9話
思いついたので。
次話はまた時間を置くかもしれません。
「最近物騒ですよねぇ」
品目のリストとケースの中身を見比べて確認していると、いつもの配達員が唐突にそう言った。
いや、もしかすると唐突ではなかったのかもしれない。
私は散漫ではあるが、一旦、一つの物事に集中してしまうと周りのことをすっかり忘れてしまうような人間だ。私が聞いていなかっただけで彼女は何か話していたかもしれない。
そう思ってしまうと、今まで空返事だったことにばつの悪さを感じてしまう。
何か言葉を返すべきかと考え、悩んだ挙げ句、
「物騒、ですか」
と、相手の言葉を鸚鵡返しにするという、安牌な行動を選んだ。
「今朝のニュース見ました?」
「……ええと、今日は遅起きだったので」
「あ、そうだったんですね」
「何かあったんですか?」
「それが……また、起きたんです。ほら例の連続殺人」
どくん、と心臓が大きく跳ねる。思いもよらぬ方向から冷や水を浴びせられたようだった。
考えなくとも当たり前のことだ。ニュースで連日報道されていたし、この近辺の人が知らない訳がない。
ただ、人との関わりがないからこうして話を聞くことがなかっただけだったのだ。
「一体どんな人なんでしょうね?なんでこんなことをしてるんでしょう?」
「……さあ、分かりませんね」
「ですよね。……すみません、こんな話しちゃって」
「いえ。……今週もありがとうございました」
「はい、こちらこそ!また来週もよろしくお願いしますね!」
いつものように元気よく辞儀をして、彼女は出ていった。
注文した品を冷凍庫や野菜室に仕舞い終えると、気疲れからか少し目眩がした。
水を呷り、ベッドに身体を投げ出す。気分の悪さが少しずつ頭から抜けていくようだった。
余裕ができると、思考が悪い方向へ傾いていく。自覚していても止められない私の悪癖だ。
今朝のニュース。咄嗟に嘘をついてしまったが、実は私も目にしていた。それどころかここ数日のニュースは全て見ていた。
アオイと約束をしてから一週間ほどが経った。
彼女は数度、時間を問わずに私の家を訪れた。頬に飛び散った血を何度か拭ったのを覚えている。そうして彼女がやって来た次の日は必ずニュースを見るようにしていた。
曲がりなりにも私は彼女の共犯者である。大して力になっていないとはいえ、自分が彼女に手を貸した結果被害者が増え続けているということに目を背けてはいけないと思った。
「自己満足だ」
口に出す。
明らかに自分勝手な思想だった。別にアオイが私に必ずニュースを見ろと言った訳ではない。私は何もしていないのに責任を負ったつもりになっている。
それで自分の行いに何か高尚な理由をつけようとしている。
自分の醜さには飽き飽きしているのに、まだそういう行いをしている自分が本当に嫌だった。けれど、それを変えようとする勇気もない臆病者であることは、私自身が重々承知していた。
アオイは、私の醜さに気付いているのだろうか。
気付いていて私とあのような約束をしたのだろうか。
だとしたら彼女は一体何を考えているのだろう。私という醜く愚かな人間に、何を求めているのだろう。
「……はは」
自分の考えに自分で笑ってしまった。
アオイが私に求めていることなんてない。共犯になることも、血を拭うことも、全て私が進んでやっていることだ。彼女が私に何かを求めたことは一度だってなかった。
と、そこまで考えて、違うとかぶりを振った。一つだけ彼女が私に望んだことがあった。
名前だ。
彼女は私の名前を知りたがった。
「…………」
だからどうという話でもない。
思考が栓のない方へ沈んでいくのを感じた。これ以上は本当に考えても仕方のないことしか思い浮かばないだろう。
少しの頭痛を感じながら私は目を閉じて思考を打ち切った。彼女についてあれこれ考えるよりも、彼女の綺麗な蒼い瞳を思い返す方が何倍も建設的だった。
◇
からから、と窓が開く音がして、目が覚めた。
