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明る夜  作者: 渋音符
2/6

2話

二話目です。

まだ設定はふわふわしています。


 目覚めると、薄緑のカーテンが揺れていた。布団の中が暑く、妙に汗をかいていて、気持ち悪かった。

 カーテンの隙間からてらてらとした光が私の顔を濡らす。目の周りにこびりついたねばねばとした感覚を強引に擦り落として、ゆっくりと身体を起こした。

 染みまみれの布団とシーツ。(ほころ)びが目立つぬいぐるみ。脱ぎ捨てられた衣服。全部がそのまま放置されて、ぐちゃぐちゃになっていた。それは私の不精によるものでもあったが、それだけが理由ではなかった。

 冷蔵庫の麦茶を取る。錠剤を二錠口に含んで、一気に押し流す。気分は晴れない。


「……あたまが、くらくらする」


 寝起き特有の、あるいは低気圧による頭痛。ストレス性のものもきっとある。

 私自身にも感じ取れるくらい、身体が左右にぐらついていた。そこかしこに手をつきながらベッドに戻り、とさりと倒れ込むと、ベッドよりも身体が嫌に軋んだ。

 てらてらとした光がベッドを照らす。その光を目で追うと、ぬいぐるみの黒い目がこちらを見ていた。つぶら、と言っていい目。よく見れば傷がいくつかついている目。それがじっと私を見ていた。


「……なんだよ」


 何か言いたいことがあるのか。そんな意図を込めて言葉を発しても、ぬいぐるみはうんともすんとも言わない。ただ私に目を向けているだけだ。

 無性に寂しくなって、ぬいぐるみをひしと抱き締めた。綻びから漏れた綿(わた)が指に触れる。心地のいいふわふわとしたそれを人差し指の腹でなぞり、ぬいぐるみを中心として身体全体を丸める。

 頭痛と、丸めた背中に走る痛みと、臓腑に感じる気持ち悪さとが()い交ぜになっている。微かにねばりが残った目蓋(まぶた)を閉じると、ぴとりとくっついて離れなくなる。体勢を変えたおかげで、薄暗い視界には邪魔が入らなかった。

 寝起きが悪いときは、もう一度微睡(まどろ)むことが最適の答えだと私は思っていた。思考を意図的にぼんやりさせて、何も考えずにただ横になる。そうして時間を浪費することが、今の私には許されていた。というより、それ以外に私に許されたことはないのかもしれなかった。

 子どもの頃からそうだったような気がする。時間を浪費すること以外に、私にできたことなんて一つもなかった。小学生の頃のクラブ活動も、中学生の時の部活動も、高校生で初めて入った委員会も、大学で勇気を出して参加したサークルも、ついぞ私に成功体験を与えることはなかった。

 与えられたのはどうしようもない実感。私は時間を浪費することしかできないという考えだけだった。


「はは」


 笑えるくらいに悲観的だった。笑わないとやってられなかった。

 自分の悲観的な性分を自覚していながらも、それをどうにかする気がない。何かをしてもどうせ失敗するという予感が拭えない。

 私が唯一失敗しないのは、寝床で横になっていることだけ。それだけについては妙な自信を持っていた。


 ◇


 結局、私が身体を本格的に起こしたのは、お腹の音が鳴ってからだった。時刻は昼をとうに過ぎ、そろそろ夕方へと差し掛かろうとしている。

 月の始めに買い込んでおいたカップラーメンの蓋を開ける。いくつもの乾いた具材が固まった麺の上を転がる。そこから一部の具を箸で摘まんで、ゴミ袋に放り込む。自分でも贅沢なことをしていると思う。食べ物を粗末にし、自らの手で自身の栄養となるものを無駄にしている。そのことが気持ち悪い。気持ち悪いけれど今更だった。どれだけ自己嫌悪しても私の悪癖は治らない。

 お湯を注いで三分待つと、麺はほぐれてスープもきちんと染み込んでいた。ずるずると啜りながら慰みにテレビを点けると、食事中に見るには相応しくないものがちょうど流れた。


『殺人事件。被害者は高校生。先週の二件に引き続き同様の手口と思われます』


 写真が一枚。恐らくは被害者の学生。学生証に載っている写真を拡大したもので、着ているブレザーには花がモチーフになったのであろうマークがついている。

 その顔に見覚えがあった。

 思い出すのは昨夜のこと。私がすれ違った学生の集団。その中に、写真の人物と酷似した人物を見た。

 見間違いかもしれない。綺麗な月の日だったが、顔はあまりよく見えなかった。


「……昨日の」


 あの、綺麗な人。

 血走った蒼い目の、人を殺すと言った少女。


「痛っ」


 右目がずきりと疼く。抜けた睫毛(まつげ)が目に入ったのか、それとも昨夜の潮風が目の奥に残っているのか。

 カップラーメンを啜る。意図的に濃く味つけされたスープが喉に絡みつく。歯に違和感。ねぎが挟まったのだろう。

 麺を食べきり、スープを洗い場に流す。口の中に残る人工の美味しさが気持ち悪い。自分で食べておいてこんなことを思うなんて、気持ち悪い。

 右目がじんじんする。


「……顔、洗お」


 洗面所の鏡越しに、ぼろぼろの私が見える。顔に傷があるとかそういうことじゃなくて、心がぼろぼろな私。見目はよくなく、(やつ)れてもいる。数ヶ月前に比べると、本当にぼろぼろだった。

 水を手に溜めて、一度口内を満たす。舌に残る油をゆすいで吐き出し、続いて喉の気持ち悪さをなくすためにうがいをしようとして、失敗した。


「ぇ、げほ、おぇ……」


 唾液がびちゃびちゃと洗面器に叩きつけられる。少し酸っぱい。胃液も出てきている。

 改めて口をゆすぎ、もう一度うがい。今度は上手くいったけど、喉の違和感はかえって増した。

 手に溜めた水を今度は顔にぶつける。特に目元に入念に。目を擦るのはあんまりよくないと知ってはいるけれど、それを辞められないのも私の悪癖だ。

 顔のべたつきと、目やにと、睫毛が流れていく。右目も取り敢えずは痛くない。


「……」


 タオルで水滴を吸い取って、髪を()き上げる。はらりと洗面器に落ちる毛は長い。随分前から髪を切っていなかった。

 ぼんやりと多少はましになった顔を眺める。生気のない顔。卒業アルバムも、免許証も、マイナンバーカードも全部似たような顔。きっとずっと同じ顔で、遺影も同じ顔なんだろう。どうして私は生きているのかなんてことを考えてしまう。

 今まで何回も考えたこと。結論は分かりきっている。だからそれ以上は考えない。


「……」


 窓の向こうに見える景色は夕方。もう少しで日が暮れる。そしてきっと、夜になる。

 なんとなく、またあの少女に会いたくなった。あの怜悧な目をした、人を殺すと言った綺麗な子。あの子にいくつか聞きたいことがあった。

 本当に人を殺したことがあるのか。

 昨日は誰を殺したのか。

 そして。


「私を、殺してくれますか」


 なんて。

 そんなことを聞く勇気もないくせに。

 

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