10話
短めです。
また数日が経った。
その間、私はアオイの言う通り夜間の外出を控えていた。ただ単純に外に出る用事がなかっただけと言うとそうなのだが、彼女の忠告を無視してまで外に出ようとは思わなかったという理由もあった。
アオイはやはり数度、私の家を訪れた。その肌に濃い赤が映える日もあれば、全く汚れのない日もあった。どちらの際にも、翌日には殺人事件のニュースが流れた。そのことについて、彼女は何も言わなかった。
何度か、彼女に何が起きているのか問おうとした。けれど結局、いつも通り振る舞うことにした。毎度、彼女とした約束が頭にちらつくからだ。
私から持ち掛けた約束を、私が破る訳にはいかなかった。彼女がいつか話すと言ったのだから、私はそのいつかを待たなければならない。
(……ただ、気にはなる)
それも事実だった。
好奇心とは少し違うように思う。怖いもの見たさでもない。
アオイと同等の力を持つ殺人鬼がこの街にいる。そのことが、私の胸の奥で息づいている考えに、静かに触れているようだった。
彼女と交流することで、鳴りを潜めたものが、じくじくとその存在を主張しているようだった。何度もその考えを振り払おうとしたが、一度抱いた馬鹿な考えはなかなか離れてくれなかった。
「…………やっぱり、私はまだ」
死にたい。
その思考が、私に、もう一人の殺人鬼についての興味を抱かせているようだった。
アオイは、私のことを殺す素振りがない。彼女の中にある殺害対象の基準を私が満たしていないのだろう。そうでなければ私は既にニュースで報じられているはずだ。
ならば、新たに現れた彼女以外の殺人鬼ならば、と。
そう考えざるを得ないのだ。
「駄目だ。頭が、痛い」
すぐに頭を振って、麦茶を口に含む。錠剤を手探りで手に取ろうとして、空になった袋が手に当たった。
「貰いに、行かないと」
その薬が私の心を落ち着けてくれるとは到底思えなかった。けれど、ないのとあるのとでは大違いではあった。
少しでも気休めになるものが欲しかった。
「……散歩でもしたら、気が晴れるかな」
何となくの思いつきだった。最近一歩も外に出ていないから、ふとそう思っただけ。
時計を見れば、日没まではまだかなりある。アオイの忠告を破ることにはならないだろう。
「よし」
身体の調子も気分も、何もよくはない。
けれど一度決めたことを早く実行に移さないと、私はうじうじと悩んで同じような思考をぐるぐると続けてしまう性質だ。
使い古したスニーカーを履き、何度も来たことのある上着を羽織って外に出る。
空の色が意外にも暗かった。
やはり止めておこうか、という考えがふっと湧き立つ。もう一度かぶりを振った。
気を抜けば何もできなくなってしまいそうだった。
勢いのあまり僅かに首が痛んだ。その痛みがちょうどよく、私に釘を刺しているようだ。
(とりあえず、海の方に行ってみよう)
砂粒と金属製の階段が擦れる音は不愉快で、遠くの海の冷たさを含んだ風も同様だった。
それでも海に行ってみようと思ったのは、以前出掛けた時に偶然アオイと再会できたからなのだろう。私は自分で思っているよりも、思い出の場所とか、記念日とか、そういったものに執着するようだった。
(寒い)
重たく暗い色の雲がのし掛かってくる。風も相俟って、肌寒さを感じずにはいられない。
上着をもう少し分厚いものにしておけばよかったと後悔する。
ただ、一度帰ってしまったら今日は二度と外に出る気が起きないという確信があったから、気にせずに歩みを進めることにした。
冷たい風が鼻先を掠め、じんとした痛みが残る。
時が経つに連れて、次第に今の季節が分からないというようなことが増えてきた気がする。
もちろん四月は春で、八月は夏で、といった大体のことは分かる。
だが、春でも寒いし、夏でも涼しいことがある。秋でも暑く、冬もそこまで冷え込まない。かと思えば急に寒さが増す。そういうことが多いように感じる。
温暖化の影響だとか、環境問題だとか、太陽との距離だとか。色んな話を聞き流しているせいで未だに何が原因なのかは知らない。
ただ、明らかに昔より暑い時期と寒い時期の差が激しいように思う。
それに加えて、似たような日を過ごすことが増えた。子どもの頃は学校や日々の暮らしの中で学ぶことが多かった。
けれど今は、毎日似たような出来事が起こる。最近になってアオイという非日常が混じるようになったが、それを抜けば、私の生活は平坦なままだ。
平坦で、なだらかで、緩やかに落ちていく。
いつか、深い深い奥深くのどこかへと転がり落ちるまで、そうした日々を続けるしかない。
「痛っ」
右目が妙にずきずきする。またごみが入ったのかもしれないし、幻痛かもしれない。
道の端に寄り、軽く右目を拭う。違和感と痛みは取れない。親指を押し当て、何度か意図的に瞬きをして、睫毛が変に入り込んでいないかを確かめる。それでも痛みが和らぐことはない。
一つ息を吐いて、諦めて顔を上げると、声を掛けられた。
「失礼。ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「っ、は、はい……?」
びくり、と思わず肩が跳ねる。
恐る恐る振り返ると、そこには皺のないスーツを着た男が、二人。優しげな表情をした美丈夫と、眉間に深い皺が刻まれた背の高い男。
「驚かせてすみません。我々こういうものでして」
美丈夫が手元の何かを開く。やたらと名字の長い名前と、顔写真。警察という文字が見えて身体が強張った。
「ちょっとお話、いいですか?時間は取らせないので」
「……ぁ、は、い」
喉が渇く。
身体が微かに震え出す。
目の前が暗くなって、きゅっと、景色が狭くなる。
右目だけがずっとずきずきしていた。
話を動かすつもりといっておきながら、あまり進んでいませんね。すみません。
のびのびお待ちください。




