悪魔だなんて言われてるうちは可愛いもの
――まず、結婚はひとまず保留にしてもらわないと……
彼は本当に式までココと話さないつもりなのだろうか?
なんとかして会ってもらわないといけないが、約束もなしにお屋敷に行くのも気が引ける。
――いきなりおうちに行ったら非常識だと思われちゃうし……
そこまで考えて、あれ? となった。
そもそもの発端は公爵の異常行動である。非常識ぐらいなんだというのか。
そう考えると、取れる手も色々あるような気がしてきた。道で待ち伏せするというのはどうだろう。
――いっそ、職場を訪問するのは?
上司の皆様も、未来の奥方がやってきたというのであれば、どんなに面倒くさくても追い払うわけにはいかないだろう。これなら他の同僚の目もあることだし、逃げられないように仕向けることができる。どうしても駄目そうなら、その場で婚約の破棄でも突きつけてやればいい。職場の人間全員が証人だ。
そこまで考えて、ココはノワール伯爵のことを思い出した。
もしも彼が、婚約破棄されるアブサン公爵を目撃したらどう思うだろう。
――嫌いな人間を追い込むネタが出来たと思って、大喜びするかも。
アブサン公爵には何かと変な噂がつきまとっているが、ココの行動で、彼はますます辛い立場に立たされるだろう。
――そういうのはちょっとなぁ……
できれば穏便に、ふたりきりで話し合いがしたい。
「ああもう、どうしよう……」
計画を練りたいが、それにはあまりにも時間が足りなすぎる。
◇◇◇
悩んでいるうちに朝が来て、ココはいつも通り神殿で治療をしつつ、悶々としていた。
「どうしたの、ココ? 今日はうわの空だね」
話を聞きたがる同僚に『何でもない』と返す。ココの返答次第では、アブサン公爵の評判がさらに悪くなってしまう。
「分かった! 公爵様が恋しいんでしょ!」
「そうですね、今一番会いたくてたまらない相手ナンバーワンです……」
「うわー、ラブラブだぁ!」
同僚たちに質問攻めにされつつ患者の治療をこなし、精神的にどっと疲れて帰宅した。
すると義父がココを待ち構えていて、さらに疲労感が倍増しした。
義父と一緒に館の玄関ホールにたむろしていたのは、義父のお友達を自称するガラの悪い男性たちだ。
刺激しないよう、そろーっと前を通り過ぎていこうとしたのだが、失敗した。
「ココ、こっちに来なさい! 会わせたい人がいる」
義父がにこやかに言い、周囲のごろつきが一斉にココをじろりと睨む。
今日は疲れたので、なんてとても言えない雰囲気だ。
ココは逆らわず、流れに身を委ねることにした。
応接間には見知らぬ男性たちがいた。地位が高そうな男性を中心に、何人かが傅いている。
「さあココ、ご挨拶をしなさい」
習い性でとっさに淑女の礼を取る。控えめな笑顔を作りつつ、密かに目の前の男性を観察した。年は四、五十歳前後で、貴族と同等のいい服を着ている。笑顔も作り慣れていて、人当たりはよさそうだ。
「おお、愛らしいねえ。ぜひともうちに来てほしいよ。この歳になるとひとりに耐えられんのだ」
「ココ、こちらがセサミさんだよ」
――この人が?
奥方がもうすぐ死ぬから次の娘を、と言っていたあの豪商のことだ。
猫でも拾ってくるかのような感覚で後妻を探しているというので、もっと悪そうな感じを想像していたが、一見そうは見えない。
義父と同じように、人を信用させて騙すタイプなのだろうか。
呆けていると、義父と何やら声を潜めて会話をし始めた。途切れ途切れに『予定を少し早めて』とか、『目立つからまだ無理だ』といったような言葉が聞こえる。お互い興奮しているのか、だんだん声が高くなってきた。
『後継ぎを作るなら早い方が』
『しかし二人も急死すると』
『これだけの美人だ、申し込みはよそからも殺到していて――』
ココはひたすら何も分からないアホな少女のふりをして、ニコニコしていた。悪事を働いている男がすぐ側にいるときは、これが一番安全にやりすごせる手だと、義父との付き合いで知っていた。
何も知らない、何も理解できない、何も覚えていられない、自分は無害な少女です、とアピールしていれば、不思議なことに彼らはココの口封じをコロッと忘れてしまうのだ。
「そういえば、ココ、アブサン公爵閣下とは縁を切れと言ったが、ちゃんと婚約は解消すると言ったのか?」
義父の唐突な問いかけに、一瞬戸惑ったものの、すぐに何を言わせたいのか理解した。
彼はもっと高くココを売りつけたいのだ。
「あ……あれは、公爵さまが勝手に婚約を押し進めているんです。私はそんなつもりじゃないのに……すごく強引に……」
「ベタ惚れのようでね、多額の結納金を申し出ている。使えそうだ、とは思わんかね?」
「なるほど」
そこから一気に声のトーンが低くなり、会話が聞こえなくなった。
ココはひたすらニコニコする役を再開した。しかし、内心ではかなり怯えていた。
彼らは根っからの悪人である。結託して公爵を詐欺にかけようとしているなら、危ないかもしれない。
本来であれば高位貴族をペテンにかけるなんて恐れ多いことだが、男爵家を乗っ取る詐欺師や、豪商に成り上がるような男たちにもなると、証拠を残さず、法を犯さず、ギリギリのラインから骨の髄までしゃぶりつくす方法をいくつも知っている。
本物の悪人は、人から悪い奴だなどと噂されたりしない。見つかったその瞬間にすべて終わるからだ。
露見した者だけが世間から悪人と指を指される。
――公爵さま、世間知らずっぽかったなぁ。
胸が痛い。ココのせいで公爵が食い物にされたら、罪悪感で死んでしまいそうだ。
やがて義父たちの密談も終わり、ココは解放されることになった。
自室に駆け戻り、どうしようかと思案する。急いで手を打たねばならない。
正直に話せば、事態が悪化するだろう。彼はココを助けようとして、あの手この手で金を引っ張ろうとする義父たちに、いちいち真面目な対応をしてしまうに違いない。
ノワール伯爵もあてにならなそうだ。権力がないと言っていたし、アブサン公爵を助ける理由がない。
――私が義父を止めないと……
これまで見て見ぬふりをしてきたツケが回ってきたのだ。義父が悪いことをしていると知りながら、我が身可愛さで色々な人が不幸になっていくところを傍観してきた。自分の順番が回ってきたからといって今更泣き言を言える立場でもないだろう。
この国だと、司法はさほどあてにならない。賄賂の多い方が勝つ。
となれば、詐欺をするメリットをなくさせるしかない。
商品であるココを売り物にならなくするのだ。