11
トリスがおもむろにドレスのスカート部分を捲り上げる。何か箱のようなものを両手で持っている。スカートの中に一体何を隠し持っていたのかという疑問はすぐに彼によって答え合わせがされた。
「蛇だ」
「ひぇっ!?」
完全にイズの反応を楽しんでいる。意地の悪い顔だ。
「夜食にしようと思っていたけど、生かしておいてよかったな」
そういう問題ではない。夜食に蛇という聞き流せない言葉が出てきたが、トリスは頓着せずにその箱を力一杯振りかぶる。
頼むから説明をしてから次の行動に移ってほしい。蛇が怖いやら何をしようとしているか読めないやらで半泣きのイズを嘲笑うかのようにトリスが持っていた箱は鈍い音を立ててミンネの目の前に叩きつけられた。箱の蓋に鍵はかかっていなかったようで、中から蛇のぬらりとした鱗が動くのが見えた。それも一匹やニ匹ではない。その箱のどこに詰まっていたのかと思うくらい、数十匹はいるであろう。イズの腕の半分くらいの太さの蛇が大量にミンネに向かっていく。彼女の太腿はすぐに蛇に巻きつかれ、懸命に払っても鋭い牙で噛みつかれる。悲痛な叫び声に耳を塞ごうとしても、視線を外すことさえナーバルもトリスも許してくれなかった。しっかりと目に焼きつけろと彼らは言う。
「入れた物を増やす魔法具だけど、しっかり使えるようで良かったよ。元々の蛇は一匹?」
「ああ。あとカエルも入れたかな。さすがナーバル印の魔法具だ。ほら、カエルも増殖してきたぞ」
みるみるうちに手のひらくらいの大きさのカエルが飛び出してくる。先程投げつけた箱は魔法具だったらしい。ナーバルが作ったようだが、いつトリスにそれを渡したのだろう。食べ物を渡していたときではないから恐らくイズが先程先頭を歩いていた時だろう。油断も隙もない。
ナーバルが魔法具を作れたということも驚きだ。魔法が使えるだけでなく、魔法式を組み込んだ道具も作成できるなんて、並の魔法使いにはできない。
「……ねえ。食べるつもりで捕まえた蛇と同じ箱にカエルを入れてたってことは、カエルも食べるつもりだったってこと?」
「毒は持ってないから心配ない」
そんな心配をしているわけではない。百歩譲って蛇はまだ良いとしてもカエルは絶対に食べたくない。想像しただけで全身鳥肌が立つ。
「まずいな。想定していた方向に向かわないかもしれない」
ナーバルが呟く。錯乱したミンネが地団駄を踏むように蛇やカエルを振り落として来た道を戻っていく。戻った先の突き当りは左右に通路が伸びている。彼女は左へと足を向けていた。
「"グワラホッド リスウェレディガイサウ"」
彼がそう唱え終わるや否や、ミンネは金切声のような一層大きな悲鳴を上げた。髪を振り乱して視線は定まらず、爪先で踊るような足取りで逆方向へと走っていく。
「あぁ……! あつい、熱いっ!」
辛うじてミンネが熱いと言っているのが聞き取れた。どういう意味だろうかと思っていると、「火に全身を焼かれている幻覚が見えるようにしたからね」と何てことなさそうにナーバルは答える。
「幻覚で燃えていない道を示してやれば、望んだ通りの道筋を辿ってくれる。つまり彼女には右の通路が唯一火のついていない安全なところとして映ったってこと」
遠ざかっていくミンネの断末魔のような声を聞く。狂ったように手足を振り回しながら噛みついた蛇やカエルを取り剥がして幻の炎に溺れる姿が目に焼きついている。ミンネは、この後屋敷を追われれば嫌でも地獄を見ることになる。彼女への報復はそれで充分なはずだと思っていた。
「でも、胸がスッとしたの。当時の私には餓死寸前まで食事は与えられなかったし、たくさん殴られたり蹴られたりしてきた。私、彼女のおかげで乳歯が全部生え変わったの」
