春の雨
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ある日いつものように放課後に練習していたら雨が降って来た。雨粒の中に水の精霊達がいるけど、さすがに雨の中で歌ったら風邪をひいてしまう。雨宿りしながら思った。
「困ったわ。こんな風に雨が降ったり寒かったりしたら外で練習できないわね。どこかに良い場所ないかしら?」
「だったら、音楽室を借りればいい」
「?!」
いきなり声をかけられてすっごくびっくりした。振り返るとラーシュ様がいたんだけど、このパターンって二度目よね?あれからランチの時に声をかけられることは無くてホッとしてたんだけど、また現れた……。
「行こう」
手首を掴まれた。
「あ、あの、行くってどこへですか?」
「音楽室だよ。許可はもうとってある」
え?いつの間に?なんで?
しんと静まり返った廊下を二人で歩くとあっという間に音楽室についてしまった。ドアには「第一音楽室」「使用中」のプレートがかけてある。
「許可ってどうして……?」
「僕もクラヴィーアの練習をしたいから」
「でしたら私はお邪魔でしょうし、失礼します」
「聖地の音楽隊では合唱曲を歌う事が多い。音があった方が練習しやすいんじゃない?それとも君は独唱の頂点、精霊の歌姫を目指してるの?」
クラヴィーアの前に座ったラーシュ様がその深い緑色の瞳を私に向けた。
「精霊の歌姫」は独唱の歌を歌えるトップの歌い手だ。その年のスモールウッド学園高等部でも毎年一人出るか出ないかと言われるような才能の持ち主しかなれない。それから、実力だけじゃなくて精霊達に相当愛されてないとなれない。ここ最近は何年も選出されてなくて年配の女の人が一人いるだけ。まさに選ばれし者なのよね。
「そんな……、恐れ多いです」
「そのくらいの意気込みがあった方がいんじゃない?聖地の音楽隊だってなかなか狭き門なんだし」
ラーシュ様はクラヴィーアを弾き始めた。
「わぁ…………」
なんて綺麗な音……。そういえばラーシュ様がクラヴィーアを弾いているところは見たことが無かった。すごく上手なんだわこの子。
「これ、歌える?」
あ、懐かしい。これは中等部で習う曲だ。私はこの水の精霊を讃える曲が大好きだった。
いくつか曲を歌ってラーシュ様はクラヴィーアを弾くのを止めた。
「うん。全然ダメだね」
ダメ出しされた……。
「発声法も、抑揚も、あと基本的な姿勢も」
うう……そんなに?習った通りにやってるつもりなのになぁ。ラーシュ様が立ち上がって近づいて来た。
「足、もっと開いて」
「え?」
肩に触れられて足元を指差された。
「足は肩幅。お腹に力を入れて、声出してみて」
言われた通りにしてみるとさっきよりも大きな声が出た。
「あ、すごい……」
基本的なことなのに、すっかり忘れちゃってた。私の記憶力って……。
ラーシュ様はまたさっきの水の精霊を讃える曲を弾いてくれた。今度はさっきよりいい感じで歌えた気がする。
「うん。さっきよりマシだね。精霊も喜んでる」
「え?!」
私の周りに水色がかった光がふわふわ浮いてる。水の精霊だわ。肩にちょこんととまった。可愛い。
「裏庭で歌ってた時も何度も精霊が聞きに来てたね」
「え?ご覧になってたんですか?」
「……時々」
誰もいないと思ってたのに見られてたんだ。うわ、恥ずかしい。他にも見てた人いたのかしら?
それにしてもラーシュ様は一体何を考えてるんだろう……。前と違いすぎて戸惑う。
「僕も聖地の音楽隊を目指そうかな」
ラーシュ様は静かな曲を弾きながらそんなことを呟いた。雨が少し強まってきたみたい。
「どう思う?」
「えっと、いいと思います。ラーシュ様なら絶対に入れると思います」
ものすごく努力が必要な私と違ってね……。
「…………」
あれ?妙な間が。…………あ、し、しまったー!「ラーシュ様」ってつい呼んじゃった!まだそんな許可貰ってないのに!
「も、申し訳ございませんでした!グラソン様」
私は慌てて頭を下げた。
うわぁ、まずいわ。嫌われるのはいいけど、礼儀知らずだって侯爵様に報告されたらお父様になんて言われるか……。私に関心が無いのに体面をすっごく気にするからもう滅茶苦茶怒られる。下手したら部屋に閉じ込められて学校もやめさせられるかもしれない。そしたらどうしようもない相手と縁談を結ばされて結婚させられるかも。ど、どうしよう……。
「リファーナ」
「…………え?」
「お返しだ」
「おかえし?」
「いいよ。ラーシュで。婚約者同士だし」
「…………」
胸から大量の息を吐き出したい気持ち。よ、よかったー。怒ってないみたいだわ。本当に良かった……。
「ありがとうございます……」
意外と寛大なのね。知らなかった。安心してたら、ラーシュ様はとんでもないことを言い出した。
「提案があるんだけど。これからも一緒に練習しない?毎日は無理だけど。一緒の目標を目指す者同士として」
え?困る。前と大きく状況が変わるのは。あ、でも待って。ここで断って不興を買って婚約解消とかになったらまずいよね?それこそ前と全然違う道に行くことになるかもしれない。それだともっと困る。
「……はい。よろしくお願いします」
私はそう言うしかなかった。なんか、肩の上で精霊様がぴょんぴょん跳ねてるんだけど、私の気分は雨と一緒に地面に落ちてた。
「うん。じゃあ、今日はもう帰ろう。送っていくよ」
うちの馬車も来てくれてたんだけど(前もってゆっくり帰ることは伝えてあった)、何故かグラソン侯爵家の馬車で一緒に帰ることになってしまった。ほんと、どうなってるの?
馬車の中では楽しくおしゃべり……!とは当然ならなくて二人ともずっと無言で、本当にただ送ってもらっただけだった。うーん、やっぱりラーシュ様との関係はそれほど変わりが無い……のかな?安心したような、ちょっとがっかりしたような複雑な気持ちだった。
雨が降ってるせい?夜にあの時の夢を見た。冷たい湖の底に落ちていく夢。
粉雪が舞い散る花の聖地。あの時はなんだか物凄くやさぐれた気持ちであそこに行ったの。誰からも要らないって言われたから。でも歌ってるうちになんだか精霊様達に励まされるような気持ちになって前向きになれたの。それなのに。
雪が降ってて寒くて石造りの塔の床は凍ってたのかもしれない。でも滑ったりはしてない。屋上には特に柵も無くて、私は塔の縁ぎりぎりの所に立ってた。でも、粉雪はゆっくりと舞ってて、風は吹いてなかった。あおられたりはしてない。背中には確かに誰かの両手の感触があった気がする。
夜中に目が覚めた。
「あれ?私を突き落としたのは誰?」
私は本当に今更な疑問に、やっとたどり着いたのだった。
雨はまだしとしとと降り続いている。
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