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 イジーが次に目覚めたとき、目の前は真っ暗だった。

 正確に言えば、濡れ羽色の髪の毛で視界が埋まっていた。

「きゃっ!」

 驚いて飛び起きれば、「おっと」と覗き込んでいた少年が仰け反るように退いた。その拍子に額に乗っていたらしい布巾が太腿に落ちた。

「なんだ、生きてるじゃないか」

「だ、誰……?」

 キャスケット帽の少年はフンッと呆れたように鼻を鳴らす。なんだか見覚えがある顔だ。寝る前によく分からない文句を言ってきた子かと一拍置いて思い出した。

「誰とはご挨拶じゃないか。1週間おまえの看病をしてやった親友の顔を忘れたのか?」

 まるで旧知の仲かのように言われてまじまじと顔を見つめるが、眠りに落ちる直前に見た子であることしか分からない。記憶力は良いほうだと思っていたが、忘れているだけで大親友だった可能性もないこともないかもしれない。長い前髪のせいで鼻から下しか見えないので、恐る恐る手を伸ばして髪を左右にかき分けると存外幼い顔つきをしていた。10歳くらいだろう。ますます思い当たる知り合いはいない。

 露わになった瞳がまるくて黒くて、まるで烏のようだ。吸い込まれるようにその目を見つめる。彼も見返しきた。というより、ガンを飛ばされている。見た目は綺麗なのに中身はまるで正反対のようだ。年下にこんな反抗的な態度を取られるのも初めてなので、珍しくてついじっくりと観察してしまった。相手は絶対に目を逸らさないことにしたのか微動だにしない。

 うん、やっぱり知らない子ね。

 こんなに整った顔立ちで、睫毛も長くて、要するに美少年とも呼べるような子はお目にかかったことがない。恐らく人違いをされているのだろう。

 観察して分かったことだが、目の下にうっすら隈ができていた。夜通しで看病してくれたのだろうか。

 起きたときにはあまりに近くにいたので一瞬不審者かとも思ってしまったけれど、意外と良い子なのかもしれない。礼を言うと居心地が悪そうにしている。口は悪いが良い子だ、多分。

 髪に触れていた手は満足しただろうと言わんばかりに素っ気なく振り払われてしまう。

「お名前を教えてくださる?」

「はぁ? ナーバルだよ。本当に大丈夫か?」

「ええ。でも、どうしてここにいるのか、さっぱり分からないの。自分の名前だって、その……」

「トリスタン。おまえの名前はトリスタンだよ。ここはおまえの部屋で、4歳からここで暮らしてた。オレとおまえは友だちでビジネスパートナー、それから師匠。思い出したか?」

「びじねすぱーとなー?」

 やはり誰かと間違えられているようだが、とりあえず相槌を打つ。そんなにトリスタンという子と私は似ているのだろうか。しかしトリスタンは男性名だ。いくらなんでも性別までは間違えないだろう。長い前髪のせいでよく見えていないのかもしれない。こんなに小さい内から視力に難があるのは良くないと思う。タイミングがあれば、せっかく顔が良いのだから髪を切ることを提案してみようと心に決めた。

「一緒に小金稼いだり、暴れたりしてた。あと、オレはおまえに剣の指南もしてた。おまえは剣の筋は良いし喧嘩も強いけど、引き際を見極めるのがド下手」

 さらっと馬鹿にされた気がしなくもない。

 彼が言うには1週間ずっと寝ていたらしいが、あれだけ痛かった傷はもうほとんど治りかけている。医局から治療師を派遣して診てもらったのだろうか。

「言っとくけどオレたち貧乏だぜ。治療師に払う金なんて一銭もない。単におまえの回復力がおかしいってだけ」

 骨も折れてたと聞いて、道理で動けなかったはずだと思う。折れたという右腕を軽く動かしてみるが、何の痛みも違和感もない。イジーはどちらかと言えば今まで怪我の治りは遅かったほうだと思うのに、彼の親友だというトリスタンと同じくらい回復が早いのはどういうことなのだろう。まさかナーバルが嘘をついているはずもないだろう。

