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明る夜  作者: 渋音符
6/6

6話

何となくで書き続けています。


 窓から見える景色が徐々に赤くなる。やがて夜空の紺と混じって薄桃色が空に広がった。たなびく雲がグラデーションを帯びていて、妙に気味が悪かった。

 コップが(から)になった頃、アオイは「またね」と言い残して去っていった。去り際に、「今日は誰かを殺すんですか」と聞くと、彼女は薄く笑った。


「明後日にはニュースになるんじゃない?」


 物騒だと思ったが、今更なことだった。ひらひらと手を振る彼女の後ろ姿は、これから人を殺すのだとは思えなかった。きっと、まともな感性を持った人ではないのだろう。そう思うと、最初に殺人鬼という言葉を生み出した人は、そういった人種の内心を見事に(とら)えていたのかもしれない。

 言い得て妙というものだろう。あの神秘的な気配。冷たい色の瞳。人を殺すのが当然とでも言うような口振り。人ではなく鬼だと言われればしっくり来る。


「でも、そっか」


 今日も私ではなかった。

 死の苦しみを味わわずに済んだことに安心している自分も、彼女に殺されなかったことを残念に思う自分もいた。その感情の内訳(うちわけ)を考えそうになって、慌てて頭を振った。ぐわんぐわんと揺れる視界に、愚かな考えは紛れていった。


「っ、また……」


 頭痛がした。雨が降るという予報はなかったはずだが、こめかみの辺りがきゅ、と締まるような感じがした。

 錠剤を二つ、喉に押し込む。喉に溶けかけた錠剤が張り付き、異物感を覚えて身体が勝手に吐き出そうとする。

 苦い麦茶は錠剤の味を押し流すのにぴったりだが、一度覚えた気持ち悪さは消えない。何度コップを空にしても喉の異物感は残ったまま。こめかみの痛みも和らぐ気配はなかった。

 目を閉じると、暗い視界の内にアオイの瞳を見た。一度見れば忘れないあの瞳。薬を飲むより彼女といる方が落ち着く気がした。


「……今、何をしてるんだろう」


 人を殺しているのだろうか。

 それとももう殺しは終えて、帰路(きろ)に着いているのだろうか。

 じわ、と親指が熱を持った。彼女の真っ白なかんばせに、被害者の血が飛び散るのを幻視した。前は線を引くしかなかったその汚れを、今度は綺麗に拭ってあげたいと思った。


「会いに、行こう」


 アオイはどうやって人を殺すのだろう。それらしい得物は持っていなかったが、刃物を隠し持っていたりするのだろうか。それとも、その場にあるもので突発的に殺すのだろうか。

 ただ想像することはいくらでもできるが、どうも現実味がなかった。そういった殺し方は彼女には似合わないと感じた。

 先程まで薄桃色が広がっていた空は、今はそのほとんどが宵に染まっていた。月は雲の隙間からちらちらと覗き、太陽の代わりを務めようとしている。

 家を出る直前に、白いハンカチを丁寧に折り畳んで、ポケットに仕舞った。汚れが目立ってしまうかもしれないが、無難な色合いのものしか私は持っていなかった。仕立ての良いものだったが、だからこそ彼女のために使ってあげたかった。

 彼女がどこにいるかの見当はついていなかった。ただ心が惹かれる方へ足を進めることにした。丁字路では街灯のより暗い方へ。交差点ではより海に近い方へ。足の裏に筋張っているような痛みを感じながら、少しでも暗く、静かで、潮騒のする方へ向かった。

 潮風はいつもよりも落ち着いていて、衣服に染み込む冷たさも、鼻腔(びくう)を埋める潮の香りも、目に入り込む痛みも、今日はほとんどなかった。

 ただ、穏やかな風に乗って、僅かに錆びついた匂いが私の前にやってきた。

 血の匂いだとはっきり分かった。子どもの頃によく転んだおかげで、その匂いはかなり身近なものだった。

 風が強くなくとも漂ってくるくらいの匂い。それを辿ればきっと、アオイに逢える。

 私は迷うことなく、その方向に足を向けた。


 ◇


 海岸に程近い小道に入ると、血の匂いが途端に濃くなった。雲が通り過ぎたのか月の光が妙に明るく、街灯がないのにその場の様子がはっきり分かった。

 女子学生だった。

 確か、電車で二駅ほど行ったところにあるはずの私立の高等学校。その制服が赤黒く濡れている。

 頭部はコンクリート塀に打ちつけられ、ひしゃげた骨と肉片が溝にこびりついて半ば一体と化している。砕けた頭蓋骨からはみ出した脳漿(のうしょう)は、やや癖のある茶髪とぐちゃぐちゃに絡み合っていた。

