中等部一年生
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初等部の二年間はあっという間に過ぎて私は十二歳になった。
一年間続いた放課後のラーシュ様との不定期な練習はラーシュ様が中等部へ行ったことで終わった。ホッと一息……と思ったら、なんと学園がお休みのたびにグラソン侯爵邸に招待される羽目になってしまった。
「思ったよりも厳しかったわー」
中等部進級初日、私は遠い空を眺めて思い返していた。ラーシュ様は容赦のない人で、私が少しでも練習をサボるとすぐに見抜いて嫌味を言うようになった。
「へえ、そんなので聖地の音楽隊に選ばれるつもりなんだ」
とか
「前に学んだことがすっぽり抜け落ちるってどういう頭の構造してるの?」
とか……。
こわいこわいこわいー!!
思い出すとふるえがくる……。そりゃサボった私が全面的に悪いけど。あんなに怖い顔をしなくてもいいじゃない。
いつだったかロッティー様にそう愚痴ったら、何故かとても羨ましがられてしまった。
「いいわねぇ、グラソン様と毎週デートなんて」
「デートじゃなくて練習ね……」
「それでも二人きりなんでしょ?グラソン様カッコ良くなってきたし、羨ましいわ……侯爵家だし……」
「いやいやそんな甘い雰囲気じゃないんだよ?怖いんだよ?厳しいんだよ?本当に練習だけなんだよ?」
「またまたー!」
何度ロッティー様に説明しても全然わかってもらえなかった。ラーシュ様が厳しいから、唯一の楽しみが侯爵家で出される練習後のおやつだった。美味しいおやつを一人でいただくその時間が無かったら心が折れてたわ、きっと。
どうして器楽選択のラーシュ様が私に指導できるかというと、どうもラーシュ様のおばあ様もお母様も声楽で良い成績を修めた方々らしく、ラーシュ様も幼い頃には歌を学んでいたそう。でもご自分にはクラヴィーアの方が合っているって思って変えたんだって。
中等部の音楽室は初等部よりも広くて音楽室は二つ。それから個人練習ができる小さめな部屋が五つある。美術室もそんな感じ。
「はあ……」
「何ため息なんかついてるの?春休みの間ちゃんと練習してきた?」
個人練習用の部屋は小さくて、ラーシュ様との距離も近くなる訳で。必然的に圧も強い……。
「ひいっ……ちゃんとやりましたっ!」
「ふうん。僕がずっと見てられない長期休みはリファーナはサボりがちになるから、今日からは中等部でちゃんとチェックするからね」
中等部に入った途端に始まってしまった。ラーシュ様のしごき、再び。音楽室に連れて行かれて初日から何曲か歌うことになってしまった。
「うん。まあ、ちゃんと練習してたみたいだね。そういえば今日からは姉上と登校してきたの?」
私の姉アグネータとは二歳違い。姉は今年中等部三年生になった。
「いいえ。一人です。姉は婚約者のクレソニア様と一緒に登下校してます」
その人はもうすぐお姉様を裏切るんだよ?私は何度もそう言いそうになったけど、信じてくれそうもなかったから言わなかった。二人はとても仲が良く見える。それとなくお母様にお姉様の婚約者ってどんな方?とか探りを入れたんだけどクレソニア公爵家の素晴らしい方よ!アグネータに相応しい方!というだけだった。
一度調べてみた方がいいんじゃないかって言ったら、
「そんなに羨ましいの?嫉妬なんてするものではありませんよ」
ってかなり酷く怒られてしまったことがあって懲りてしまった。元々私の話は聞いてくれなかったけど、これでもっと私の方を見てくれなくなってしまった。
お姉様にも話してみたけど、散々婚約者の自慢をされて、
「彼が私以外に目を向ける事なんて有り得ないわ!リファーナは愛されてる私がそんなに妬ましいの?」
って馬鹿にされて終わってしまった。もう私にできることは、自分の未来を変えられるように努力することだけ。とにかく、練習あるのみだ。
「とにかく、練習あるのみだね。中等部には広い裏庭は無いから、放課後はここに来て。学校の許可は取ってあるから」
