夜の聖地
来ていただいてありがとうございます!
「初志貫徹」
私は日記代わりのノートに書き付けたわ!
冷たくて暗くて体が動かなくなっていくあの感覚を忘れてた。でも、もう一度思い出したの。あの時の色々な事も。
ラーシュ様の冷たい目。私に無関心だったこと。私の心もだんだん閉じこもっていったこと。
前とは変わってしまっている今の私とラーシュ様の距離。ずいぶん近づきすぎてしまった。
そうよ!いずれ婚約を解消することになるんだから、ラーシュ様を好きになっちゃダメなのよ。気を引き締めなくちゃ。
『ごめんね、リファーナ。グラソン様は私と婚約することになったわ。あなたとは婚約解消になってしまうけど、いいわよね?』
私が逆らう事なんか考えてないアグネータお姉様の声は質問ですらない。
『え?』
『お父様とお母様もそれが良いって仰ってるのよ』
戸惑い混乱する私。それでも頷いてるお父様とお母様の様子が簡単に頭に浮かぶ。
『え、でも……、私はずっとグラソン様と……』
『全然相手にされてなかったわよねぇ。お手紙もほとんど返されてなかったわ。だからいいでしょ?』
『…………それは』
『あなたより美しくて優秀な私の方が侯爵家に相応しいに決まってるじゃない!』
悪気なんてない、純粋な声。それは私には酷く尖って聞こえてた。
『…………僕はどちらでも構わない。向上心、という点ではアグネータ嬢の方が良いのかもしれない……』
ラーシュ様の言葉は無機質で。もうそれ以上聞きたくなかった。だから気にしてない風を装うしかできなかった。
『わかりました!私はそれで構いません!』
お姉様の勝ち誇ったような顔は忘れられない。
うん。分かってた。一生懸命交流をしようとしてきた私よりアグネータお姉様を選ぶのなら、それはもう仕方ないことなんだわ。中等部に進級したらもっと仲良くなれるかもしれない。高等部に進んだらダンスパーティーみたいな華やかなイベントもあるし、婚約者同士みたいになれるかもしれない。いつも忙しいって断られるけど、今度は忙しくないかもしれない。
学校を卒業して結婚したら、たくさん話をして仲良くなれるかもしれない。
ラーシュ様とは家族になれるのかもしれない。
そんな日は来なかったし、もう来ない。私は少しずつ静かに絶望していったの。だから……。
『お二人ともお幸せに』
笑ってみせた。私は静かに頭を下げて二人のいる部屋を後にした。ラーシュ様の顔もお姉様の顔ももう見なかったし見たくなかった。
「そうよ。だから初志貫徹なの!私は幸せな結婚はできないんだから、一人で生きていけるように自立しなくちゃ!」
私は着替えを済ませると鞄を持ち上げた。
コンコンと部屋のドアが叩かれる。
「っどうぞ……」
「リファーナ、体調はどう?……どうしたの?その荷物は……」
珍しくラーシュ様が戸惑ったような顔をしてる。
「ご迷惑をおかけしました。私はもう大丈夫です。でもお祭りは、人混みは不安なので家へ帰ります」
これならラーシュ様の不興を買わずにここを離れられるわよね。
「精霊祭……行かないの?あんなに楽しみにしてたのに」
一緒に行きたい……。けどダメ。これ以上近くにいたら、好きになっちゃう。誰だってお姉様と私を比べたらお姉様を選ぶもの。その時に辛い思いはしたくない。私は昨夜のうちに馬車を手配してもらって家に帰ることにしたの。
「では、お世話になりました。失礼します」
「待って」
部屋を出ようとした私の手首をラーシュ様が掴んだ。
「いきなりどうしたの?何か…………あった?」
ラーシュ様の何かを探るような深い緑の瞳……。ああ、綺麗だわ。見ていたらダメだ。私は目を逸らした。
「何もないです。ただ、昨日みたいに倒れてしまったらと思うと怖くて」
「なら、送っていく。僕も帰るよ」
「そんな、それでは申し訳ないので一人で……」
「駄目だ!!」
ラーシュ様の声に思わず体がビクッとなって一歩下がってしまった。でもラーシュ様の手に力がこもって離してくれない。
「ごめん。大きな声を出して。でも人混みが不安なら尚更、今は外に出ない方がいい」
ラーシュ様は私の手から鞄を取り上げてしまった。
「あ……」
どうして?なんでラーシュ様が泣きそうな顔してるの?
