に隠し通せる嘘はありません。まあでも別にそれを咎めに来たわけやないんです。良くないとは思うけど」

「……じゃあ、何のために」

「田所さんの想いをあなたに知ってもらうためにです。田所さんは、あなたが見た通り、(好きだよ)という嘘が致命傷になるぐらい、あなたのことが好きでした。そんな中である日、気付いてしまった。あなたに別に男がいることに。男は鈍感やから隠し通せると思いました? 確かに、もう一人の男の方は二股かけられてることに気付いてないみたいですけど、田所さんみたいな繊細で、ある種の女性らしさを持ってるような人にはバレるんですよ」

「……」

「それで、もう一人の男の存在に気付いた田所さんは、あることにも気付いた。あなたがそれでも満たされていないことに。まあそもそも浮気なんかして満たされるほど心というもんは簡単なもんではないんですけどね。田所さんはそのことに気付いて、今回の事件を計画したんです」

「……どうしてですか? 直接私に言えば良かったのに」

「それじゃ駄目なんですよ。田所さんはあなたのことを心から愛していました。だから、救ってあげたいと思ったんです。そのためには、ただ嘘を暴露するだけでは解決にならない、自分で気付いてほしかったんです」

「……何をですか?」

「嘘をつくとどうなるかってことです。そしてもう一つ、浮気してまで充実した感じを取り繕う中で、どれだけ自分の心に嘘をついているかを」

「……」

「世間が提供する充実したイメージ通りの生活をすれば幸せかっていうと、必ずしもそうとは限らないんですよ。なんなら、その体裁を保つために犠牲になるものが多くて、結局は不幸になることの方が多いんです。たとえば、自分の心とかね。幸せじゃないのに、自分は幸せやって嘘ついて、それでどれだけ自分の心が傷付くか」

「……。余計なお世話ですよ。私がどんな生活をしようが、私の勝手じゃないですか」

 届かなかったか。この処理は、お人好しな先輩には難しいだろうな。私の出番だ。

「確かにその通りです。初めに言った通り、真相をお伝えに来ただけですので、この事実を踏まえてどのような生き方を選択するかはあなたのお好きにしてください」

               *

 喫茶店での打ち上げ、変な因習にならなければいいけど。

「田所さんの想い、届きませんでしたね~」

「まあな~。でも、今はわからんだけで、いずれわかる日が来るかもしれへん」

「そんな日が来るといいですけど」

「心からの行動は、たとえすぐには理解されなくとも、いつかは必ず理解されるようになるものです」

「マスターは、この世界を信じてるんですね」

「ええ、もちろん」

「自分は信じてへんのか?」

「信じてますよ? もちろん」

「じゃあ俺のことは?」

「どうしたんですか急に、ヤンデレみたいな」

「いいから教えて。どうなの?」

「なんですかそのキャラ。そ、それはもちろん、信じてますよ?」

「痛っ! あ、ナノマシン解除すんの忘れてた。って、信じてへんのかい!」

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