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明る夜  作者: 渋音符
4/6

4話

四話目です。

モチベーションは続いてます。


 ピンポーン、というチャイムの音。

 続いて聞こえる、私の名前を呼ぶ声。


鷺沼(さぎぬま)さーん、お届け物ですー」


 聞き覚えのある声に少し胸を撫で下ろす。重たい身体を引き()るようにして玄関まで行き、ドアを開ける。昼間の眩しい陽射しと共に、焦げ茶の髪を後ろで一つに纏めた快活そうな女性が顔を覗かせた。


「…………ぁい」

「おはようございます!これ、いつものです!」


 思った以上に私の声は干からびていて、彼女の声はいつも通り朗らかだった。

 目の前の人好きのする笑顔を浮かべているのは配達員の女性。名前は、何と言ったか。自己紹介された気もするけれど、覚えていない。人の名前を覚えるのは苦手だった。

 抱えているプラスチック製のケースには野菜やインスタント麺が、傍に積んである発泡スチロールの箱には冷凍食品が詰まっている。「どうぞ」と言いながら中に案内し、注文した品を降ろしてもらう。


「ありがとう」

「どういたしまして!」


 彼女は地元の生協組合の人で、この周辺の担当配達員だ。もう半年ほどの付き合いになる。私は出不精で買い物に行くのも億劫なものだから、以前から多少は生協組合に頼っていた。ただここ半年で状況が変わってしまったので、今ではこの配達が私の命を繋ぎ止めていると言っても過言ではなかった。

 彼女は発泡スチロールの箱も降ろして、「ふぃー」と息をついた。見た目は二十代前半なのに、随分と外見に見合わない言動や動作をする子だった。


「すみません、休憩させてもらっちゃって」

「いえ、いつも持ってきてもらってるので……。お茶でも飲んでいきますか?」

「流石にそこまでお世話になるのは申し訳ないです……!お気持ちだけ頂きますね!」


 大袈裟に、しかし不快感のない言動に思わず頬が緩む。人懐(ひとなつ)こく礼儀正しい彼女には配達員という職業が天職のようで、その生き生きとした姿が私には少し眩しかった。

 冷凍庫や野菜室に届けてもらったものを仕舞い、玄関まで戻る。彼女はケースを折り畳み、発泡スチロールと一緒に抱えあげようとしているところだった。


「やっぱりお茶、飲んでいってください。水分不足が一番怖いですから」

「……そういうことなら、頂きます!」


 麦茶の入ったコップを渡すと、彼女はごくごくと喉を鳴らしながら美味しそうに飲み干した。「ぷは」とコップを空にすると、「ほんとは喉からっからだったんですよー」と照れ臭そうに彼女は笑った。


「では、次の配達もあるので、これで失礼しちゃいますね!」

「あ。引き留めてすみません……」

「いえいえ!気にしないでください。助かりましたので」

「引き続き頑張ってください」

「はい!ありがとうございます!また来週もお願いします!」


 最後まで満面の笑顔を見せたまま、彼女は玄関を出ていった。

 鍵をしっかり閉めて、空のコップを洗い場に置く。洗うのは後回し。疲れてしまったので、少し休憩がしたかった。

 彼女は元気で、話をするのも苦ではない。ただ、それは見ず知らずの人に比べればというだけ。彼女と話していると色々なことを考えてしまうのだ。

 生き生きしている姿が羨ましい、とか。

 私もこんな風になりたかった、とか。

 そんなことが頭の片隅に思い浮かんでしまってどうしようもなく嫌になる。全部私の勝手な羨望であり、ただの(ひが)みだ。彼女は何も悪くない。彼女にはたくさん助けてもらっているし、たくさん元気を貰っている。


「……やな性分だ」


 本当に陰湿で、後ろ向きで、どうしようもない性分だった。

 ベッドに倒れ込んで、天井を見上げる。真っ白な天井。カーテンの隙間からこぼれた日の光がローテーブルの上の何かに反射しているのか、不規則な光が天井に写っている。

 何をするでもなく、それをぼんやりと眺める。無為な時間。こんなことをしている場合ではないのに、気づけばぼうっとしていることが増えた。もはや自分が生きているのか、それとももう死んでいるのかも分からなくなってしまいそうだった。

 ピンポーン、というチャイムの音が再度部屋に響き渡った。


「……?」


 まだ先ほどの訪問からそこまで時間が経っていない。もしかすると注文した品の中で渡しそびれがあったのかもしれない。

 ベッドに沈んだ身体を持ち上げて、もう一度玄関に向かう。よたよたと壁に手をつきながら歩くものだからかなり時間がかかってしまうが、彼女はきちんと待ってくれる。人付き合いが得意ではない私のことを考えてチャイムを鳴らしてから必ず声をかけてくれるような子だ。本当に頭が上がらない。