「馬車は街中まで入れないし、街はずれまでは距離がありすぎる。一人で行くのは無理だよ。ね?」
「…………はい」
私って意思が弱いなぁ。でも倒れたせいかラーシュ様がいつもより優しいような気がするの。色々気遣ってくれて、グラソン家の使用人の人達に頼んで精霊祭の屋台の色々な食べ物を買ってきてくれたりした。離れていようと思ったのに、何度も部屋に様子を見に来てくれた。私が熱を出した時、お母様でもこんなに気にしてくれたことは無かったのに……。
お茶の時間になって、ラーシュ様と精霊祭の時限定のケーキを食べていた。真っ白なクリームに精霊様の光に見立てた色とりどりのフルーツを丸くくりぬいたものが綺麗にトッピングされている。
「綺麗なケーキ……美味しい……!」
美味しいけどくりぬいた後のフルーツってどうしてるんだろう?
「ジャムとかにするのかしら……」
「フルーツソースにするんじゃない?」
お茶を飲みながらラーシュ様が答えてくれた。え?私、今声に出してた?
「パンケーキのソースとかね」
「えっと……私」
「ううん。声には出してないよ。何となくそうなんじゃないかなって思っただけ」
クスクスと笑うラーシュ様……レアだわ。私にとっては物凄く。教室とかご家族と一緒にいる時はこんな感じなのかしら……。
今日は戸惑う事ばかり。精霊祭の賑やかさのせい?私は窓の外をそっと眺めてみた。三階建ての石造りのお屋敷の窓からたくさんの人達が歩いているのが見える。貴族の人達や、行商人、子供達、家族連れや恋人同士……あとたぶん外国の人達も。そういえば貴族は大体この街に精霊祭の為の小さな別宅を持っているらしい。
「スティーリア家の別邸はどこにあるのかしら」
確か街の西側って聞いたことがあるような気がする。うんと小さい時はお姉様と二人でお留守番だったけど、お姉様が学園に通うようになって優秀だって分かるとお姉様を連れて行くようになったんだわ。私はずっとそのままだったけどね。
「…………ねえ、やっぱり少しだけ外に行ってみない?」
「え?今からですか?」
「うん。無理かな?」
外はもう薄暗い。体調不安は家に帰る口実だったし本当はお祭りを見てみたい気持ちもあった。ラーシュ様がこんなにずっとそばにいるなら、部屋の中でも外にいても変わらないかもしれない。
「行ってみたいです」
「じゃあ、上着を着て。行こう」
ラーシュ様は私に上着を着せかけてくれた。
「あ、ありがとうございます」
こういう風にしてもらえるのも初めてで、本当に戸惑っちゃう。仲が良い恋人同士みたい。
花と光、光、光!
たくさんの街灯もある。でもそれよりもなによりも、精霊様達がたくさん飛んでるの。暗くなってきたから、その光がとても目立ってる。
「なんて綺麗なの…………え?」
手があったかい。
「人が多いから、はぐれないように繋いでいて。離さないでね」
「はい」
迷子になったら大変だわ。たぶん私ひとりじゃ帰れなくなる。私がラーシュ様の手を握ると強く握り返してくれた。
ラーシュ様はなるべく人が少ない場所を選んで歩いてくれたみたい。私は景色に見惚れて気づいたのはずいぶん歩いた後だった。気が付くと湖に近い花畑に出ていた。暗い夜の花畑にはやっぱり精霊様達がたくさんいて、とても幻想的だった。
「あ」
遠くに塔が見える。篝火がたかれてシルエットが小さく浮かび上がってる。もう眩暈はしなかった。でも、何か大事なことを思い出せそうな気がする。私は思わず手で顔を覆った。
「…………リファーナっ!大丈夫?ごめん……やっぱり帰ろう」
「いいえ、大丈夫です」
脳裏に浮かんだイメージはつかみきれずに消えてしまった。
「ラーシュ様、ありがとうございます。連れてきてくださって。精霊祭ってこんなに素敵なんですね……」
私は花畑と湖をもう一度見た。水の上にも精霊様達が飛びまわっていて水面に光が映ってまるで星空のよう。
「聖地はたぶんいつもこんな風なんだと思うよ。ただ、今日はお祭りだから普段よりも精霊の数は多いかもしれないけれど」
そっか、精霊祭じゃなくても聖地はいつもこんなに美しい場所なんだ……。感動していると精霊様達が集まって来て頭や肩にとまってくれた。私、ここで働きたい。自立するためって思ってたけど、私はこの場所が好きだわ。できるならここで精霊様達のために歌って生きていきたい。
この時、私は心からそう願った。
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