交際の申し出に婚約の申し込み
何を言われるのだろうとドキドキしながら身構えているココに、ノワール伯爵はなぞの微笑みを見せた。
「君に結婚を申し込みにきた」
――今なんと?
驚きで目をぱちくりしているココに、ノワール伯爵は茶化したように斜め立ちをする。
「そんなに警戒しないでよ。伯爵家といっても僕は魔獣狩りの指揮官専門に育てられた鉄砲玉だからね。大した権力はないんだ」
「泣いてるんですか?」
「ちょっとだけね」
冗談ともつかない調子でそう返し、「とにかく」と話を仕切り直す。
「君と結婚したい、と思ったんだ。なにより君はかわいいし、それに、悪魔公爵どのにも嫌がらせできるからね」
「仲が悪いんですね」
「そんな次元の話じゃないんだよ。そのうち分かると思うけど」
最初から意地悪をしにきたのだろうとは思っていた。
が、その方法がプロポーズなのは少し意外だ。
「事情は分かりました。でも、公爵さまは別に嫌がらせとも思わない気がしますよ」
ココはあくまで、ちょっと腕のいい治療師、である。
「そのときはそのときで構わないよ。気に入ったのは本当だからね」
「ノワール伯爵さまはよくても私は……」
誰が相手だろうと断れない、とは言うものの、そういうやり方がまず卑怯だと思うので、好感度がマイナスからスタートしているのだ。
「私は伯爵さまのこと何にも知らないので、一方的に言われても困ってしまうのですが」
「急ぎはしないよ。ときどきここを覗きにくるから、少し相手してくれる?」
「はあ……じゃあ、まあ……」
「口説き落とされてくれるまでは正式なプロポーズはしないつもりだけど、君が困ったときは『僕の婚約者』を名乗ってくれていいよ。変な人間に言い寄られたときとかね」
「ありがとうございます……」
だいぶ穏当なところで落ち着いた。
でも、この人が一番変なのではないか。
好きになれるかどうかで言ったら、あまり期待されてもなぁ、という気持ちのココだった。
◇◇◇
というわけでだいぶ渋々と開始したピノとの面会だったが、三回目になるころにはまあまあ打ち解けて話ができるようになっていた。
「それでね、魔獣に刺さった槍がどうしても抜けなかったせいで一キロくらいずーっと引きずられたっていうんですよ」
「なんで手を離さなかったのさ」
「柄についてた宝石が惜しかったそうで」
「たかだか金貨千枚とかでしょ」
「全財産だったそうです」
「なんでそんなもの持ち歩くの?」
「傭兵さんですから」
「ああ、家がないとそうなるか」
「そうそう、財産をどうするかでいつも悩むんだそうです。指輪やイヤリングだと切り落とされることがありますし、ひどいときはネックレスも」
「首ごと、か。見たことあるな。特に貧民出身のやつは、金貨一枚でもむごいことするからねぇ」
「そんなによくあることですか?」
「無数に見てきたよ」
「私は一度も……」
「君は死体までは診察しないでしょ? あれ見ちゃったら、どんなに優秀なやつでも貧民だけは手許に置けないな。あいつら悪事にかける情熱が違うからね」
「そんなに悪い人たちじゃないと思いますが……」
「そりゃ大多数はね。好んで貴族に近寄ろうとする貧民なんて普通はいないんだよ、虐待されるのが分かっているからね。それでも取り入ろうと常軌を逸した努力をするやつって何を企んでると思う?」
「……一生懸命努力して、ひとかどの人物になってやるぞ! とかですか?」
「ははは、君は純粋だね。だから悪魔公爵どのにも警戒心がないのかな?」
小馬鹿にしたような問いかけに、ココは少しむっとした。
「いい人ですよ?」
「人間じゃないよ、あんなの」
ノワールの顔には嫌悪とも苛立ちともつかない、不快そうな表情が浮いていた。
「君は見たことがないから呑気にそんなことが言えるんだ」
ノワールはいっそう強く吐き捨てた。
「警告しておく。あいつには近づかない方がいい。何年もいい顔だけ見せていたって、最後には君を喰らってしまうよ」
◇◇◇
ココは自宅でじっくりとノワールの発言を吟味してみて、最終的にこう思った。
――皆さん激しく誤解していらっしゃる。
ココから見た悪魔公爵様は、おしゃれが大好きなだけの、寡黙な人だ。
それなのにどうしてあんなに怖い人だと言われまくっているのだろう?
どちらかといったら、ノワール伯爵の方がよっぽど怖かった。
ココはアブサン公爵からあんな風に見下すような態度を取られたりしたことなんて一度もないし、喧嘩の場面に遭遇したときは、アブサン公爵が虐められているようにしか見えなかった。
――残虐とはいうけど、具体的に何か悪いことをしたとも聞かないんだよねぇ。
人を傷つけたとかならまだしも、具体的に誰が被害にあったとも聞かないし、どうにも悪い噂だけが一人歩きしているような気がする。
――ひょっとすると、あの格好で誤解されてるのでは?
アブサン公爵はちょっと、ファッションが最先端を行きすぎている。あんなに激しく肉体改造をしている人は他に見たことがない。
カッコよければそれでいいのではないかとココは思うが、爪が異様にとんがっていたり、たまに手の甲に鱗が生えたりしているのは、保守的になりがちな貴族にウケが悪いのではないだろうか。
そこでふと、ココに名案が浮かんだのである。
――もう少し普通の格好をさせたら、皆さんの見る目も変わるのでは?
アブサン公爵は非常に見目がいい。普通の正装をさせたらさぞかし似合うだろう。
どうにかしてその格好でお城の公式行事にでも引っ張り出せれば、女子たち……特にマダムたちからウケるのではないか。
――とはいえ、私にはそんな伝手ないなぁ。
もしも機会があったらプロデュースしてあげよう。接点がないので無理そうではあるが。
――パーティーで同伴する前に、まずはお友達から始めないといけないよね。
ノワール伯爵はなんだかんだと暇を見つけてはココのところにやってくる。彼も巻き込んで、一緒にお茶会でもやれないものだろうか。
そのときはココの同僚も呼んで、賑やかに……
そんなことを考えて、眠りに就いた。
◇◇◇
その翌日である。
ココは女の金切り声で叩き起こされた。
「ちょっとお前、どういうことなの、これは?! 起きて説明なさい!」
枕元で騒いでいるのは母親だ。まだ朝の身支度も済ませていないのか、ナイトキャップをかぶっている。よほど慌ててやってきたらしい。
「アブサン公爵から婚約の申し込みが来ているわよ!」
まだ眠かったココも一気に覚醒した。
「いつの間にそんな関係になったの!? なぜ早く報告しなかったの!」
「い、いえ、寝耳に水で――」