そうなの!中等部の校舎は初等部より都市部にあるせいか、敷地が狭いの。だから人が来ない裏庭とかは無くて、放課後はずっと一緒に歌とクラヴィーアの練習をすることになってしまった。
ラーシュ様との歌の練習は、それはそれは厳しい……。思わず遠い目になってしまう程に。これが毎日……。ラーシュ様と一緒に過ごす時間が増えると、学園で見かけることも増えた。っていうかいるのに気が付くようになった感じかな?つい、目で追っちゃう。
そして、わかったことがある。ラーシュ様はやっぱり私を好ましく思ってるわけじゃないってこと。
練習の時はいつも厳しくて笑うこともほとんど無いけど、クラスメイト(主に貴族の女の子)とは楽しそうに話をしてるから。私を塔から突き落としたのはラーシュ様の事を好きな女の子かな?って考えたこともあるけど、あの時点で私達は婚約を解消してるから、突き落とすならアグネータお姉様の方よね?だからその線は消したわ。でも……そうなるとさっぱりわからない。私を突き落としたいほど憎んでる人って誰なんだろう?もう仕方ないから、あの年のあの時期には塔へ近づかないことで身を守ることに決めたんだ。
練習の後、帰りの馬車の中はやっぱり会話は弾まない。私とラーシュ様は婚約者同士だけど、恋人同士って訳じゃなく、ただ一緒の目的がある同志ってだけ。私は馬車の窓から外を眺めた。ちょうど楽しそうな男女が手を繋いで歩いてるのが見えた。私もあんな風に恋をしてみたいけど、今はきっと無理ね。
「…………僕も朝、迎えに行こうか?」
そう。ラーシュ様という婚約者がいるし、ラーシュ様はきっと前と変わらない。いずれは……って、今ラーシュ様何て言った?
「え?」
「だから、僕も朝迎えに行こうか。婚約者なんだし。そういうものなんでしょ?」
いやあああ!無理無理無理ぃ!ただでさえ学校がある日は毎日地獄の特訓、無言空間の帰りの馬車なんていう苦行を受けてるのに、更に朝までなんて絶対に無理!
「いえ……、歌の練習も付き合っていただいているのに、そこまでしていただくわけには……」
角を!角を立てちゃダメよ!頑張れ!私!
「……嫌なんだ」
「そ、そおいう訳ではっ!」
「違うの?じゃあ明日の朝から迎えに行くから」
「…………ハイ。オネガイシマス……」
なんで……なんでこうなるの?
「やだ!リファーナ様ったらラブラブじゃない!朝グラソン様と一緒に登校してきたの見たわよ?」
教室に入るなり若葉色の瞳をキラキラさせて、薄い茶色の髪をやや振り乱してロッティー様が駆け寄って来た。
「ああ、うん。あれはね……」
「もう、もう!仲が良くないとか愚痴ってらしたけど、全然そんなこと無いじゃない!リファーナ様の嘘つきっ!」
「いえ、だから……」
無理よね。朝も帰りも一緒で、練習も一緒なんだから普通にそう思われるわよね。全然違うんだけどね。うん。もうなんか諦めたわ。
「一応言っておくけど、私達はほとんどお話してないのよ?」
「またまたー!そんな訳ないでしょう?もしそうだとしても、話さなくても一緒にいたいなんて熱烈な愛情表現だと思うわ!」
ロッティー様はキャーキャー言ってる。そういうものかなぁ……。そんなことは無いと思うんだけどなぁ。
「私もケント様にお願いしてみようかしら……」
夢見るように手を組んで頬を染めたロッティー様をちょっと羨ましいなって思ってしまった。私とラーシュ様と同じ時期に婚約したロッティー様とケント様は交流を重ねて随分仲良くなったみたい。前の時もこんな感じだったけ。前の時は幸せそうなロッティー様を見ていたら、自分はラーシュ様に相手にされてないって言えなくて苦しかった……。
「いいな……」
馬車の中でちらっと見たラーシュ様の横顔はとても綺麗だと思った。時々ぽつりと質問をされることもあるけど、その深い緑の瞳は私を見ることは無い。前とは色々なことが変わっているけど多分この先もきっと……。
…………私だって見ないからおあいこよね。
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