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「ええ。でもあの人、消えちゃったわ」
「そうだろうね。偏屈な人だ。あの人が人前に出てこようとするなんてすごいな。話せただけ良かった」
「良くねーよ。何を話した? おまえ顔色すごいぞ。今にも倒れそうだ」
よっぽど酷い顔をしていたのだろうか。幽霊でも見た気分だ。話した内容は全く理解ができなかったが、いきなり目の前の人間が姿を消すというのは恐ろしい体験だった。そんなことで震えているなんて、トリスとナーバルには怖がりだの臆病者だの揶揄われてしまうだろうか。一瞬で姿を消したのはどうやったのだろう。ナーバルと同じ魔術の類だろうか。それとも本当に幽霊だったらどうしよう。思わず、自分の体を抱きしめる。
「おい。こっち来い。隣座れ」
いつまでもガタガタと震えるイズに痺れを切らしたのか、トリスは自分の隣を指さす。
ナーバルは無事にお婆と呼ぶ存在とイズが会えたことに満足したのか、知り合いを見かけたと言ってどこかへ行ってしまっていた。なんて薄情な。
大人しくトリスの隣のベンチに腰を下ろすと、ふわりと頭に何かが乗せられる。
「約束したからな」
「何が? 今、何を私の頭に乗せたの?」
当のトリスが答えてくれないので、仕方なく慎重に頭に乗ったそれを手に取る。生き物の感触ではないことに安心した。万が一蛇とかカエルだったら本気で嫌いになっていたところだ。
「わあ……きれい……」
頭に乗っていたのはイズが抱えていた花束から作った花冠だった。黄色の可愛らしいそれには自分が花束として抱えていた時にはなかったはずの白く小さな花も加わっていた。これってもしかして、前に彼らが話していた珍しい花ではないだろうか。エルフスノーのように見える。文献の挿絵に描かれているのを見たことがあるので間違いない。エルフの里にのみ咲くと伝承では言われているが、実態は険しい山の山頂に咲く特徴があるというものである。魔術で特殊な加工をすれば数か月は美しい花弁が開いた状態で保存ができるという。
「ねえ、トリス」
「はい、怖いの怖いの飛んでった」
信じられないような気持ちでトリスを見ると、顔を背けながら子どもをあやすようなことを言う。
まさかこんな気障なことができたなんて思わなかった。16歳のときには、どうして彼が一部の女生徒から人気があるのか分からなかったが、今なら分かる気がする。普段とのギャップが人気の秘密だったとは。
いつもは不遜な態度でデリカシーも何もないが、自分との約束を覚えていて照れながらもそれなりに優しく慰めることができる。恋愛慣れしていない令嬢だったらコロッといってしまうだろう。婚約者がいなかったら危なかったわとドキドキする心臓を抑えつける。
「ありがとう、トリス」
「ああ」
友だちの意外な一面を見ることができた。てっきりデリカシーや気遣いという人として大事なところをどこかに置き忘れているんだろうと思っていた。これは彼に対する認識を改めなくてはいけないだろう。
耳まで赤いトリスにつられるように赤面しながら、イズは再び花冠を頭に乗せる。顔が緩んでしまうのが止められない。
「うふふ」
「何笑ってんだよ」
「嬉しいの。こんな幸せな気持ちになったのは初めて。私、あなたと仲良くなれて良かったわ」
「そーかよ」
素っ気ないようでも、ちゃんと返事は返ってくる。良い友だちを持ったわとイズは心の底から思った。
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「へー。2人の魔女ねぇ……」
姿を消した老婆にすっかり驚いてしまったが、彼女の言っていた助言とやらはどういう意味なのだろうと落ち着いてから不思議に思う。
ナーバルが知り合いに会いに行ってから一向に戻ってこないのですっかり暇を持て余してトリスに話してみれば、一切興味がなさそうな顔をしていた。目の前の鳩にパン屑をやることのほうがよっぽど集中していそうだ。
「それって御伽噺とか、創世記とかに載ってる類のお話だろう。そのままの意味じゃなくて何かの比喩とかなんじゃないか?」
トリスにしては冴えている。聞いてないようで聞いていたらしい。イズも同じように予想していたところだ。魔女というのはこの国では忌み嫌われる存在である。創世記には人間も魔物も魔女がつくったとされているが、その後魔女は人間を惑わせて正しい道を失わせたとして悪の象徴になっている。そして魔物を従えて人間を滅ぼそうとしたのだという。魔女の手先が今現在も人間たちの中に紛れ込んでいて、虎視眈々と害を加えようとしているという解釈が主流だ。そのため稀に《魔女狩り》に遭遇する。魔女の手先とされた人たちを引きずり出して、生きたまま火炙りにするのだ。
イズはこの《魔女狩り》が苦手だった。まるで悪を滅する正義の行いのように言われているが、要は最高に趣味の悪い見世物だ。
《魔女の刻印》を持つ者を見つけたら問答無用で平民たちであれ誰であれ、その者を刑に処すことができる。なんて野蛮な儀式なのだろう。
今まではできる限りそういったものには近寄らないようにしていたが、老婆にはあれだけ魔女を強調されたのだから調べないわけにはいかないだろう。
「気にしなくていいんじゃないか? そのお婆とやらが耄碌して妄想を言ってるだけの可能性もあるぞ」
「そんなふうには聞こえなかったわ。それにナーバルだっておばあさんの言うことを信用してるみたいだった」
「そうかねぇ」
気もそぞろといった相槌ばかりが返ってくるので、イズはむっとしてしまう。
「ねえ。ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ。イズがお婆に一杯食わされた話だろ」
「違うわよ!」
いや、違わないかもしれないけれど。もしかして揶揄われただけなのかもしれないけれど、どうにもあの老婆の言ったことが気になる。占術という暖簾を掲げているからには未来視や予言の類ができるのではないかと勘繰ってしまう。早々そんなやついねーよとトリスは鼻を鳴らすけれど、イズは半ば確証を持っていた。あの言葉は、予言に違いないと。