11話
相手の目を見て話すのが苦手だった。
じっと見つめられると、無性にむず痒くなって仕方がなくなる。何秒も経たずに自分から目を逸らしてしまうものだから、にらめっこをする時はいつも私の負けだった。
普段の遊びだけではなく、真面目な場でもそれは変わらなかった。
何か用事があって職員室で教師と話していると、「目を見て話しなさい」と叱られた記憶がある。親と話す時も似たようなことで注意された。
よく物語の中でも、登場人物の目が泳ぐ描写がある。後ろめたいことがあるとか、嘘をついているとかの描写であることが多いのが、納得できなかった。
単純に人に見つめられて気恥ずかしかっただけかもしれないのに、目が泳ぐことが嘘や隠し事と等号で結ばれるのが不思議だった。
誰かに注目されることも苦手だった。
発表の場で教室の前に立ったり、街中で転んで衆目を集めたり。そういったタイミングで周りからの視線がちくちくと刺さるのが嫌いだった。
そういう私だから、必然的に職員室が苦手だった。特定の場所というより、シチュエーションとしての職員室。つまり、自分より目上の人と、向かい合って話すようなことが苦手だった。
目を見ることができないから、何もなくても注意される。怒られている時は尚更怒られる。
それに、職員室は他の教師の視線にも晒される。それが本当に苦痛で、恥ずかしくて、どうしようもなかった。
だから、道端で職務質問を受けるというこの状況は、否応なく私に学生時代の経験を思い出させた。
体育の教師に廊下で忘れ物について延々と注意されたあの日の記憶が今の状況に重なって映っていた。
「体調が優れないようですが、大丈夫ですか?」
「えっと、持病、のようなもので。気にしないでください」
「そうでしたか。本当に、なるべく時間は取らせませんので……」
美丈夫が申し訳なさそうに言う一方で、厳めしい顔をした中年の警官はこちらを注意深く観察している。その姿はやはり厳格だったあの教師を思い出した。
目の痛みが止まない。その痛みはまるで私に何かを訴え掛けているようだったが、それが何なのかは分からない。
若い警官の口が開いた。
「お名前とご職業をお聞かせ願えますか?」
「ええと、名前は鷺沼ハル。職業はき、き……」
言おうとして、口だけがぱくぱくと動いた。厳格そうな方の眦がきっ、と上がる。
美丈夫は「ゆっくりで構いませんよ」と優しく口にした。
私の身体が震えているのに気がついたのかもしれないし、形式的なものなのかもしれない。その言葉の温度は私には分からなかった。
「……教員を、以前までしていました」
「どの学校で、とか言えますか?」
「ええと……」
学校名を伝えると、美丈夫はそれを自らの手帳にメモした。漢字を口頭で伝えて彼のメモを待っていると、威圧的な声が投げ掛けられた。
「以前まで、と仰いましたが、今は何を?」
「……訳あって、休職中です」
「どういう訳か、伺っても?」
恐る恐る、彼の表情を窺った。
何かに苛立っているのか、それとも疑っているのか。嘘偽りを許さないようにこちらをきつく睨みつけてくるその姿に、余計身体の震えが強くなった。
「言いたく、ありません。どうしても気になるのであれば、学校の方にお問い合わせください」
「……そうですか」
こちらを観察する目つきは変わらない。けれど、私と彼の間に若いが割り込み、柔らかく笑った。
「すみません、プライベートなことを聞いてしまって。うちの先輩、少し人相が悪くて。鷺沼さんのことを何か疑っているとかではないんで」
「……そう、ですか」
そう言って緊張を解こうとしてくれているのかもしれなかったが、私としては何でもよかった。早くこの時間が終わって欲しかった。
「ええと、普段よくここをお通りに?」
「いえ。今日はたまたま」
「何かご予定があったんです?」
「そんな大したものではありません。ただの散歩です」
「そうでしたか。……最近この辺りで、不審な人物を見ませんでしたか?」
どくん、と心臓が跳ねた。緊張と不安が血液と一緒に全身を巡っているような感覚がした。
恐らくは最近の連続殺人についての質問。アオイや、別の殺人鬼についてのものだろうことは察することができた。
警官達に悟られないように、返答の仕方には気をつけなければならない。声も裏返ったりしないように、軽く息を吸って。
「あまり外に出ないものですから。見てない、と思いますけど」
「そうでしたか……。最近この辺り物騒ですから、お声掛けさせていただいているんです。ほら、ニュースでも大騒ぎでしょ?」
「そう、ですね。犯人は、まだ見つからないんですか?」
「それが姿も分かってなくて。目撃証言もないし、防犯カメラにも――」
「その辺にしておけ」
先輩の警官が言葉を遮った。捜査情報は漏らせない、というやつなのだろう。
美丈夫は「すみません」と先輩に軽く謝り、私には「お時間取らせてしまってすみません」と言いながら手帳を懐に仕舞った。
「ご協力ありがとうございました。お気をつけて」
「……はい。失礼します」
こちらも軽く辞儀をして、すぐにその場を離れようとした。
その時だった。
顔を上げた、その視界。警官達の後方に、赤い影が見えた。
「……?あの――」
ぱんっ、と。
私の言葉を遮るように、風船が割れるような音がした。
厳めしい顔をした警官の頭部が、内側から膨らみ、破裂した。脳漿が辺りに散らばり、何か尋常でない熱を持ったものが私の頬を焦がした。
「な、え、は……!?」
若い警官はあまりの事態にパニックを起こしているようだった。当然だ。目の前で自分の先輩が破裂するなんて、現実で起こりようもないことだ。
状況を冷静に判断して、行動する。そんな悠長なことをしている時間はなかった。
みし、と骨が軋む音。それが目の前の警官から聞こえた。
「あ……がっ」
眼球が浮き出し、外に零れる。涙と血が混じり、ぽたぽたと地面を濡らす。じゅう、とものが焼けるような音。鉄の匂いが辺りに充満している。
頭部の輪郭が次第に大きくなっていく。内部からの膨張に肌は耐えきれず、割れて血が溢れる。
そう時間が経たずに、若い警官の頭部が破裂した。咄嗟に顔を手で庇う。振り掛かってきた血飛沫が、熱湯のように熱かった。庇いきれなかったのか、右目がずきずきと痛んだ。
「あぁ?もう一人いたのかよ」
低く、ドスの利いた声。それを発しているのは赤い影だった。
ひたひたと近づいてくるそれは、少女の形をしていた。血のような赤色の髪に瞳。肌は辛うじて黄色人種だと分かるけれど、そのほとんどが血に濡れていた。服も元の色が分からなくなるほどに血塗れで、全身から死の気配とでも言うべきものを漂わせていた。
血のような少女は、私の目の前で立ち止まると僅かに眉をしかめた。
「ちっ、そういう感じかよ。人の趣味に口出すつもりはねぇけど、泳がせてねぇでさっさと食えよな」
「……なんの、ことでしょう」
「知らんぷりってか?ま、いいや。関係ねぇし」
興味をなくしたかのように、血のような少女は私の隣を通り過ぎた。まるでそこには元々誰もいなかったかのように、どこかへ消えていった。
「…………かえ、らないと」
通報するという発想が出なかったのは、一時の良心のせいでアオイとのことがバレてしまうかもしれないという恐怖があったからなのだろう。他者の死を悼むよりも先に自分の保身を考える、嫌な性分が発揮されていた。
上着を裏返しにし、フードを目深に被って小走りで道を引き返した。一度も振り返らず、誰にも見つからないように、とにかく家に。
道中のことは必死であまり覚えていない。けれど、血に触れた肌が妙に熱かったのが印象に残った。