「……あれ?」


 扉に手をかけて、聞き覚えのある声が聞こえないことに気づいた。

 途端、指先が震えた。

 他の宅配や通販は頼んでいない。私の家に用があるのは、彼女か、あるいは家族だろう。家族なら事前に連絡をくれるはず。なら、このチャイムを鳴らしたのは一体誰なのか。

 恐る恐る、備え付けられた覗き穴を見る。その向こうにいたのは、人懐こい彼女ではない。


「こんにちは」


 眼球が、覗き穴を通してこちらを見ている。

 蒼く、冷たく、血走った、怜悧な眼球。紛れもなくそれは、夜に出会った少女の瞳だった。

 鍵を回して、ドアをゆっくりと開けた。

 明るい時間に出会ったのは初めてだったから、少女の姿は随分新鮮に見えた。パーカーも、よれよれのシャツも、黒い長髪も、整った顔立ちも。月夜での神秘的なイメージは鳴りを潜め、どこにでもいるような少女に見えた。


「君は、どうして、ここに」

「なんとなく、かな」

「……なんとなく?」

「うん。なんとなく。たまたま。偶然、ね」


 その掴み所のなさが不気味に思えた。神秘的な雰囲気は()き消え、何故私の家を知っているのか、どうして私を訪ねたのかという疑問が脳内を占めた。


「ね、えーと、鷺沼、さん?」


 呼ばれて一瞬固まる。

 すぐに当たり前のことだと気づいた。もしかすると私と配達員の会話を聞いていたのかもしれないし、そうでなくとも表札がある。名字くらいは分かるだろう。

 少女の蒼い瞳に私が写っている。気味の悪い事態に困惑しているような。それでいて、妙に落ち着いているような。


「ずっと立ちっぱなしもなんだから、家に入れてよ」


 不気味だった。怖かった。もしかすると彼女は私を殺すつもりなのかもしれないと思った。

 今日はまだ、彼女は誰も殺していないのだろう。その証拠に、彼女の真っ白なかんばせには少しの汚れもない。私が彼女の頬に引いた線も、今は消えていた。


「――君の」

「うん?」


 口が勝手に動いた。

 喉が異様に渇いた。首の奥に張り付いたものが、ぺりぺりと剥がれ落ちていくような錯覚。唾を飲み込もうとして、上手く行かずに唾液が口内に溢れ返った。

 なんとか悟られないように口を押さえて、ゆっくりと飲み込む。こきゅ、と音が鳴った。


「君の名前を教えてくれたら、構いません」


 言った。

 言ってしまった。

 あろうことか、人を殺せるような人物に向かって。神秘的で不気味な、その少女に向かって。名前を知りたいと。

 愛読していたミステリ小説のワンシーンが脳裏を(よぎ)る。あるいは、超常的な殺人犯が登場するサイエンスフィクションを思い出す。このままなら、私はきっと何人目かの犠牲者になるだろう。

 それでも、聞きたかった。

 私を殺してくれるかもしれない人の名前を、知りたかった。


「……あは」


 私のその言葉に、少女は微かに笑った。


「普通、そんなこと聞く?これでも結構不気味だと思うんだけど」

「仲良くしたくて」

「人殺しと?正気?」

「あ、そういう感覚はあるんですね」


 思わずそう言うと、彼女はまた笑った。純粋な笑いというよりは、若干の呆れが混ざっているようだったけれど。


「じゃ、いいよ。教えてあげる」


 その代わり、と言いながら彼女は私の目を覗き込んだ。

 蒼い瞳いっぱいに私の眼球が写っている。特別なものではない、普通の茶色。最近はよく痛む私の右目は、今日は大人しかった。


「あなたの名前も、教えてくれる?」

「構いません」


 一も二もなく即答すると、蒼い眼球はふっと離れていった。


「それじゃ、こっちから」


 腰にまで届きそうな髪が大きく広がる。よく手入れされているのか、それとも天然か。いずれにせよ少しの瑕疵もない長髪が私の視界を覆い尽くす。

 その黒の中で、やはり蒼い瞳が目立った。じっとこちらを見ている真円は、血走っているけれど、とても綺麗だった。


「わたしは、アオイ。よろしくね」

「……鷺沼、ハルです」


 どちらからともなく、手を伸ばして。

 その手を緩く、壊れないように握った。

 

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