辛くて長かった。しかし、反撃しようとかやり返そうと思う気力すら当時はなかった。ただひたすらにミンネが怖くて怯えていた。それを今、変えようとしている。やり方は乱暴で雑だけれど、少なくとも手を貸して助けてくれる二人がいる。
「ついてこなくていいなんて言ってごめんなさい。私一人だったら多分この手紙を出して解決した後もずっとジメジメグチグチしてたに違いないわ」
「まあ俺は自分がやりたくてやったから感謝される筋合いはないな。ババアにはずっとムカついてたし」
「オレも、魔法具のテストをするためについてきたようなもんだ。別にイズのためにやったわけでもない」
素直ではない同行者たちだ。今となっては、このくらいの距離感が心地良い。
さっさと秘密の小部屋へ行こうぜとトリスが言うので、通路を行った突き当りを左へ曲がる。ミンネが行った方向とは逆だ。後ろを振り返っても、もう彼女の後姿は見えなかった。
「早く行かないと屋敷中の人間が起きてくるぞ」
「どうして?」
急かされるままに足早に目的地を目指す。秘密の小部屋は、通路の途中にある特別大きな魔女の絵画の下の壁面を押すことで入ることができる。ぐぐっと肩を入れて押すと、壁が反転する仕組みだ。三人揃って入ると、狭くて身動きするのにも苦労する。小部屋の中には小さな丸テーブルとその上に木製の箱のみが置かれており、その箱の中に相手に渡したいものを入れておく取り決めだった。
イズが辛うじて抱えて持てるくらいのサイズの箱に懐に忍ばせていた手紙を入れ、ほっと息をつく。しかし何やら外が騒がしい。少なくとも四、五人くらいの話し声がする。
「当然だろ。あんなに大きな声を出して暴れてるメイドがいるんだ。誰かしら様子を見に起きてきてもおかしくない」
「あ、そっか」
しばらく息を殺していると、話し声は何人かの足音と共に遠ざかり聞こえなくなる。メイドは足音を立てないように訓練されている。秘密の小部屋の外にいたのは警備の者たちだろう。
「たとえ手紙の件がうまくいかなくても、ババアの気が触れたように周囲からは見えるだろうから今後メイド長として務めるのは難しくなる。まともに仕事をするのは無理だと強く印象づけられる。そうすれば誰かが主人に言いつけるだろう。解雇もしくは最悪でも降格くらいはできそうだな」
初めからそれも計画の内だったかのような口振りだった。彼のその言葉にイズはハッとする。トリスの言ったそれはどこまでが計算なのだろうか。ナーバルもそうだな、なんて当たり前のように頷いている。
イズの計画を聞いて、咄嗟に駄目押しの腹案を思いついたのだろうか。前々から考えてはいたのだろうか。それにしてはナーバルとの連携がうまくいき過ぎているように思えてしまう。二人のことだから、阿吽の呼吸で即興で対応したとも思えなくもないが、どうにも違和感があった。
秘密の小部屋を抜け出して、離れまで戻る間、正体の分からない不安が胸を占める。全て順調にいっているはずだ。それなのになぜこんなに落ち着かない気持ちなのだろう。
今日のところは一旦トリスと別れ、ナーバルと二人で家路につく。空は白んでいたけれど、背にした屋敷からは時折大きな物音や怒鳴り声が聞こえてきていた。幻覚の効果はどれくらい続くのだろう。たとえ蛇やカエルを取り払ったところで、火の幻影が見え続ける限り彼女はそれを消そうと暴れるだろう。
「――わかったわ」
数歩先を行くナーバルが気が付かないくらいの小さな呟きを漏らす。違和感の正体にようやく思い至ったのだ。気付いてしまえば殊更に、強烈な不信感が胸に植えつけられる。到底無視することなどできなかった。
どうしてナーバルは、秘密の小部屋の場所を知っていたのだろう。
廊下の突きあたりを左に行くなんて二人とも知らない。道順を事前に彼らには伝えていない。その部屋は秘密なのだから。弟と侍女しか辿り着けない秘密の小部屋。そのはずだった。
しかし今のイズにはナーバルを問い正す勇気がなかった。