 その傍に立っていたのはアオイだった。彼女はその死体に冷たい色の目線を向けているだ、そこからは何の感情も読み取れない。人を殺したことに対する罪悪感も、小説やドラマで見る猟奇殺人鬼のような(よろこ)びもない。蒼い色の無機質な瞳だけがそこにあった。

 ぎょろりとその視線がこちらに向いた。血走った眼球に貫かれ、私は身震いした。

 ゆら、と少女の姿がぶれる。いつの間にか彼女は目の前まで迫っていて、私のことをじぃっと見上げていた。


「ハルさん?」


 驚いたように私の名前を呼ぶ彼女には、先程までの無機質さは宿っていなかった。


「……こんばんは、アオイさん」

「こんばんは。どうしたの?こんな夜更けに出歩いてたら、危ないよ」

「君よりも危ない人は、少ないと思いますが」

「あは、そんな(にご)さず言っちゃう?結構傷つくなぁ」


 無邪気に微笑む彼女の頬は血でべっとりと汚れていた。月の明かりだけでは分かりにくいが、昼間は綺麗だったパーカーもおそらくは返り血と脳漿に染まっているのだろう。

 視界の端に、彼女の右手が映った。指先は濡れており、時折その液体が音もなく滴り落ちている。


「人って、素手で殺せるものなんですか?」

「私にとっては簡単だけど。普通の人はできるのかな……」


 首を傾げる姿は年相応の愛嬌があった。深夜、遺体のすぐ近くというシチュエーションでなければ、微笑ましい光景だったのかもしれない。

 私に対して、アオイは何の殺意も抱いていないようだった。仮にも目撃者だというのに、口封じをする素振りもない。私のことなど簡単に殺せるからなのか、それとも、私が彼女を警察に突き出すことなどないと思っているからなのか。どちらにせよ、今の彼女は本当に無邪気な少女だった。


「……血が付いてますよ」


 そっとハンカチを差し出した。彼女はそれをじっと見つめて、何かを考えるように目を閉じ、しばらくしてから、「ん」と血に濡れた頬をこちらに向けた。

 まるで口を汚した赤ん坊のようで、思わず苦笑した。


「……何笑ってるの」

「あ、いや、すみません。少し、その……」


 言いかけて、口を(つぐ)んだ。彼女は声を低くして「何?」と再度問うが、それでも正直に答えるのは憚られた。

 慌てて弁解のための言葉を探す。けれど、上手く取り繕うことができずに、結局は思ったことをそのまま口に出すしかなかった。


「ちょっとだけ、可愛いと、思ってしまいまして」


 きょとん、という擬態語がこれ以上なく似合っていた。

 アオイはまばたきを繰り返して、それから「……そう」とだけ言って黙りこくってしまった。どうすればいいか分からなくて、とりあえず彼女の頬にハンカチをあてがった。


「……ありがと」

「どういたしまして」


 奇妙な空間だった。

 人が死んでいて、殺人鬼は平然とした顔をしていて、私も、その状況をすんなりと受け入れていた。

 真っ白なハンカチが赤く(にじ)んでいく。反対に、アオイの頬から汚れが消えていく。終わる頃には妙な満足感があった。


「汚しちゃった」

「構いません。元々そのつもりで持ってきましたから」

「……あなた、気が狂ってるよ」


 狂っている。

 そう言われて、腑に落ちた。確かに私は狂っているのかもしれなかった。元々狂っているのか、それとも彼女に狂わされたのかは分からないが、どちらにせよ、おかしくなっていることには変わりがなかった。


「すみません」

「何?」

「もう少し、触れていてもいいですか」

「……本当に、狂ってるよ」


 嫌だ、とは言われなかった。

 ハンカチを仕舞い、そっとその頬に親指を滑らせた。果物のような瑞々(みずみず)しさがあった。ほんのりと温かさが指の腹を伝った。僅かに目を細める彼女が、とても愛おしく見えた。

 どれくらいそうしていたかは分からなかったが、私も彼女も、何も話さなかった。

 その光景を、遠くの月が静かに見守っていた。

 

来週はこちらではなく短編を1本書いて投稿するかもです。

ご容赦ください。

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