悪魔公爵様のお気に入り
血相を変えた友人に呼ばれていった神殿の大広間で、アブサン公爵が誰かと言い争いをしていた。
周囲にはたくさんの傷病兵がいる。
おそらくは魔獣と戦ってきた帰りだ。
その中央付近で、血と泥にまみれたアブサン公爵が、指揮官クラスらしき小ぎれいな服装の男性の襟元を掴んで立っている。
「おまえらが無謀な作戦を立ててこちらに割りを食わせたんだろう、どれだけ負傷者が出たと思っている!」
「そんなもの悪魔公爵どのがどうにかすればいい」
「なんだと――」
アブサン公爵が怒っているところを初めて見たココは、驚くというより、呆けてしまった。
――わあ、怒っててもかっこいい。
「止めてきて!」
と友人が背中を押し出してくる。
ココはよろめきつつ、アブサン公爵の前に飛び出すことになった。
喧嘩をしている真っ最中の男性たちに声をかけるのは少し気が引けたが、神殿じゅうの人がはらはらと行く末を見守っている。ここは誰かが場を納めないといけない。
よし、と思い、ココはそっと話しかけた。
「公爵さま、こんにちは。お加減いかがですか?」
ものすごい勢いで振り返った彼は、限界まで目を見開いていた。
その顔にざあっと血が上り、真っ赤になる。
「……あ……こ、コッ、コ……ッ」
先ほどまでの勢いとは打って変わって、しどろもどろになり、しまいにうつむいてしまった。
「……? どうした悪魔公爵どの。まさか、君……」
彼の様子を見てか、争っていた男性は、意地悪そうに目を細めた。
「君にも人間らしい感情があったんだね」
なんだかよく分からないなりに、ココは少しその男性に反感を持った。
アブサン公爵がいじめられていると肌で感じ取ったのだ。
ココはアブサン公爵を背に、その男性の前に立ち塞がって、腰に手を当てた。
「神殿ではお静かにお願いします!」
めいっぱい怖い顔を作ったつもりだったのに、その男性は大笑いした。
「そうだね、君みたいな可愛い子にそう言われちゃしょうがないな。ここは帰るとするよ」
「まて、話は終わってない」
「公爵さまも、お怪我してるなら治しましょう。騒いでいたら皆さんの迷惑です。興奮してるならお薬も出しますので!」
腕を引っ張り、さあ早く、と促すと、彼はうろたえつつも、治療室までおとなしくついてきてくれた。
「今日の怪我は魔獣退治ですか?」
「……そうだ」
聖なる力を使って、全身にできた擦過傷から丁寧に血や泥を取り除き、皮膚の再生を促す。
受傷部分はどれも致命傷を避けてあったため、治療そのものはすぐに終わった。
「このくらい、現地で治してきてもよかったのでは? 痛かったでしょう」
命に別状はないとはいえ、痛みを我慢してここまで帰ってくるのも不合理だとココは思ったのだが、彼は首を振った。
「……君に診てほしかったから」
かわいいことを言われてしまった。
「うれしくなっちゃいますけど、我慢はよくないですよ」
「治療師の数もそう多いわけじゃない。軽傷者は後回しだ」
――公爵様なのに?
ココは戦場に出たことはないが、貴族将校クラスの偉い人がここまでやってくるのは稀である。
この神殿はココのような貴族教育中の子女が、庶民のために無料でやっているボランティア施設なのだ。当然、治療師としての経験も浅いし、質も高い方とはいえない。
「それに」
アブサン公爵はお喋りな方ではない。何か話したそうなことがあるときは、少し待ってあげないといけないのである。
どうしたのだろうと思っていると、彼はやがて、本当に小さく付け加えた。
「君が笑いかけてくれると、どんなに辛いことがあっても、耐えてよかったと思えるんだ」
「お仕事大変でしたか!」
「大変だった」
よしよしと頭を撫でてあげつつ、綺麗な人に言われるとちょっと照れるなぁと思ったことは秘密である。
さらりとした質感の髪に指先を絡ませる。白っぽい光沢が浮かび、銀色に光って見えた。とても綺麗な色だと思う。
治療でよく触れるので、何の気になしにやったことだった。
はたと我に返り、失礼だったかもしれないとようやく思い当たったのは、アブサン公爵がその間、息を詰めて身体を硬くしていたからだ。緊張したように両手の拳を握り締め、膝の上に載せていた。
必死に平謝りするココのことを寛大にも許してくれて、公爵さまはどこか機嫌よさそうに帰っていった。
つられて機嫌がよくなりながら、内心少し得意になる。
――まあ、私、けっこ~~~治療上手って言われるからなぁ。
治療師にも得意不得意があり、凄惨な患者が多い外科の治療は人気がない。そういうのが平気なココは引っ張りだこなのである。教育係の神官様にも十年にひとりの逸材と褒められた。
――公爵様に気に入ってもらえるなんて、けっこうすごいんじゃない?
神殿勤めの聖女になるときは、彼の推薦なんかも期待できるかもしれない。知人のツテなんかもあったりしないだろうか。今度聞いてみよう。
そんなことを考えて、ひとりでニヤニヤしてしまったのだった。
◇◇◇
その数日後。
「やあ、こんにちは」
次の患者を確認して、ココは目を丸くした。
「あなたは、アブサン公爵様の……えーと……お知り合い?」
いじめっ子、と言いそうになったがぐっと我慢したココに、その男性は意地悪そうな薄笑いを向けてきた。
癖の強い黒髪をした、繊細で気難しそうな、気品を感じさせる青年だ。この間彼が帰っていったあと、聖女見習いたちが『近くで見れた』『推せる』と騒いでいたので、おそらく人気があるのだろう。女の子に好かれそうな綺麗な顔をしている。
「僕はピノ・ノワール。ノワール伯爵家の次男だよ」
「ココ・コニャックです」
「知っているよ。コニャック男爵の長女で、次期女男爵。しかし男爵が亡くなったのを機に、義父に家を半ば乗っ取られている」
「そこまで調べがついているんですね」
少し怖い。これだけお前の情報を握っているんだぞ、と、脅す意図も含まれていそうだ。
さてはココのこともイジメようという魂胆だろうか。
「母親は君のことをなぜかひどく嫌っていて、君に男爵位だけを残して、財産を奪おうとしている。だから、どんな縁談を申し込まれても断れない――」
「そうですけど、それが何か」
アブサン公爵絡みのことだろうと予測はつくものの、嫌な感じがする。