カーテンが風に押されてふわりと膨らむ。少しの肌寒さと、薄い月明かりと、顔の上に注ぐ陰影。重たい目蓋を押し上げると、蒼い二対の月がこちらを覗いている。
「…………。おはよう、ございます」
「あは。ハルさん、もう夜だよ?」
「……なら、こんばんは」
「うん。こんばんは」
小さく「よっと」と呟きながら、アオイはベッドの上の私を飛び越えて部屋に入る。そして、勝手知ったるといった風に冷蔵庫を開け、薄い麦茶をグラスに注いだ。
ねばついた目を拭って改めて彼女を見る。いつも通りの暗い色のパーカーによれよれのシャツ。艶やかな黒髪に、くすみのない肌。血はどこにもついていない。
「今日は、誰も殺していないんですか?」
てっきり、血を拭いたくて来たのかと思ったが。
そう言外に含めて言うと、彼女は「んー」と生返事をしながらグラスに口をつけた。こく、と僅かに喉が鳴り、それにどことなく居心地の悪さを感じて目を逸らした。
静かな時間が続いた。私は自分の指をじっと眺めていた。爪が伸びていた。不摂生で、暗い色が混じっている。切らないと、と思った。
ちら、と目線を上げると、冷たい色の瞳とぶつかった。
「ハルさん、私のこと誰彼構わず殺す殺人鬼と思ってるでしょ?」
「いえ」
「じゃあどう思ってるの?」
「人を選んで殺す殺人鬼だと思っています」
その基準は分からないけれど。
「あはは。せいかーい」
アオイは目を細めて笑った。軽薄な笑い方だった。
「今日は殺したい人がいなくて」
「じゃあ、どうしてここに?」
「用がなきゃ来ちゃいけない?」
一瞬、言葉に詰まった。まるで私に会いたくて訪れたような言い回しだった。
そんな都合のいいことがあるわけない。けれど、そう分かってはいても、少しばかりの自惚れが胸の奥から顔を見せた。
「……そんなことは、ありません。いつでも来て構いません」
「ならよかった。ね?」
それはどっちにとってよかったのか。
私にとってか、君にとってか。
余計な、浮わついた考えを頭を軽く振って払う。気持ちの悪い思考だった。
「……そうだ。ハルさん」
何かを思いついたかのようにアオイがそう言った。
「何ですか?」
「しばらく、夜は外に出ないでね」
「……?どうして――」
そう聞き返そうとすると、突然口元に柔らかい感触がした。見ると、いつの間にか私の目の前までやって来たアオイが、私の唇に指を当てていたのだ。
彼女は悪戯っぽく笑うと、
「どうしても、ね?」
と言った。
それに私は何も言えなかった。それは、彼女の仕草に魅了された訳でも、突然のことに呆気にとられた訳でもなかった。
彼女の笑みの奥に、どこか心配の情を感じたのだ。
本当に私の身を案じているように。
その感情を私に隠しているように。
ほとんど勘で、何の根拠もない。けれど、それを感じ取ったから、私は閉口せざるを得なかった。
辛うじて私が頷くと、彼女は安堵するかのように笑みの質を変えた。その笑みもまばたきの内にどこかへと消え去っており、いつもの神秘的な雰囲気だけがアオイの顔に浮かんでいた。
◇
目を覚ますと、いつも通り彼女はいなくなっていた。
眠気覚ましにコーヒーを飲みながら何となく朝のニュースをつけると、信じられないものが目に飛び込んできた。
『殺人事件。被害者はまたも学生。遺体は今までと同様に異常な力が加えられ、身体の一部が欠損しており、警察はこれまでの連続殺人と関連付けて捜査中』
目が釘付けになった。
ここ数日間、数週間に報じられた殺人事件は全てがアオイの犯行だった。異常な膂力によって行われた殺人は、他の人には真似できようがない。
けれど、アオイは昨夜人を殺していない。返り血はなかったし、そもそも彼女が私に嘘をつく理由がない。
彼女の言葉を思い出した。しばらくの夜の外出は控えた方がよいという、忠告にも似たようなもの。
そこから考えられることは、彼女が危険視するような存在がこの街にいるということ。
「……アオイさん以外に、あんな殺しができる人が、いる?」
背筋にぞわりとしたものが走った。
この街で何かが起きようとしていた。