 いつまでもうーんと唸っているイジーに対して、打ち所が悪かったのかなとナーバルも首を傾げる。

「袋叩きだったもんなぁ」

「どうしてそんなことに?」

「ん。ちょっとな」

 今の状態のイジーに話しても無駄だと思っているのか、はっきりと理由を教えてくれない。それでもしつこく食い下がれば、頭を掻きながら渋々教えてくれた。

「ちょっと拝借したの」

「何を? ……まさか、泥棒ってこと?」

「違う違う。借りただけ。返すつもりはあった」

「……本当に?」

「ほんと、ほんと」

 嘘だ。

 商人の屋敷から金目のものを根こそぎ持って行ったという説明を聞いて、その言い訳は無理があると確信を持つ。警ら隊に通報しようかと思ったが、看病してくれた恩を思い出してぐっと堪えた。要は金品を盗まれた商人の雇った用心棒たちに寄って集って暴行を加えられたらしい。ナーバルはちゃっかり一目散に逃げたという。あまりに薄情な親友だ。

「そんなことより、トリスタン。おまえまるで女みたいな話し方するんだなぁ。もしかして性別も分からなくなっちゃったのか?」

 揶揄うように彼は言う。

 どうにも話が噛み合わない。何か変だと頭の奥が警鐘を鳴らす。もしかして……。

 嫌な予感を振り払うように飛び起きて、蜘蛛の巣を被った鏡を手が汚れるのも構わずに拭く。そこに映った自分の姿を見て、卒倒しそうになった。

「と、トリスタン……!」

 トリスタン・レーヴェンシュタイン!

 鏡の中にイジーはいなかった。そこにいたのは10歳くらいの男の子。それも、見覚えのある男の面影を残した姿だった。

 ブロンドの髪を撫でつけ、頬に手をあてる。ささくれ立った指先から手をよくよく見れば子どものもの。16歳だったときより見下ろした足先が近い。改めてトリスタンにしか見えない姿を茫然と見つめた。

 どうしてトリスタンという名前で気が付かなかったのだろうか。

 男たちに取り囲まれて婚約破棄と糾弾されたあの時の記憶が再びまざまざと思い出される。あのとき、男たちの中にトリスタンもいた。彼は婚約者の友人の一人だった。いつも無表情で何を考えているのか分からなかったので苦手だった。それにあのときは他人事みたいに余所見をしていたが、よく鍛えられた体で身長も高かったから誰よりも威圧感があった。

 力なく、その場にへたり込んでしまう。

「ナーバル……私、トリスタンになってる……」

「なってるっていうか、ずっとトリスタンだったよ」

 その場に座り込んでしまうイジーに引いたような顔をしながらナーバルが水を渡してくれる。これを飲んで落ち着けということだろう。明らかに危ない人を見る目で見られている。

 とりあえずコップの水は飲み干して、ナーバルを見つめ返した。こんな小さい子に親友と言われるなんてと可笑しいわとふわふわ考えていたが、おかしかったのは自分の頭だったらしい。

 見間違いかもしれないと、もう一度鏡を見たけれど、間違いなくトリスタンの顔だった。

 絶望感が押し寄せる。よりにもよって、婚約者の友人の中でも一番苦手な相手の、しかも幼少期の姿になっているとは想像もしていなかった。正直彼の表情筋があまりにも仕事をしないのが不気味で避けていたくらいだった。

 今こんな事態に陥っている原因として挙げられる可能性は2つ。あまりにボコボコに殴られたせいで頭が一時的に混乱して自分のことを公爵令嬢と思い込んでしまったか、何かしらの魔法が関与しているかだ。できれば後者であってほしい。万が一前者だった場合、貴族と思い込んだ挙句に婚約破棄まで妄想してしまった異常者ということになってしまう。

 余程気落ちして見えたのか、先に沈黙を破ったのはナーバルのほうだった。

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