夏休み目前の日
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あの波乱の演奏会の時、演奏が終わった後、精霊様達の光に包まれて私はいっぱいいっぱいでラーシュ様に支えてもらいながらステージを下りた。鳴りやまない拍手を聞きながら。
「スティーリア嬢!大丈夫かい?」
「緊張が解けて力が抜けてしまったようです」
リーダーさんに心配されて答えるラーシュ様。いいえ。こうなってるのは半分以上、ラーシュ様、あなたのせいです。
「…………もう大丈夫です。一人で歩けます」
「本当に大丈夫?」
離れて歩こうとする私を覗き込まないで……!顔、見れませんから!でも言えない。
「素晴らしかったよ!今すぐにでも入隊を推薦したいくらいだったよ、二人とも!」
「ああ、随分と練習を重ねてきたんだろうね」
「アクシデントもあったけど、無事に終わって良かった」
天幕に入るとリーダーさんと合唱の二人の隊員さんはほっとしたように喜び合ってた。でも。
「ねえ、おかしくない?どうしてあなたはお茶を飲まずに、独唱の歌も歌えたの?」
「え?」
「一体何を……」
「そうよね。ちょっとおかしいわ。まるでこうなるのがわかってたみたい」
合唱に出るはずだった女性隊員が私の方を怖い目で見てきた。なんか空気がおかしくなってきた。これって私がお茶に何か入れたって思われてる?
「いや、それはないよ。私が差し入れを受け取ってそこのテーブルの上に置いたんだ。彼女はそこへは近づいてない」
「ええ、そうですね。リファーナには外で僕が屋敷から持って来たお茶を飲んでもらいましたしね。天幕のテーブルには全く近づいていません。それに、あの曲は幼い頃からの彼女の一番得意な歌です。僕は婚約当初からずっと一緒に練習をしてきています。大体、そこまでおっしゃるのならばご自分達が何かしらの演奏を買って出て下さればよかったのでは?」
リーダーさんとラーシュ様が庇ってくれた。確かに私はこの天幕に入ったり、ましてやテーブルの上にあるものを触ったりもしてない。
「そ、それは……」
言葉に詰まったように黙り込んでしまう隊員さん達。
「ラーシュ様……」
私は嬉しくて、さっきのことが頭から抜けてラーシュ様を見つめてしまった。そして思い出して顔をそむけてしまう。
「その通りだ。正規隊員ではないスティーリア嬢に助けられたのだから、礼を言いいこそすれ、疑いをかけるなど!」
リーダーさんも怒ってくれた。
「それにこの曲だけじゃありません。リファーナが歌えるのは火の精霊、風の精霊、大地の精霊……他にも様々な曲をマスターしていますから。グラソン侯爵家の名前にかけて僕が証明します」
ラーシュ様が侯爵家の名前を出した。これ以上はラーシュ様への疑いとなり、侯爵家を敵に回すことになってしまう。天幕の中の空気が酷く張り詰めてる。
「皆さん落ち着いて!何より精霊様達が証明して下さってるわ。先程の反応をご覧になったでしょう?心が邪な者にあのような祝福は与えられませんわ!」
今回の独唱担当の隊員さん、ソフィア様のやっと回復してきた柔らかい声が緊張した雰囲気を和らげて、とりなしてくれた。
「そ、それもそうですわね……。ごめんなさい」
「そうね……。せっかく助けて下さったのに申し訳なかったわ」
「申し訳ございませんでした」
私を疑ってた人達はみんな謝ってくれた。どちらかというと私にではなくてソフィア様とラーシュ様に対してだったような気がするけど。疑いが晴れて良かったわ。
「いえ、誤解が解けたならいいんです」
そしてこの後、お茶を差し入れした人が分かって謝りに来てくれた。近くのカフェの女主人だった。
「申し訳ございません!私が差し入れしたお茶でとんだ事に……。珍しいお茶が手に入ったもので、ぜひ音楽隊の皆様に召し上がって頂こうと思いましたのにこんな……。本当に申し訳ございません!」
どうやら茶葉の分量を間違えたみたい。異国のお茶で香辛料が入ったお茶だった。
疑惑をかけられて別の意味でまた緊張してしまったけど、こんな感じで無事解決したの。はあ、どっと疲れたわ。
