12話
お久しぶりです。うんうん唸って、悩んでいる間に年が明けました。
今年もゆるゆるこちらを更新していこうと思います。よろしくお願いします。
玄関の扉を閉めた途端、それまで張り詰めていた息が漏れた。
どうやら無意識に呼吸を止めていたようで、玄関に背中を預けてようやく落ち着いて息を吸う。ただ、そのことがかえってつい先ほど目の前で起きたことを鮮明に思い出させた。
濃い鉄の匂い。
自分の身体中から発せられるそれは、すべて返り血だ。赤い少女の姿をした化け物に殺された警官達の血液。それが服や肌にべっとりと染みついていた。
血には、この数日でかなり慣れていた。本来は慣れてはいけないものなのかもしれなかったが、アオイと接する内に慣れざるを得なかった。ただ、あんな至近距離で血飛沫を浴びたのは初めてだった。
血液は、人の体内で温められる。だから、直前まで身体の内側を駆け巡っていた血は、燃えるように熱い。それを身を以って実感させられた。
一心不乱に走っていたせいで、どのくらい時間が経ったかは判別できなかった。少女を見送ってからどれだけあの場にいたのかも分からない。再び動き出すのに時間を要した気もするし、すぐに走り出したようでもあった。既に日が暮れているということだけしか、私には分からない。
「……熱い」
身体が熱い。
目の前で人が死ぬ姿を見て興奮した――という訳ではない。いくらアオイの件で慣れたとはいえ、遺体で火照るほどの異常者になった覚えはなかった。
血が触れた肌が、ただ熱いのだ。
燃えるように、焼けるように。
熱い。
「痛っ……」
ひりひりと、肌が裂けるような感覚。それが次第に大きくなっていた。玄関に背中を預けたまま、身体がずるずると崩れ落ちていく。ゆっくりと熱さと痛みが増していき、身体の震えが止まらなくなっていく。
まるで、肌に染みついた血が、燃えているようだった。
身体はどこも燃えていない。けれど、火傷を負った時のような感覚が止まない。
(血を、流さないと)
浴びた血飛沫が原因だと直感した。
感覚があまりしない身体を引きずりながら洗面所を通り抜け、浴室に転がり込む。
服を脱ぐとか、そういうのを気にする余裕はなかった。夢中で、シャワーのレバーを思い切り捻った。
ノズルから力強く水が吐き出され、私の全身を打ちつける。水飛沫が目に入り、ずきずきとした痛みを訴えかけている。
ただそれ以上に身体が悲鳴を上げていた。冷水で流された血が、直接血を浴びていなかった肌に触れ、結果的に燃えるような痛みが全身に広がったようだった。
熱さの度合いはいくらかマシになっている。気休めかもしれなかったが、それでも我慢していればどうにかなると信じて、私はシャワーを浴び続けた。
◇
額に載せられた冷ややかな感触が、意識を浮上させた。
ぼやけた視界では暗い室内の判別がつかない。辛うじて誰かが私の傍にいることは分かったが、妙に頭がぼんやりしているせいか、それ以上は思考が上手く働かなかった。
「起きたんだね、ハルさん」
「……アオイ、さん?」
「うん。アオイさんだよ」
耳朶にすっと差し込まれる声は、単なる音であるはずなのに妙な冷気を含んでいた。それはぶっきらぼうな声とか、突き放したような態度とか、そういうことではなかった。
声とは声帯の震えから生み出されるものであり、つまりは空気の振動である。振動とは熱を持つものだから、声や音を温度で表現すること自体は特段可笑しいことではないのかもしれない。
ただ、アオイの声はそういう冷たい声ではなかった。
彼女の声色は低く、冷淡で、滑らかさを含んでいる。息遣いは静かで、穏やか。こちらの心持ちを落ち着かせてくれるような声は、冷気を持った声としか言いようがなかった。
「……おはようございます」
体を起こそうとしたところで、軽く頭を押された。心地よい柔らかさとその奥にあるしっかりとした感触に、自分の頭の下にあるものが普段自分が使っている枕ではないことに気が付いた。
「……もしかして」
「あは。膝枕、してみたかったんだ」
「ちょっと、気恥ずかしいですね」
「実はわたしも、ちょっとだけ恥ずかしい」
「そうですか」
「そうだよ」
頭の上に置かれた手は、ゆるゆると動き私の長い前髪を弄んでいる。細く軽やかに見える指先は、人を掴み上げて、頭を握り潰す力がある。それが今、私の額に触れては離れて、頭を持ち上げようとすると静かに押さえつける。
それは苦ではなかった。頭がやけにぼうっとしていて、ひんやりとした指の腹にもう少し触れていて欲しかった。
「びっくりしたよ。お風呂場の床でシャワー浴びながら気絶してたの」
「ご心配をおかけしました」
「慇懃」
「あまり聞かない返事ですね」
「茶化さないでよ」
「すみません」
記憶がはっきりしてきた。私はどうやら、血を洗い流している途中で気を失ったらしかった。身体を取り巻いていた熱はなりを潜め、多少体がひりひりする程度だった。
「……ごめんね」
不意に彼女は謝った。
「……何についての謝罪でしょうか?」
「夜じゃなかったら安全だと思ってた」
脳裏をよぎるのはアオイに貰った、しばらく夜は外出しない方がいいという忠告。
あの忠告は真っ赤に濡れた少女のことだったのだと今更ながらに思った。
「赤い少女に、会いました」
「……」
「手も触れていなかったのに、人の頭が割れて――いや、爆ぜて。まるで手品か何かを見せられているみたいで」
「……うん」
「——不思議と、君みたいだと、思いました」
真っ赤な血に濡れた化け物と。
冷たい空気を纏う君が。
自然と、重なって思えた。
「あは。やっぱり分かっちゃう?ハルさんは鋭いね」
「自分では、鈍い方だと思っていますが」
「ならそういうことにしとこ」
つ、と。閉じていた目蓋に硬いものが触れた。薄い皮膚の上から眼球を軽く押すそれは彼女の爪なのだろう。少し力を加えればいつでも私の目を貫くことができるそれで、彼女は手慰みに私の顔の彼方此方を突いていた。
「もうちょっと、話さないでいられると思ったんだけど」
「……前も言いましたが、無理に話さなくとも構いませんよ」
「わたし達の事情に巻き込んじゃってるのに、何も話さないのは、良くないでしょ?」
声に申し訳なさそうな色が含まれていた。
私は何も言えなかった。彼女の持つ何らかの事情に巻き込まれていて、本人が説明をすると言っている状況でそれを固辞する理由もなかった。
「話したいのであれば、聞きます」
「……うん。話すよ」
薄く、息が吐かれた。彼女が話す前に心構えをしたのか、私が聞く前に深呼吸をしたのか、或いはその両方か。兎に角、冷たい呼気が彼女と私の間に漂っていた。
「わたしとか、ハルさんが今日会った子はね――鬼、なの」
そうして彼女は語り出した。
続きが気になるところで切ります。
次回は説明回っぽくなりそうです。