そんなこんなであのキスのことはうやむやになってしまった。ラーシュ様はどうしてあんな事を……。
「ドレス、もう注文してあるから」
「え?」
「ダンスパーティーのドレス」
夏休みが目前に迫ったある日の練習中、ラーシュ様にそんなことを言われた。そうだった。スモールウッド学園は高等部からそういうイベントがあるんだったわ。夏休みに入る前と、冬の初めと、そして卒業式の前の三回。
「ダンスパーティー……」
「忘れてたの?」
はい。忘れてました。演奏会の事とそして秋の精霊祭の選抜チームに入れてそのことで頭がいっぱいだったから。それにラーシュ様はそういうイベントには参加しないって思ってた。
「い、いえ。ラーシュ様は参加されるんですか?」
「当然でしょ?ダンスパーティーの後、そのままうちの別邸に帰るから準備もしておいて」
あ、参加は決定事項なんですね。
ええっと、前の時は誘われもしなかったんですが……。ダンスパーティーの参加は基本自由。前の時一度だけ私も婚約者のいない友人達と参加したことがあるんだけど、交流を名目にしたダンスパーティーはパートナーがいないととても居づらいものだったので、それ以降は参加してない。
…………どうしよう……。私、あの演奏会の後からラーシュ様の顔をまともに見れてないのに……。こんな状況でダンスなんて無理無理無理!
本当はわかってる。たぶんあのキスは演奏が上手くいったから、その高揚感でされたんだろうって。だってあれからラーシュ様の態度は全く変わらない。それどころか歌の練習はもっと厳しくなったもの。特別な意味を持たせたいのは私なの。忘れなくちゃ。
でも、ドレスかぁ。少し楽しみだわ。ドレスを贈ってもらえるのは初めてだもの。今まで誕生日に贈り物を頂いた事はあるけれど可愛いネックレスとか髪飾りとかだったから。……そういえば前の時といただいた物が違うみたい。今回いただいた物の方が私の好みのものばかりだわ。ドレスの色と合えば、寮に持って来ているからつけてみたいな。学園の制服には少し豪華すぎてつけられてなかったから。
「ああ、失敗した……!」
ラーシュ様が突然頭を抱えてクラヴィーアの上に突っ伏してしまった。
「ラーシュ様?」
どうしたんだろう?今の演奏、間違えたりはしてなかったと思うんだけど。
「ごめん!」
「え?」
いきなり立ち上がって頭を下げるラーシュ様に戸惑ってしまう。
「怒ってるよね。あのキス」
「えっ!!」
いきなり蒸し返してきたぁっ!
「お、怒ってはいません」
ただ恥ずかしくて顔が見られないだけで。今も。
「こ、婚約者ですし、そ、その、仲間同士の親愛の意味なのですよね?ぶ、無事に演奏を終えて……それで……その高揚感というか、安心感というか……家族みたいというか……」
わぁっ、自分でも何言ってるのかわからなくなってきたっ。泣きそう。
「…………親愛……家族……か。そう、怒ってないんだね」
「は、はい……?」
あれ?なんだかとても真面目な顔で近づいて来たわ。
「え?」
肩を掴まれてまた額にキスをされた……???
「っ!」
顔が熱い……。
「怒ってないんだよね?親愛のキスならいいんだよね?」
にっこり笑ってるラーシュ様。もしかして怒ってるのはあなたの方なのでは?
「ダンスパーティー、楽しみにしてるからね」
見つめられて目が逸らせない。ラーシュ様とダンスパーティーに行けるなんて嬉しい。
何日かぶりにラーシュ様の顔をまともに見られた。やっぱり綺麗な人。少しだけ、わかってきたような気がする。ラーシュ様はとても厳しい人で、それは他人にだけじゃなくて、自分にもそうで。真面目で努力家で真っ直ぐで曲がったことが嫌いで、そしてとても優しい人。
でもラーシュ様のこと、やっぱりよくわからない。
最後にお姉様を選ぶのなら、こんなに近くにいないで欲しいのに。
「私も楽しみです……」
胸の痛みと涙を抑えて私は何とか笑ってみせた。
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